高嶋雅咲のニート生活 #2 愛しき者の心を射る物は

12月9日。 気の早いもので、世間はすっかりクリスマスのムードに染まりつつある。 適当なチャンネルを垂れ流しにしているテレビでは、クリスマスに向けた特集が流れている。 莉沙は最近クリスマス用Webサイトの画像素材を作っているらしく、帰ってくるなり「もうリースを眺めるのは飽きました」と愚痴ってきた。 Photoshopでそういうブラシとかあるんじゃないの?と適当に聞いてみたけど、「そういうのじゃないんですよ、そういうのじゃ」とあしらわれてしまった。 妥協も必要だと思うけどねぇ。 そして私はというと、Googleでとある単語を調べると出てくる数々のWebカメラの映像を眺めて、クリスマスの到来を実感しているところだった。 これ、当然のことではあるがテレビとは違って編集されていないそのままの光景が映るもんだから、結構面白かったりする。 所謂ありのままってやつ。半年くらい前にやってたアレみたいな。 しっかし、このカメラ映像が見られる奴ってだいぶ前に話題になった事だし、対策してるだろうけど思っていたけど。 どうも世の中、その手のモノの管理者は海のような心の広さを持つらしい。 私の名前は高嶋雅咲。 25歳、彼氏なし。 色々訳あって、1年半くらい前から親友の風見莉沙宅で同居生活中である。 一つだけ言えるのは、自慢じゃないけど、私は働くのに向いていないという事だ。 いやむしろこの世界は私がまっとうに働けるように出来ていない。 そういうわけで、今日も絶賛ニート生活を満喫していたのだけど……。 「そういうわけで、じゃないでしょう」 口に出すとどこか申し訳ないと思ったから、気を利かせて心の声で話していたというのに、莉沙ときたら。 まあそれはいいとして、せっかく莉沙が頑張っている事だし私もそろそろ行動を起こさないと流石に悪い。 「さて、と」 解像度の低いカメラの映像を一通り満喫した私は、「仕事」を探してみる事にした。 別に就職活動というわけではない。あんなのは二度とごめんだ。 当然ながら生活するには金が必要。 定期的に生活費として莉沙にお金を渡さないと、追い出すと言われているのだ。 私だって、以前は多くの人々がそうしているように、社会の一員として働いていた事もあった。 ただ、性に合わなかった。それだけのことだ。 だから今は、まっとうでない手段でお金を稼ぐ事にしている。 便利な時代になったもので、探せば案外あるもんなのだ。 ブックマークに登録しているいくつかのサイトのスレッド群を漁り始めて、30分ほど経過した。 いつもは見ないようなサイト――仕事の危険度が高くて莉沙に怒られるからだ――までチェックしてみたんだけど、今日はこれといったものがない。 いや、あるにはあるものの、かなり高い確率で冷やかしの書き込みだと判断できるものばかりだ。 こういう生活を1年半も続けていれば一種の勘というものが備わるもので、それくらいは判断がつく。 少し考えた後、手を出すのはやめておくことにした。 他をあたってみようかと思ってマウスを動かしていたのだけど、手を止める。 ふと思いたって今の所持金(棚の一番下の引き出しに入れている)を調べてみると……そこには十分な枚数の諭吉が居た。 前に色々あって銀行というものが嫌いなので、「仕事」での金は現金で貰うか口座に振り込んで貰った後、即引き出してここに保管するようにしている。 どうやら、私の残金には十分余裕があったようだ。 何てこと。最初に調べなかったのなら後から調べなきゃ良かった。 「どうしたもんかな」 折角やる気が湧いてきたというのに、やる事がない。 このやる気をどこにぶつければいいのか。 とりあえず煙草でも吸って落ち着こうと思い、ベランダに向かった。 窓を開けた瞬間、テーブルに突っ伏している莉沙が「寒い」とだけ言ってきた。 今日はスタンダードな肉じゃがを作ったのだけど、それが口に合わなかったのだろうか、なんだか機嫌が悪そうだ。 彼女は仕事中の癖なのかどうか分からないけど敬語を使う事が多い。 それが抜けている時点で、心の余裕がないのが伝わってくる。 「すぐ閉めるから我慢して」 そう言って2秒弱で閉めた。 莉沙の言葉通り、確かに寝間着に12月の空気は流石に肌寒いけど……面倒だからまあいい。 