高嶋雅咲のニート生活 #4 雅咲と蛇のゲーム

SNSからどれくらいの情報が得られるか、知っているだろうか。 いや、価値ある情報、と言った方が適切か。 少し前に流行った、ビッグデータという言葉があるが、そういったものを扱うような組織であればともかく。 個人単位で単純に膨大な量のデータを集めてみたところで、結局のところ、解析して有意な情報が得られなければそれはゴミ同然のものだ。 そもそも、SNSの情報はノイズに満ちている。元からゴミ溜めのようなものだ。 しかし、ソーシャルという単語を冠する以上、そこには本人と社会を結びつける多くの情報が隠されていて。 人々が知らず知らずのうちに発信している、いくつものリアル。 全ての断片が揃った時、見えてくるものは何? 私の名前は高嶋雅咲。 歳はもう数えなくていいと思うんで省略するとして、と。 数年前より(これもいつか十数年前になるのかもしれないと思うと、末恐ろしいものがある)親友の風見莉沙宅で同居生活をしている。 これが意外と快適だったりするのだ。 もう少し私がまっとうに働ける社会であったなら、バタフライ効果か何かで私の生活も全然違うものになっていたかもしれないが……まあ、仮定の話をしても仕方がないだろう。 そういうわけで、今日もニート生活を満喫していた。 「……そういうわけでじゃないんですよ、あと、十数年にもなったら困ります」 莉沙が、PCに向かいながらも文句を言葉を飛ばしてくる。 月曜日から家に仕事を持ち帰って何やら作業をしているらしい。 Webデザイナーっていうのは家でも仕事ができてしまうから、大変そうだなぁと感じる。 PCで作業するタイプの仕事って、環境さえ整っていればそういうのが多いんだろうなぁ。 私、働いてないからよく分からないけど。 世の中便利になったのやら、辛くなったのやら……。 お茶でもいれてあげようかしら、と思い私はベッドから起き上がった。 それにしても毎度のように心を読んで突っ込みを入れてくるの、地味に心臓に悪いからやめてくれないかな。 さて、先日私がTwitterに登録してから1週間が経った。 目的はというと、「仕事」を受け付ける為で……おっと。 ニート生活と言ったにも関わらず、仕事とは一体どういうことか、と思うかもしれない。 そもそも私だって一応は仕事をしているつもりだ。 ただ彼女が――莉沙がこれを認めてくれないだけの事であって。 その内容は、簡潔に言えばお悩み相談室。探偵、と言うほどでもないので敢えてそう表現しよう。 だいたい、探偵なら、この間こわーい人を敵?に回してしまった事だし。 話を戻すか。 Twitterに登録後、私はとある事件を解決したことでぽつぽつとフォロワーが増え始めていた。 もちろん、ただ登録しただけでフォロワーが増えるわけがない。 初めての依頼人が広告塔となってくれたのが大きいと言える。 まあ、それでもなかなか依頼なんて来ないもので―― ぶーぶー、と、テーブルに置いていた携帯が震えた。 どうやらメールが来たらしい。 Twitterに登録してからというもの、通知を携帯に送るようにしたので、こういう事が増えた。 「そろそろスマホにしましょうよ。プッシュ通知のほうが気が楽だと思いますけど」 対面で私のいれたお茶を飲んでいた莉沙が、コップを手に言った。 「いいの。これは宗教上の理由」 「空飛ぶガラパゴスモンスター教か何かですか?」 「そんな感じだと思ってくれればいい」 「はあ」 メールを確認する。 フォロワーが増えた時の通知は、いい加減切ってもいいかな――と思った矢先であった。 「お、DMきてる」 「DM、ってことはついに依頼ですか」 「そうそう」 依頼だと判断するのは早計ではあるけど。冷やかしかもしれないし。まあ、希望的観測ということで。 私はテーブルの端に置きっぱなしにしていた、愛用のThinkPadを開いた。 この間莉沙が派手に紅茶をこぼしてきたためか、仄かにいい匂いがする。 莉沙の方を見ると、私の顔に何かついてますか?とでも言いたげな顔をされた。 まあ、砂糖が入ってなかったから何とかなったし、別にいいけど。 「これか」 「え、どれどれ、見せてください」 莉沙が興味深々といった様子で画面を見たがるので、ThinkPadをテーブルの端に置き角度を変え、2人で見られるようにした。 「おおー、この @anemone1013 ってアカウントの方ですね」 一応、そいつにはアネという名前が設定されているのだけど、どうやら莉沙はスクリーンネームの方で判断するのが癖らしい。 名前はみんなしてすぐ変えてしまうから、とかなんとか言っていたな……。 