私はベランダの椅子に腰掛けると、煙草の火を点けた。 先程までPCで眺めていた解像度の低いカメラの映像と比べ、遥かに高解像度なクリスマスの光景が確認できる。 何しろ人間の目の解像度は、実質無限大みたいなものだ。 惜しむらくは、その目は一点から見渡すのが限界だという事だろう。 煙を吹かしつつ賑わう商店街の方を眺めていた私は、あることを思いついた。 そう、クリスマスといえば、プレゼント……そういう考えに至るのが当たり前の時代が私にも確かにあった。 私が最後にそれを貰ったのは、もう何年も前の話。 こんな私でも、最初は年相応に喜んだのだと思う。 だが、貰えるものがいつしか実用的な品ばかりになってから、その喜びは薄れていったっけ。 窓の方を振り返り、相も変わらずテーブルに突っ伏している莉沙の方を見る。 彼女に何かプレゼントでもしてみたら喜ぶだろうか。 希望を本人に訊こうかと思ったけど、それは却下だ。 確かに欲しい物を本人に直接聞いたうえでプレゼントするのは、理にかなっている。 欲しくもないものを贈られたら、お互い気まずいだけだ。 しかし、面白みがない。 言われたものを買うなんてはじめてのおつかいレベルの話である。 そこで私は、この満ち溢れるやる気エネルギーを存分に使う手段を思いついた。 煙草タイムは一本で切り上げ、部屋に戻ることにした。 私は愛用のThinkPadをテーブルに広げると、テキストエディタを起動した。 やることは明確だ。 ネット上から、贈り物に関する情報を収集するクローラーを作る。 データベースに集めた情報を集計して、贈り物に適したものをランク付けする。 これくらいのプログラムであれば、まぁ朝になる頃には完成するだろう。 自分用に仕様を軽くテキストファイルに書き出してそれを眺め、さあ書くかと思ったら横から何やらくぐもった声が聞こえてきた。 「んー?何?」 見なくても声の主がどういう状況なのかが把握できるが。 声の方を見ると、布団から顔を上げた莉沙が「作業もいいですけど、片付けて下さいね」と一言。 うん、そこまで眠そうな顔で言われてしまったら、私としては文句の一つも言う事もできなくなってしまう。 別に私が居候だからやらないといけない、というわけではなくて。 純粋に彼女の事が心配なのだ。 いつも通り「はいはい」と言いつつ、さっさと皿洗いを済ませて作業に取りかかる事にした。 そして彼女は私の皿洗いをBGMに眠りに落ちていった。 ◆ ◆ ◆ 寒さで目を覚ますと、時計の針は6時半を指していた。 惰眠を貪りたいところだが、それができない理由が2つほど存在していた。 まず1つ目は、今いる場所が布団では無く椅子の上なので、物凄く全身が痛いということ。 旅行バスとかで寝ると起きた時に首がしんどくなっていたりするが、あの感覚に近い。 そして2つ目は、平日なので莉沙の朝食を作らなければならないということ。 これは無視できない問題である。 幸い1つ目の理由による疲労については、ThinkPadの画面を見た瞬間に吹き飛んでくれた。 画面には、集計処理が終わった旨の文字列が映し出されていたからだ。 確か、クローラーと集計用のクエリを書き、クロールが完了次第集計処理が実行されるようにしてから寝たような記憶がある。 クロールに要した時間が2時間半で――もっともこれは私が適当に設定したタイムアウト時間だが――集計には20分程度使ったようだ。 となると、3時くらいには完成した事になるけど……そりゃー布団にも入らずに寝るわけだ。 まだ集計結果を精査してはいないものの、ひとまず無事に終わった事に満足した私は、台所へと向かった。 「まだ水曜日なのほんと時空が歪んでると思うんですよね……」と、莉沙は不機嫌そうにトーストを飲み込んで言った。 「先週もおんなじ事言ってたような気する」 「大事なことは何度でも言っていいと決まっているって偉い人が言ってました」 「それ、私かもしれないわ」 「そういえば」莉沙が思い出したように顔を上げて訊いてきた。「昨日は一体何してたんです……?」 「ああ」なんて答えたもんかな、と一瞬の逡巡。「ちょっと調べ物」 別に嘘は言ってない。 「にしては随分と頑張ってましたけどねぇ」 「何、私は頑張っちゃいけないの?」 「そういうわけじゃなく……」そう言うと莉沙はせっせと皿の片付けを始めた。 昨日の夜私に丸投げしたことに引け目でもあるのか、私の済んだ皿まで片付けようとする。 「……風邪引きますよ?まったく」莉沙は私に背を向けてそう呟いた。 「……」 私の方が心配されてしまうなんて。 何だか気まずくなり、彼女が台所で水を流す音を聞きながら小さくなる事しかできなかった。 「あー、不労所得で暮らしたい……いってきますぅ……」という莉沙の言葉がフェードアウトしていくのを見送って扉を閉める。 そしてテーブルのThinkPadと向き合い、集計結果を確認する。 集計結果は手っ取り早く表を利用できるHTML形式で出力した。 クロールしたサイトの数は53、ページ数にして1829ページ。 なかなかのものだとは思うが、全く同じソースの記事が複数のニュースサイトに掲載されている事はよくあるため、有効な情報量は半分もないだろう。 クロールしたページの文章をMeCabで形態素解析したデータに重み付けを行い、集計したものが巨大な表となって出力されている。 ランクの高いプレゼントほど上に出ているので、巨大な表を全部見る必要はない。 ともあれ、これで最近のトレンドが把握できるというわけだ。 「……んー」思わず唸った。 これはあくまで私の想像に過ぎないのだけど、莉沙が喜ぶものとは思えないと感じたからだ。 美容グッズ。そういうガラではない気がする。 アロマグッズ。こういうのは寧子あたりが喜びそうだ。 入浴剤。だめ、使っている所が想像できない。 マッサージグッズ。それくらい私が覚えてやるわ。 安眠グッズ。これは普通に喜びそうな気がするけど……私が妬いてしまいそうだから却下。 ……とまあ、なかなかしっくりくるものがない。 案外莉沙は喜んでくれるかもしれないけれど、あくまでプレゼントするのは私だ。 私が納得できなきゃ意味がない。 そう、私を納得させなければならない。 私を納得させるにはどうしたらいいか……考える。 ……そうだ、そもそも機械的に集計したデータだけを鵜呑みにするべきではない。 こういう興味深いデータが得られた、じゃあその次は? 集まったデータを別の面から検証して、信憑性を高めるべきではないか。 真剣に取り組むのであれば、物事を一点から見ているだけではだめ。 生のデータを見にいこう。 私はささっと支度を済ませ、外へ出る事にした。 駅前のデパートに行き、私自身の目で確かめてやるのだ。 でも、何故だろう……心の奥底では、その結論に納得できていないような気がした。 ◆ ◆ ◆ 私は外に出てすぐに若干の後悔をする事になった。 寒い。とにかく寒い。 それなりに厚着はしてきたし、化粧も少し手間をかけたはずなんだけどなぁ。 ……別に化粧に防寒効果があると思ってはいないけど。 時計代わりの携帯電話を確認すると、画面には12:30と表示されている。 折角だからモバイルブラウザの天気予報を開いてみるかな。 数秒の後、表示されたのは「最高気温9度」という絶望的な文字列であり、またしても自分の行動を後悔した。 そんな情報を得たら余計に寒くなるに決まっているのに。 現代はボタン一つで不要な情報がどんどん入ってくるから困る。 まあ、現代というか完全に私のせいなんだけど、うん。 もう、さっさと目的のデパートに入って、この顔を刺すような寒さから解放されよう。 冬は厚着をすればいいけど夏は裸になっても暑い、なんて言葉を聞いた事があるけど、冬だって厚着をしても寒いんだから。 「ふぅぅ」デパート内の生温かい空気を感じながら、冷たい息を吐き出した。 まだ昼なのにもかかわらず、背後の自動ドアは閉じる事を知らない。 前方のエスカレーターの左側には2段中1段の割合で人が乗っているし、右側の服屋では数少ない店員が右往左往しているし、左側に見えるカフェのテーブルに空席は見えない。 そういえば昼時。カフェが満席なのは納得だけど……。 みんな12月だからって浮かれすぎなんじゃないだろうか。 これが夕方にかけて更に混むと考えるととんでもないなぁ。 でも、この状況は私にとっては好都合。 なにせこれから、プレゼントが本当に売れているのかをその目で確認しないといけないのだ。 