フォロー数が1桁の私にはあまりぴんとこない話だ。 「早く内容を確認してみましょうよ」と莉沙に促されるがままにDMを開いてみることにした。 それは、次のような内容だった。 --------------------- みさきさん、こんにちわ。 早速ですが依頼させていただきます。 @quartz0118 ←この人の素性を特定してほしいのです。 報酬はしっかり払います。 よろしくお願いします。 --------------------- 「なるほどね」つまり、こいつは。「ストーカーか何かか?」 「そうですねえ……」莉沙も同意見のようだった。「受けるんです?こんなの」 「簡単そうだし、ね。とりあえず受けるだけ受けてみるわ」 「うわ、相変わらず外道ですね貴女は」 「外道とはなんだ外道とは」 まあ、真っ向から否定はできないな、流石に。 この件については、前回と違って解決事例に加える事ができるかどうか微妙なところだなぁ、と思ってしまう時点で。 こういう事ばっかりしてますって思われるのも心外だし……やめておこう。 それでも宣伝効果はないだろうが金にはなる、というわけで受ける事にしたのだけど……いくつか確認しておかねばならない。 私は返事を送った。 --------------------- どうも。 依頼の件、承ります。 が、素性というのがどの程度なのか分かりかねるので、詳しく教えてもらえますか。 --------------------- 「わー、本当に受けちゃうんですね」 「もちろんよ。でもこれは聞いておきたくてね。どの程度まで深く調べりゃいいのかって話」 返事が来るまでの間、調査対象のアカウントを確認してみることにした。 ツイートの傾向から、どうもITエンジニアっぽい。 しかもツイート頻度はかなり高く、写真もよく上げている。見た感じ、これは……。 「大して難しくはなさそう。本名特定までいけるかな」 「え、これでですか!?」莉沙が驚きの声を上げた。 これだけのデータが揃っているなら、その一つ一つを繋げていけばある程度の所まではいける。 そう、ある程度の所までは。 「ちょっとばかりお手伝いが必要だけどね」 「わ、私はやりませんからね?」 「分かってるって」 一応、手伝い要員のアテはある。それはもうこのために生まれてきたかのような適任者が。 莉沙は、休憩は終わったとばかりに自分のPCの方へ戻っていった。 私がThinkPadの画面を再び自分の方に向けると、ちょうどDMの返信が来たところだった。 --------------------- 趣味とかは必要ないので、名前とか住所、勤務先、などなど本人に会えるような情報が用意できればいいです。 全部は無理でも分かるところまでで構いません。 よろしくお願いします。 --------------------- 実に常識的な返信速度をみて、この間は異常だったなぁ、と改めて思うのだった。 内容も「とにかく会いたい」といったもので、ここまでくると逆に潔い。 一体何があったんだろうか。 この時は「個人の問題だから」と考えないようにしていたのだけど、それが間違いだと気付いたのはだいぶ後になってからのことだった。 相手が知りたい情報は分かった。 後は報酬についての相談をすればいい。 私は、成功報酬型で構わないという事・分かった情報の質に応じて要求する事・本人の素性特定において決定的な情報が見つかった場合の額を伝え、無事に納得してもらった。 実際の調査は明日の朝にでも始めるとしようか。あの子のスケジュールも確認しないといけないし。 私は前回の依頼人―――金子詩恵へのメールを書き始めた。 ◆ ◆ ◆ 翌朝。 2人が眠るベッドの上、私にだけ聴こえる音量のアラームが鳴って目覚めた。 「……ねむ」 今日は平日。 私はいつものように朝食を用意しなければならないわけだが。 「なんだってあんなにどうでもいいメールを送ってくるのよ、あの子は」 昨晩は、金子詩恵の予定を確認をしておこうと思い、こんなやりとりをしていたのだ。 【明日1月26日、予定空いてる?ちょっと例のものを使って頼み事するかもしれない。充電もしておいてほしい。】 《大丈夫です。あの眼鏡みたいなやつですね。あれっていくらするんですか?すごく高そうですけど。》 【OK。頼んでおいて言うのもなんだけど、大学の方は大丈夫なの?】 《はい、講義はありますけど別に出なくてもお友達に教えてもらえます。蒲田冴ちゃんって言うんですけどすっごく頼りになるんですよ。》 【いや別に聞いてないから。まあ大丈夫なら良かった。報酬もちゃんと振り込んでおくから。】 《ありがとうございます。助かります。ところで知ってました?この間おいしい鶏肉の店を見つけたんですけど、なんと食べログで評価が4.2もあるんですよ。》 …… 本来の要件を終えたあとも、そんな感じのメールを延々と送ってきた。 メールを遡っていると、見覚えのない内容のメールを発見。時刻を確認すると2:42と書かれていた。 「ってことはだいたいその辺までは起きてたってわけか、私……」 あの子、いざ対面すると一言もまともに喋りもしないくせに……まあいい。 私は私で先に調査を済ませておかないといけないのだから。 目覚ましも兼ねて、直近の仕事である朝食作りを始めることにした。 ◆ ◆ ◆ 「はあ……会社とか私が天羽々斬さえ手に入れれば気持ちよく切り刻めるんですからね……」 何かよくわからない呪詛を吐きながら家を出る莉沙を見送り、私は扉の鍵を締めた。 だいたい莉沙なんかが刀を振るえるのだろうか。 ……いやしかし、筋金入りの刀好きだし、案外あり得るな。 私に内緒でどっか通ってたりして。ジムとかで、屈強なトレーナーに鍛えてもらってたりして。 ぐぬぬ、嫉妬。 ……それより今は調査だ。 私は頭を振って気持ちを切り替え、テーブルのThinkPadを開いた。 そして、ターゲットのツイートを遡っていく。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月25日 おきた --------------------- 「1月25日」の部分にマウスカーソルを合わせると、「6:53 - 2016年1月25日」と表示された。 更に遡るとこんなツイートも見つけた。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月25日 寝るかー --------------------- 先程と同様に時間を確認してみると、どうやら日付が変わった頃に寝ているらしい。 他の日もいくつか確認してみたが、概ね規則正しい生活を送っている事が分かった。 数年ほど前の私自身の事を思い出す。これはいかにも普通の会社員っぽいな。 しかし、起床・就寝時間だけでは流石に個人の特定は不可能。 そこで注目すべきは起きてからの行動だ。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月18日 まーた遅延なう。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月18日 人がすごい --------------------- これは……電車の遅延か。 「人がすごい」のツイートには、混雑するホームの写真が掲載されている。 人の顔なんかには、丁寧にぼかし処理を入れてあるようで。 これはスマホのアプリにそういうのでもあるんだろうか? そこまでして写真を上げたいのか……私にはよくわからないな……。 だが、これは重要なヒントだ。 他にも遅延情報をツイートしていたりしないか? --------------------- 石英 @quartz0118 1月17日 遅延してるわ --------------------- 石英 @quartz0118 1月15日 電車こねえと思ったら混んでる --------------------- 石英 @quartz0118 1月14日 いつものように遅延なう。 --------------------- 別の日を調べてみると、こんな感じのツイートがちらほらと。 こいつの使ってる路線はどんだけ遅延してるんだ……? まあ、分かりやすいのは助かる。何しろ、JRはWeb上で過去30日分の遅延履歴を提供している。 遅延のたびにツイートしていると仮定すれば、JRが提供する遅延情報からこいつが普段利用する路線が分かるというわけだ。 とりあえず一ヶ月分のツイートと遅延情報を比較してみたところ、ほぼ100%一致しているのはJR東日本の中央快速線だと分かった。 何故JR東日本で調べたかって、これだけ頻繁に遅延するからには都会住みの可能性が高いと思ったのと、何よりプロフィールの「現在地」の項目に東京都と書いてあったからだ。 他にもこんなツイートを発見した。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月20日 やっと中野だよ --------------------- これは中野駅で降りたという事か、それとも中野駅を通ったという事か。 前者なら分かりやすいが、私の予想では恐らく後者だ。 