人が少ないと、私が長時間留まっているのを不自然に思う店員が出てくるかもしれないし。 ちょうどカフェのテーブルが1つ空いたので、そこで適当に腹ごしらえする事に決めた。 クワトロベリーのパンケーキはすごい。 実物は写真と違って遙かにおいしそうに見えるし、実際に食べる事ができるのだ。 パンと名のつく割にプリンのような食感。噛む毎に押し寄せる暴力的な甘さ。たまらない。 ……うーん、まずいなあ……別にパンがまずいのではなく……何というか知能の低下を感じる……しかしこんなにおいしいものが駅前にあったとは……。 是非家でこの味を再現してみたいところだけど、一体どうやればこの味が出るのか見当も付かない。 それはともかく、だ。 さっきから横で私の方をじっと見てくる奴は何なんだ? 私がパンケーキを食べているのがそんなに面白いのか……? むしろ、周りを観察しないといけないのは私の方なんだけど。 このおいしいパンケーキを食べている間にもさり気なく周りの人々の動向を見回していたおかげで、横に座る男の行為に気付いたわけだし。 そろそろ気になって仕方が無いので、聞いてみる事にした。 「なんなんですか?さっきから」露骨に嫌悪感を出して言った。 すると男は飄々としながら答えた。 「おっと、すみません。店内で何か気になるものでもあるのかな、と思いまして」 意外。 どうやら、私が店内を眺めていたのを気にしていたらしい。 やましい事をしているわけではないので、素直に話しておくかな。 「別に。どういうのが流行ってるのかな、と思って、眺めていただけなんですけど」 携帯電話の画面に表示されているメモを見直しつつ答える。 「なるほど。あそこはリビング雑貨のお店ですね。ギフトのサービスなんかもやっていますが……」 ギフトと聞いて、偶然とはいえ心を見透かされているような思いだった。 「ひょっとして贈り物でお悩みですか?」 「……」 肯定したら負けのような気がするけど、沈黙は何よりも雄弁な回答という言葉もあるのよねえ……。 「しかし、まるでここのスタッフのような口ぶりね」話題を変えようと思い、さっきから気になっていた疑問をぶつけた。 男は一瞬の逡巡の後、あまり大きな声では言えないんですけどね、と付け加えてからそれを肯定した。 「今日は休みなんですけどね……気がついたらここに来てしまって」と自嘲気味に話す。 「気がついたら、ねえ」 なんだこいつ、仕事人間か。いわゆる、ワーカホリックってやつなのか。 休日にわざわざ自分の職場に来るなんて……家に居場所がないのか? 話を聞いてみると、どうやら私の予想は当たっていたらしい事が分かった。 あまりに仕事熱心なため、家族との関係もあまり良好とは言えないらしい。 で、せっかくだから休日は職場であるここを徘徊し、困っている人などを見かけたら案内をしているんだとか。 フロアマネージャである彼にとっては、庭のようなものらしい。 「それなら、わざわざ平日に休みなんて取らなくても良いのに……働いてれば?」 「上の方から有給の消化をするように指示が来てしまいましてね……ははは」 こういう話を聞くと、改めて私が組織というものに向いていない事を再確認してしまう。 「そりゃ、ままならないものね」私は率直な感想を述べた。 しかし、こんな所でいつまでも話をしている場合ではない。 腹ごしらえ(にしてはやや物足りないというか可愛すぎたけど)も済んだことだし、別の階も見てこないといけないからだ。 というわけで席を立とうとしたら、「あの」と呼び止められた。 「私、こういう者です。何かお困りでしたら、どうぞお気軽にご連絡を……」 男は去り際にお手本のような動作で名刺を渡してきた。 私も昔、名刺の受け取り方とかなんとか習ったような記憶があるが、そういうしがらみから外れた身だ。 とはいえ、少しではあるが会話を交わした相手。 適当に受け取るのも何となく失礼な気がしたので、とりあえず両手で受け取っておけばいいだろうと思い、名刺を手に取った。 「じゃあ私はこれで」引き留められても面倒なので、そう言ってささっとこの場を離れる事にした。 それから、私はメモしておいた贈り物に適した商品リストを見ながら、各階の買い物客達の動向を確認して回った。 