ツイートの傾向から察するに、こいつはギリギリのところで個人情報に繋がるものを晒していない「つもり」になっている。 だから、直接特定に繋がるような情報は避けるはずだ。 中野駅は乗入路線が3つあるが、先程の遅延情報から中央快速線だと特定できている。 つまり、中央快速線のうち中野駅を通る何処かという事になるのだ。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月20日 ついた。走らんとやばいな --------------------- うーむ、これがTwitter廃人というやつか、と見ていて思った。 これじゃあもはや、日常生活の実況だ。 「やっと中野だよ」というツイートとの間隔は20分ちょい。 ということは、中野から20分離れた場所で降りたという事……にはらない。何しろ、遅延しているのだから。 そこで、JR東日本のサイトを改めて確認し、最大遅延時間を加味して考えると……。 「このあたりが怪しいな」 吉祥寺駅だ。 東京駅方面も考えてみたものの、どうにも時間が合わなかったので、消去法だ。 しかし、これだけではどうにも情報として弱いな……ちょっと補強してみるか。 別の日のツイートを探す事にした。 --------------------- 石英 @quartz0118 12月8日 雨なう --------------------- そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。 日本気象協会のサイトには、過去の雨雲の画像が保存されている。 あとはこいつのツイート情報と照らし合わせてみれば、位置情報が埋め込まれていなくともツイートした場所は絞れるってわけだ。 そこそこ根気の要る作業だなとは思ったが、6つほど調べてみたところ運良く特定できる画像を発見できた。 やはり吉祥寺駅で間違いなさそうだ。 さて、ここで1月20日のツイートに戻る。 こいつはどうやら走って会社に向かったらしいのだが……。 ご丁寧にこんなツイートまで残してくれていた。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月20日 ぎりぎり間に合った。よしよし --------------------- よしよしはこっちの台詞だ。 「(駅に)ついた」ツイートと、「(会社に)間に合った」ツイートの時刻の差分に、駅構内で使った時間を足す。 そうすると、駅から会社までの所要時間が得られるというわけだ。 が。 「ここまでかな」 そう、ここでネットでの調査だけでは問題が出てくる。 駅構内から外に出るまでどれくらい掛かるかが分からないという事と、駅から会社までの所要時間でどれくらい歩けるかという事だ。 後者についてはGoogle Mapsを使えば推測できなくもないのだが、地図の予想歩行時間を私は当てにしていない。 つまり、ここからは彼女の出番だ。 私は携帯を手に取った。 「もしもし」 「……」 返事はない。あ、そうか。私は電話を切り、改めてメールを打った。 もう、これがちょっとめんどくさいのが難点だな。 【早速だけど、あれ持って出発して。場所は吉祥寺駅。駅についたら一旦待機。あれの電源入れたら、この間教えた通りに連絡よろしくね。】 《了解ですボス!》 随分と楽しそうだなぁ。ま、渋々やられるよりは気分がいい、か。 そのテンションで肉声で話してくれないかしらね。 ◆ ◆ ◆ 新しい紅茶を沸かしている間に、軽く一服。 莉沙がいたら火から離れるなーとか怒られるところだけど、ベランダで煙草の火につきっきりになっているのだから、許してくれるはずだ。 しっかし、まだまだ外は肌寒いな……1月だし当然か。 あの子はまあ、どうせいつもの「雪国から来ました」とでも言わんばかりの格好して外へ出たんだろうし、心配する事もあるまい。 「そろそろかしらね」 私は火を灰皿に押し付けると、煙が入らないよう注意しながらベランダから部屋に戻った。 仄かに紅茶のいい匂いがした。 《今、吉祥寺につきました》 ティーカップに口をつけつつThinkPadの画面を確認すると、丁度メッセンジャーへ連絡が来ていた。 このメッセンジャーにチャットが来たという事は、彼女はあれの使い方をきちんと覚えていたらしい。教えればちゃんと覚えてくれる子だな。 【おっけー。いま、駅のホーム?もし改札までいっちゃってたら、駅のホームまで戻って、それから連絡お願い】 送信、と。 こうすると、さっきから言っている「あれ」――彼女がつけている改造済Google Glassの画面に、文字が映し出される。 ちなみに彼女はどうやって文字を入力しているのかというと、眼鏡に映し出された画面のソフトウェアキーボードを、目の動きだけで操作している。 どれも既存の技術を組み合わせて私が魔改造したものだ。ちょっと自信作だったりする。 流石に目に負担が掛かるため、長文の入力には不向きなのが欠点だが。 現に、私が指示を飛ばしてから《はい》という簡単な返事が返ってくるまで、彼女らしからぬ時間が掛かってしまった。 コツさえ掴めばもうちょい早くなるとは思う。彼女ならすぐだろう。 《ホームきました》 数分後、連絡が来た。 よし、じゃあここから計測開始だ。 【このメッセージを受け取ったら、中央口まで歩き始めて。駅の外に出たら、なんか1文字送ってくれればいい。歩く速度は男性を想定してるんで、貴女はちょっと早歩きでよろしく。じゃあスタート】 この指示を送ったあと、私は数秒待ってから、ストップウォッチをスタートした。 彼女が指示を読むタイムラグを考えてのことだ。 吉祥寺駅には4つの出口があるようなので、全てのパターンを調べるべく、私達はこれを4回繰り返した。 さて、これで駅構内で使った時間は分かった。 でも彼女にはもう一つ、やってもらう必要がある。 【いま、アトレ東館口にいるでしょう?そこを出て真っ直ぐいくと、郵便局があるから。さっきまでと同じ速度で歩いてみて欲しい。疲れたなら休んでいいから、準備ができたら教えて】 《大丈夫です》 返事はそこそこ早かった。もしかして、もう慣れたのか?早いな……。 私は慌ててストップウォッチをリセットした。 【じゃあこれを見たら出発して。スタート】 これで、改札から郵便局までどれくらい時間がかかるか――つまり歩く速度が分かるというわけだ。 情報はあらかた得られた。 あとは……そうだなぁ……今日のところは、もうできる事は無さそう。 【ありがとう。今日はもう大丈夫。解散で】 《はい》 短い返事のあと、Google Glass側がメッセンジャーとの接続を切断した事が確認できた。 その後すぐに携帯が震え、メールの着信を知らせてくる。 《ちょっと疲れちゃいましたけど、なんだかドキドキしました!また用があったら呼んで下さい。報酬も楽しみにしてますね》 うーむ。 改めて見ると、なんだか随分と懐かれてしまった感があるな。 私は空になったカップを置くと、得られたデータについて考えることにした。 「(駅に)ついた」ツイートと、「(会社に)間に合った」ツイートの時刻の差分、これを「所要時間」として。 東西南北、それぞれ4つの出口から駅を出た場合、「所要時間」をかけてどこまで歩けるか。 歩行速度についてはさっき郵便局を使って把握済みなので、「所要時間」をかけて歩いた分の距離が算出できるというわけだ。 金子詩恵を使って求めた推定値に過ぎないけれど、目安にはなるだろう。 ターゲットが歩くと思われる範囲内にあるIT企業をリストアップするのには、1時間も掛からなかった。 その数14件。少ししんどいが、何とかならなくはない。 ここまでやってみようと思ったのは、ターゲットのTwitterからは面白い情報が手に入ったからだ。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月25日 ごはんなう。新作のおにぎりらしい --------------------- それは何の変哲も無い、会社内で撮ったのであろう昼飯画像。 これから食べるものを呟いて何が楽しいのかね、私にはよく分からないかな。 しかも何の変哲もないコンビニおにぎりの画像って……。 当然だがこの場合、写真の主役は見知らぬ男の昼飯などではなく。 「変わった模様の内装してるなあ、この会社」 どうやらこの写真は、会社内の所謂フリースペース的なところで撮影したものらしく。 そのため、端の方に会社の内装が映っているのだけど、壁の模様があまり見ないようなものだったのだ。 幾何学模様の一種といったところか。 別の日に上げている写真も何枚か集めてみたが、会社内で間違いなさそうだ。 そうと分かれば話は早い。 先程挙げた14件の会社について調べ、会社の内装を確認し特定する。 会社名で検索すれば、今時の会社はWebサイトを持っていることが多い。 IT企業ともなれば尚更の事で、ほぼ全ての会社がWebサイトを持っており、調べるのは容易だった。 その数、14件中12件。あとの2件も就活サイトであるリクナビに写真が載っており、そこで社内の様子を確認することができた。 調べること1時間、私は無事にターゲットの勤務先の会社名を特定した。 こうして勤務先が分かったのはいいが、まだ個人情報というには弱い。 