結論から言ってしまえば、得られたデータは概ね機械的に集計した結果を裏付けるものばかりだった。 ここまで一致しているとは……ネット恐るべし、である。 ビッグデータやら何やらで盛り上がるのも納得というべきか。 怖いくらい一致しているので、もう別にいいかなぁと思って普通に自分の買い物をしていた。 このタマゴ的なやつを湯船に入れると面白いらしいので、今度試してみたい。 結局、莉沙へのプレゼントは買わなかった。 まだクリスマスまで期間はあるし、ゆっくり決めればいいと思った。 大体、集計結果を裏付けるデータが取れたとはいえ、私1人が目視した範囲にすぎない。 たまたま売れている場面ばかり見ただけなのかもしれない、という事が引っかかっていた。 今日やった事を全否定するような話だが、引っかかるものは引っかかる、これは性分だから仕方がない。 果たして今日の私の行動に意味はあったのか……? 携帯電話を確認すると、画面右上に17:30と表示されている。 その左にあるバッテリー残量を示す四角いアイコンが3つから2つに減っているあたりで、珍しく(メモ機能を)酷使したのが分かる。 ちょっと早いけど、そろそろ帰って夕飯の準備でもしておくか? と考えたところで、ふと思い出した。 さっきの名刺……。 バッグに放り込んだままだったけど、一応確認しておくかな。 肩書きをみたところ、話の通り本当にフロアマネージャのようだ。 見たところ私よりも4~5くらい上?で、その肩書きにしては比較的若いように思えた。 その割に、私のような一般客に有給がどうのと内情を喋るわ、家庭事情は芳しくないわで……。 「ん?」 これは、もしかしたら使えるかもしれない。 だめでもともとだが、うまくいけば面白い情報が手に入りそうだ。 こんな寒い日にわざわざ外に出たのにも意味があったらしい。 と、その前にまずは夕飯の用意。やることやってからやりたいことをやるとしよう。 私は近所のスーパーへと向かった。 ◆ ◆ ◆ 莉沙の帰りは今日も遅かった。 いつものようにクライアントに振り回されていた、そういう時に限ってPCが3回もフリーズした、等色々と嘆いていた。 夕飯はクリームシチューにしたのだけど、文句の一つもつけずに黙々と食べていたので、多分喜んでくれたんじゃないかと思う。 いや、文句を言う気力もなかったのか?それだとしたら二重の意味で嫌だなぁ。 食事を終えた莉沙は、今までの動きから想像もつかない程の俊敏さでベッドにダイブし、TVを見始める。 そうそう、疲れている時くらい甘えてくれてよろしい。 私が食器類を片付け終えた頃には、時計の針は夜の11時を回っていた。 ……メールを見るとしたら、そろそろだろうか。 スリープにしていたThinkPadを立ち上げてGmailの画面を開くと、予想通り新しいメールが来ていた。 「ふーむ」 夕飯を作り始める前に私が出しておいたメールに対しての返信、という形で届いている。 ----- 松崎 雅俊 <wait-the-tree@xxxxxx.co.jp> To 自分 12月10日 島崎 方美さん 初めまして、松崎です。 こちらこそご連絡ありがとうございます。 意外とかわいらしいメールなんですね(笑) [……](省略) 2015年12月10日 18:49 島崎 方美 <shimasakikatami@gmail.com> > 松崎さん > > 今日はありがとうございました。 > せっかくなので連絡してみました★ > あのお店はよく通っているので、お世話になる事があれば > その時はよろしくお願いします(^o^)/ ----- ……………………。 メーラーの設定次第で、返信するメールの本文をそのまま下に残すというのはよくある事だ。 昔ガラケーを使っていた友達にそれをやったら、パケ代が勿体ないとかで削れと言われた記憶はあるけれど。 今の時代そんな事を気にする人はほぼ居ないと言って良いだろう。 だからこそ相手から来たメールには私が送った本文が残っているわけだが。 ちなみに島崎方美とは、私がGmailでメールをやりとりする時の偽名である。 いわゆるアナグラムってやつだ。 それにしても……こうして改めて見返してみると、殺意が湧いてくるな。 実は絵文字なんかもふんだんに使っていて、更に賑やかな事になっていたりする。 今後も――長くても2週間弱とはいえ――メールのやりとりをしていかないといけないというのに、自分でハードルを上げてしまった。 何でかって、彼とはある程度仲良くなって……というか、信頼を得ておく必要があるのだ。 本当の情報を引き出すために。 それにしてもなぁ……ほんと、余計な事ばっかりしてしまう一日だった。 ThinkPadを閉じて、カチッという音を鳴らすと、思わず溜め息が漏れる。 既にベッドで寝息を立てている莉沙の邪魔にならないようゆっくりと布団を被り、電気を消した。 そして……あの手の文章を自動生成するようなスクリプトを組むのと、2週間悩み続けるのとどっちが早いだろうか、と考えていたらいつの間にか眠りに落ちていた。 ◆ ◆ ◆ それから何日かはあっという間に過ぎていった。 メールのやりとりは続けたし、必要であれば実際に会いにデパートへと足を運んだ。 もちろん、その際は服装や化粧にも気を遣った。 気を遣いすぎて莉沙から「なんだか最近……なんというか……ううん……テカテカしてますよね?」とか意味不明な事を膨れ顔で言われたりしたくらいだ。 今考えてみても意味が分からない。 ちなみに懸念事項だったメールの本文だが、5~6割くらいは機械的に生成する事に成功した。 先日作ったクローラーを応用して学習用の文字列を収集し、そこから適当に繋ぎ合わせるようにプログラムを作り替えたところ、なんだかそれっぽい文章を作る事はできたのだ。 あとは手動で辻褄を合わせてしまえばOK。 ここを自動化しようと思ったら、それはもう人工知能を作るってレベルの話になってくるから。 12月23日、火曜日・祝日。 件のマネージャさんから来たメールを読んで、確信した。 そろそろいけるんじゃないか。 家にいるうちにコツコツ書き続けていたバックドアを送りつける時が来た。 これまでのメールのやりとりの中で彼から聞き出した(それと、勝手に吸い出した)いくつかの情報を元に、彼の職場端末が接続されているネットワーク・サーバ環境を予想し、仮想環境上に構築。 一応その環境下ではうまいこと動作したので、何とかなるだろう。 あとは、この実行ファイルをUnicode制御文字・RLOを利用して適当な画像ファイルに偽装。 飼っている鳥の画像を撮ってみた、とでも書けば開いてくれるだろう。 送信、と。 彼がこのメールを確認するのは、営業時間終了後だ。 祝日とはいえ、クリスマス商戦ということで休みは無いのだろう(ちなみに莉沙も休日出勤だそうだ)。 今はまだ朝の10時を過ぎたばかり。 最近2日に1回は通ってしまっている、件のデパートでも覗きにいくかな。 今回の計画を思い立ってから最初に訪れた時と比べると、店内はますますクリスマスムードに支配されているように感じる。 でも、あと数日もしたら、謹賀新年的なオブジェクトの数々が店内を覆い尽くしているのだ。 もはや見飽きた商品棚をぼーっと眺めつつ、それらを用意する人々の事を考えていたのだけど、その思考は「あー、みさきちー」という聞き覚えのある声によって遮断された。 「あれ」振り向いてみると意外な人物から声を掛けられた事が分かった。「奇遇ね」 寧子だ。そういえば彼女、なかなか物事が続かないとかで定職に就いていないのだ。 その点では私と同じだが、まともに(数ヶ月おきに辞めるのをまともと言うのなら、だが)バイトをしているという点で違う。 そんなわけで、別にここで会ってもおかしくはないわけだ。それに今日、祝日だし。 「うんうん」 寧子は両手いっぱいに紙袋を抱えている。このデパートのものだ。 「それ、何買ったの?」私は数々の荷物を指しながら聞いた。 「え?がんばった自分へのご褒美だけど?」 「あーそういうやつか……はいはい」 なるほどそういう子だった。 「みさきちゃんはどうしたの?出かけるなんて珍しいよね」 「ちょっと調べ物でね」 と言ってみたものの、別に調べ物をしているわけではない。 今回の場合、調べ物をしていた、と言うのが正しいだろう。 「いっつもネットで何でも調べちゃうのに?」 「私だって必要があれば外に行くって」 「そうなんだ。じゃあ、珍しいところ見ちゃったね」寧子はそう言いながら私をまじまじと見てくる。 