やはり名前が欲しいところだ。あと、顔写真なんかも。 ターゲットは色んな写真を上げているようだが、顔写真だけは一枚もない。 私の調べたところによると、そういった写真を上げるのはFacebookユーザーに多く、とりわけ日本人のTwitterユーザーは顔を隠す傾向にあるようだ。 忍者かよ。 ま、私もネット上なんかに顔出しなんてする気はさらさらないし、人のことは言えないか……。 とにかく、あと一歩に踏み込む方法はないかとツイートを眺めていたところ、こんなものを発見した。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月19日 今日も残業! --------------------- なんか楽しそうだな……。 開き直っているのだろうか。 でも、莉沙ほど長く残業しているわけでもないみたいで、だいたい20時頃にはこんなツイートをしているようだった。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月19日 この辺で帰るかー --------------------- ツイートを遡ってみたが、別に毎日残業しているわけでもないらしい。 そういえば、莉沙も「残業は急に作業を振られたり客の気まぐれで発生するものだ」なんて事を言っていたような気がするな……。 となると、この情報は大した意味を持たないかもしれない。 ある程度の規則性がなければ、個人を特定する手段としては使えない。 他の手段を考えた方がいいのか?と思った時だった。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月23日 土曜出勤。全く契約社員ってのは地獄だぜ --------------------- 契約社員。 うーん、莉沙は確か正社員と言っていたと思うけど、それとは違うのか? あまり深く考えた事がなかったが……この際だから調べてみようかしら。 こうしてニートの私も社会に対する知識をつけてしまうのであった。 うー、糖分が足りない。私は莉沙が会社でもらったらしいお中元の菓子類をつまんだ。 そういえば頭を使うと無性に甘いものを食べたくなるのは何故だろう……と思って、検索しそうになったのをぐっとこらえた。 こういうのはきりがないんだよ……。 本題に戻る。 どうやら契約社員というのは、雇用形態次第では月ごとの労働時間が定められているものらしい。 正社員も同じようなものなんじゃないのか?と思ったが、大きく異なるのは有給の有無だった。 正社員のそれは有給休暇、つまり給料を貰っておきながら休める日のことで。 契約社員の場合は、休んでもいいけどそれはそれとして月ごとの労働時間は決まっているので、その分他の日で埋め合わせをしないといけない事もあるらしい。 ターゲットのこんなツイートを発見し、彼もまたそういう雇用形態のもと働いている事が推測できた。 --------------------- 石英 @quartz0118 1月23日 長めの正月休みのツケが来たって感じだ --------------------- 1月頭に続けて休みをとったから、その分埋め合わせの為に別の日に働いているという事なんだろう。 それはつまり、意図的に土曜出勤や残業をしているというわけで。 私はターゲットのツイートを遡った。 そこから分かったのは、過去に12日(火)・13日(水)・14日(木)、19日(火)・20日(水)・21日(木)に1時間ずつ残業をしているという事だった。 こいつは本当にこまめにツイートしていて、ここまで来るともはやライフログと言っても過言ではないだろう。おかげで分かったのだけど。 恐らく、労働「日数」ではなく労働「時間」が決まっているため、少しずつ埋め合わせをしていこうという魂胆か。 つまり、26日(火)の今日も残業をする可能性がある。 時計を確認すると、16:20の表示。 私は再度、金子詩恵にメールを入れた。 【ごめん、今日はもう大丈夫とか言っておいてアレなんだけど、夜って都合つく?】 《どうしたんですかおいしいものとか食べにいくんですか?私は全然大丈夫です!》 うわ。 引くほど早く返信が来た。 【そうじゃないけどまた調べて欲しい事がある。】 《いま暇してるので大丈夫ですよ!夜って何時から行けばいいですか?》 【18時半あたりから、今から言う住所にある建物の前で張ってて欲しい。住所は……】 今度は返信まで少し間があった。 《また吉祥寺駅のあたりですね。わかりました。じゃあついたらまたさっきみたいに連絡入れます!》 