そこまで引きこもりキャラに思われていたのか……?と考えていると。 「そろそろクリスマスだよねぇ」寧子が呟く。 「最近、毎日がクリスマスのようだったけどね」 ま、確実にここに通っていたせいなんだけど。 「莉沙ちゃんにさ、なんかプレゼントとかあげたりしないの?」 「へ」 思わず変な声が出てしまった。寧子はたまに妙な所で鋭いから侮れない。 「んー、考えてなかったな……」何となく図星だと思われるのが嫌で、咄嗟にそう答えた。 「LINEでよく愚痴ってるからねー、みさきちからなんかあげたら喜ぶんじゃないかな」 「LINEで?」 「グループのやつで」 「むぅ、私には何も言わないくせに」 「心配して欲しくないんじゃないかな?」 「いや、あれは明らかに心配して欲しいって感じの態度よ。それはない」 「そ、そうなんだ……」 その後も5分程近況やらの話をして、寧子とは別れた。 それほど暇潰しにはならなかったが、気持ちの整理はできた、と思う。 やはり莉沙へのプレゼントは、私にとって大事なものだ。 今回の件は失敗するわけにはいかない……。 それからしばらくの間、デパートを彷徨いつつ脳内シミュレーションを繰り返していた。 ◆ ◆ ◆ 「……なんか、ぼーっとしてません?」莉沙が飯をつつきながら言った。 「そんな事ないって」 「ほんとですかぁ?」 「考え事してただけだから」 「なるほど就職活動ですか、感心ですね」 「すると思った?」 「自信満々に言うのやめてください地雷です」 「あ、めんどくさい人になった」 結論から言ってしまえば、脳内シミュレーションを繰り返した結果なんと知恵熱が出た。 夕食を作っている時が一番死にかけていたけど、今はさほどでもないところまで回復したつもりだ。 どんだけ考えてたんだ、私は……。 時計を確認すると、針は22時15分を指していた。 未だに頭が熱っぽいのだけど、そろそろ良い時間だ。 私はThinkPadを立ち上げ、個人的にカモと呼んでいるとあるサーバに接続した。 このサーバ、そこそこ知名度のあるケーキ屋が運営しているのだけど、サーバ周りを任せた業者がゴミだったらしく私でも容易にSSHでログインできるようになっていた。 IP制限くらいしておくべきだと思うの。 まあされてないから便利に使っているのだけど。 何故このケーキ屋のサーバに繋ぐのかというと、ここのApacheログにデパートのサーバへのログイン情報が書き込まれるからだ。 ログイン情報というか、ログイン情報を記載したファイルのURLが書き込まれるようになっている。 午前中に彼へ送りつけたファイルは、実行されると表側では普通に画像(鳥の)を表示する。 裏側では、マシンのパフォーマンスを低下させないよう負荷を抑えつつ、外部から接続できるサーバを立てる。 そのサーバへの接続情報を書き込んだテキストファイルを、表側で表示した鳥のJPEG画像に埋め込む。 その画像をimgurのAPIを叩いてアップロードし、アップロードした画像のURLをクエリ文字列としてケーキ屋のWebサイトにアクセスする。 つまり、 tail -f access_log | grep imgur でアクセスログを監視しておけば、処理が完了次第接続情報を取得できるわけだ。 その接続情報をもとにケーキ屋のサーバから接続を試みると、件のマネージャが使っているPCで動作するバックドアに繋がり、内蔵のSSHクライアントを使ってネットワーク上の端末にアクセスできるようになる。 こうすれば、私とデパートの繋がりは限りなく稀薄なまま情報を一方的に得られる。 ログはケーキ屋のサーバに残るが、rootが取れているので削除してしまえば万が一の時も問題ないというわけ。 持つべきものはゆるいサーバってやつだ。 私は予定通りバックドアを通じて彼の端末に接続し、データベースサーバを確認した。 予想通りrootのパスワードなしで運用されていたデータベースのダンプを取る事は容易だった。 あとはダンプを圧縮して先程の画像データに埋め込み、imgurへアップロード。 この作業の間、彼がPCをシャットダウンしてしまう事だけが懸念だったものの、杞憂に終わった。 これなら念のためスタートアップに仕掛けておいた設定も、消してしまって大丈夫そうだ。 