【話が早くて助かる。ところで暇って、貴女ほんと何してんの?】 《お裁縫は手癖でやってるので実質暇なのと同じなんですよ。ところで一緒においしいもの行きましょうよこれ終わったら》 いかんいかん、余計な事を聞いてしまった、これはまた長くなる。 一緒においしいものとやら、個人的には食べに行くのも悪くないんだけど、莉沙を放置するわけにもいくまい。 今度昼飯なら一緒に行ってやらんこともない、と返信しようかと思ったけどまたひっきりなしにメールが来るとたまらないので、やめておいた。 さて、指定の18時半までは少し時間がある。 私は本棚から雑誌を一冊手に取ると、ベッドに寝転がった。 ◆ ◆ ◆ ぴーぴーぴーぴー、と地味ながら耳に障る音で目覚めると、18時25分だった。 傍らには雑誌と携帯電話。なるほど、雑誌を読みながら寝ていたところ、予め仕掛けていたアラームで起きたという事らしい。 アラームを仕掛けた記憶がないんだけど、我ながら用意周到なものだ。 確かあと5分で連絡が来るんだったな……と思って、のそのそとベッドから出て椅子に座る。 テーブルのThinkPadを開くと、もう既にメッセンジャーから通知が来ていた。 《きました》 《どうすればいいですか》 《届いてます?》 《もしもし?》 《じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところやぶらこうじのぶらこうじぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなのちょうきゅうめいのちょうすけ》 ……。 もしもしとは、電話をかけたり受けたりしたときに言う言葉だが、それがこうしてメッセンジャーによるチャットでも使われているというのは面白いと思う。 それにしても最後のは何だ。暇だからって、ソフトウェアキーボードの練習でもしていたのか? 【早いな。あと、生憎私の名前はそんなに長くないぞ】 《練習なので》 なるほど、確かに返信速度が上がっている……これが練習の成果か。普通に感心してしまう。 まあそれはいいとして。 【いま、ビルの前にいるでしょう?】 《はい》 【そのビルから出てくる人を片っ端から撮って欲しい】 【人っていうか男をね】 《はい》 【カメラの使い方は分かる?】 《大丈夫ですいけます》 【初めて使うから、ちょっとその場で撮影してみて】 少しの間。 《撮りました》 私はネットワーク経由で彼女が装備するGoogle Glassのカメラロールにアクセスした。 1月だけあって流石に外はもう暗いが、ちょうどビルの近くに街灯があるようで人の顔を写すには十分な光量が確保されているようだった。 【OK。じゃあ後はよろしく。多分、19時ちょい過ぎくらいまでやってもらう事になると思う。】 《おまかせあれ》 全く、頼りになるもんだ。 私も私で、ターゲットのTwitterに張り付かねばなるまい。 ちなみに最後のツイートはというと。 --------------------- 石英 @quartz0118 30分前 残業なうー。 --------------------- これである。 完全に予想通りだ。 いつものパターンなら19時まで1時間だけ残業した後、会社を出るはずだ。 今の時刻は18:32。もしかしたら気分次第でターゲットが早めに会社を出るかもしれない、と思って時間に余裕を持たせたのだけど……特にそういう気配はなさそう。 彼女を30分近く待ちぼうけにしてしまうのは、流石の私でも申し訳なく思ってしまうな……。 こりゃあ少しばかり、報酬は弾んであげないといけないかもしれん。 そんな事を思いつつも、彼女は順調に音の鳴らないカメラ機能(言うまでもなく私が改造したものだ)を駆使して、淡々とビルを出る人々を撮影していく。 そして迎えた19時。 まだTwitterの方に動きはないので、これから出てくる人物が本命という事になる。 同僚とつるんでいるとかで、複数人で出てくると厄介なんだけど……と、思っていたところで新たに写真が送られてきた。 そこには、何やら歩きスマホをする男が一人。 Twitterを確認する。 --------------------- 石英 @quartz0118 30秒前 あがりー。今日は飲み屋寄ってくか --------------------- 私は真っ先に連絡を入れた。 【いま来た写真の男の前後に誰か通らなかった?】 《特に誰も通ってないです》 よし。それならさっき送ってもらった写真でほぼ確定といって良いだろう。これでターゲットの顔写真まで確保できた。 