ささっと侵入(これだけがら空きなサーバなら侵入より訪問と呼んでもいいんじゃのかと常々思っているけど)の後始末を済ませた後、先程取得したデータベースのダンプを確認した。 あとはこれをローカル環境に新規作成したデータベースに流し込んで、と。 売り上げのデータは、当然ながら顧客情報と結びついていた。 「うわ……」まあ、こういうデータを見るのは1度目ではないが。 データそのものというよりは、こういう杜撰な管理をしているという事実には辟易してしまう。 でも、流石に私の中のチキンハートが目覚めてしまって、プライマリキーと性別と年齢だけ残して後は全てのカラムをALTER TABLE DROPした。 必要なものだけ手に入れればそれいいの。うん。 商品マスタテーブルを発見し、これと売り上げ、最低限の顧客情報を結合して集計クエリを走らせる。 膨大な数のデータとはいえ、集計自体は2分程度で完了した。 しかし、集計結果から分かるのは商品名だけ。 それがどのような類の商品なのかは、商品名で検索してみないと分からないものもある。 商品タイプやら商品カテゴリのようなカラムがマスタに存在するはずなのだが、その値の意味するところが分からないので、当然といえば当然だ。 地道にやってくしかないか……。 必要なデータが手に入り、後は分からない商品をググっていくだけの簡単な作業となったところで、じわじわと眠気が襲ってきた。 頭が熱く、意識は朦朧としてきているのが分かる。 凄いな私……こんな状況でさっきまで作業していたのか……。 視界が明滅を繰り返し、それでも指だけが動いている感覚を味わった後、ふっと意識が途切れた。 ◆ ◆ ◆ 「起きて、起きて下さい」 がくがくと身体を揺さぶられて眠りから覚める。 「ん……」 「もう7時ですよ」 「んえ?……あっ」瞬時に頭を上げた途端、後頭部に鈍痛が走り背後から「ぐふう」という声。 「つつつ……急に動かないで下さい……」 「ご、ごめん」莉沙の顎にぶつけてしまったらしい。 私は何をしていたんだっけ? PCが開いたままになっているけど――― 「あのですね」莉沙が顎を片手でさすりながら言う。「プレゼントをしてくれるのは、その、嬉しいですけど」 え? 「それを決めるのでここまで悩むくらいなら、もういっそ適当に決めればいいんじゃないですか」 彼女はそう言ってそっぽを向き、淡々と朝飯(といってもフルグラのようだが)の準備を始める。 何でバレてる? おかしいな、百歩譲って私が寝落ちていたとして、PCはスリープ状態(寝落ちだけに)になっていたはず……と思って画面を見ると。 dddddddddddddddddddddddddddddddddddddddddd... という文字列がブラウザの検索窓に残っているのを確認し、全てを理解した。 あー、もう。かっこわるいな私! 半ば自暴自棄になりつつ、集計結果を書き込んだテーブルに対して適当なクエリをぶちこんだ。 SELECT * FROM PRODUCT_RESULT ORDER BY RAND() LIMIT 0, 1; ◆ ◆ ◆ 「で、これがその……?」 同日夜、私はいつもより早めに(定時だろうか)帰ってきた莉沙にプレゼントを手渡していた。 本当は25日に渡すつもりだったけど、ばれてしまったのでもういいかな……と思ったから。 椅子に座り、ゆっくり箱を開けるのを眺めている時間は、公開処刑のように感じられた。 中身を取り出して手に取る莉沙。 「ふむふむ、花の髪飾りですか」と、わざとらしく言ってくる。 「……」 「なかなか意外なチョイスですねぇ」 そりゃ、ランダムで選ばれたものだからね。 「私がつけるのにはちょっと派手気味な感じもしますけど……」 彼女はそれを興味深げに見つめながら、左耳の後ろに挿していた。 「こうして実際につけてみると、自分で言うのもなんですけど似合ってる気がしますね」 そう言って微笑んでくれた。 それは、彼女の久しぶりに見る笑顔だった。 「ちなみに、莉沙からは何かあったり……?」と少しだけ期待を込めて言ってみると。 「就職祝いに特大のものを用意しますよ」 「それは貰えそうにないな……残念……」 「あのですねえ」 おしまい。