あと足りないのは……そう、名前だ。 これについてはどうしたものかと思ったが……Google Glassから確認できるWi-Fiの電波一覧を取得してみたところ、それっぽいものを発見した。 vert-lanという名前のアクセスポイント。 会社名から予想するに、恐らくこれがターゲットの勤務先のものだ。 【ちょっとそこでじっとしてて貰える?】 【じっとしてると怪しいか。スマホゲームでもしててよ】 《それでいいんですか?分かりました》 これは、彼女がただそこに居るという事に意味があるからだ。 私はGoogle Glassに積んである第2のNIC(もちろん私の改造によるものだ)を、ターゲットの勤務先アクセスポイントへ接続する事にした。 私と彼女の意思疎通に使用するのが第1のNIC(eth0)ならば、第2のNIC(eth1)はGoogle Glassとターゲットの勤務先で使用しているネットワークを繋ぐものってわけ。 接続先で当然のようにパスワードを聞かれるが、正直私にとってはあってないようなものだ。 10分ほどで突破し、接続。 ここで探すべきものは、勤怠を管理するような端末だ。 例によってブロードキャストアドレスへのpingからのarp -aで、同じネットワーク内に存在する端末を確認する。 共用の端末というものは、大抵分かりやすいIPアドレスが固定で割り当てられているものだ。 DHCPサーバが社員一人ひとりの端末に一定の範囲内でIPアドレスを振り分けるのに対して、プリンタやサーバなどには固定のアドレスが振られている事が多い。 私の最初(にして最後)の勤務先でもそうだったし、趣味で覗いたいくつもの会社でも大抵は……おっと、脱線脱線。 当たりをつけて調べていったところ、5件目あたりで192.168.0.243がそれっぽい端末だと分かった。 調べ方?mysqlとかwgetとかsshとか、色々叩いてみる原始的なものだし、面白くないので省く。 しかーし、流石に勤怠管理端末。パスワードが掛かっていて入れないのだ。 無線のアクセスポイントと違って、こいつに対しては単純なブルートフォースアタックを仕掛けるほかないが、そんな事をしている時間はないぞ。 どうしたものか、と思ったところで、何故か金子詩恵から写真が送られてきた。 これは……?画面を確認してみると彼女がIngressをプレイしている様子だった。 直後にメッセージが送られてきた。 《すみません、間違ってカメラ起動しちゃって》 スマホゲームでもしててとは言ったが、まさか位置ゲーなんてやっていたとは。 私はてっきり彼女は引きこもり女学生だと思っていたが、認識を改めないといけないかもしれないな……。 少しばかりお腹が出ているのを気にしていたりして。これは本人が一番気にしているだろうし、言わんでおこう。雑誌にも露出してたりするし、あの子。 というか、こんな変わったところで遊んでいても違和感のない「位置ゲー」を敢えて選んでくれたのだとしたら――なかなか機転の効く子だと言わざるを得ないだろう。 ……ん?カメラ? そういえばさっき調べている最中に社内の監視カメラの端末があったな……。 【ありがと、助かった】 私はそれだけ送って、再びリモート操作の対象をeth1へと切り替えた。 「なるほどね」私は頷いた。「こんなにあっさりとまあ」 撮影、及び写真の確認は――X Window Systemを起動する必要があって面倒だったが――すぐに終わった。 撮れたのは一見何の変哲もない社内の様子、しかもいかにも何らかの役職を持っていそうなオジサンが何か作業をしているところが写っているだけの写真なのだけど、無駄に解像度が高いせいで面白い情報が写っていた。 「こいつ、パスワードを付箋で貼っておる」 パスワードというものが形骸化している事がよく分かる。 あの名も知らぬオジサンにとって、それは情報を守る為のものではなく、ログインするのに必要な面倒くさい手段でしかないというわけだ。 得てしてそういう奴ほど高い権限を持っているもので、私はこのオジサンが使っている端末のIPを特定したのち、それを踏み台にして勤怠管理端末である192.168.0.243へ接続できた。 あとは、今日の19時頃に退勤した人物を確認するだけだ。 クエリを叩くと、以下のようなデータが返ってきた。 *************************** 1. row *************************** ID: 94398 ACTION_TYPE: 2 MEMBER_ID: 90023 MEMBER_NAME: 秀石将司 CREATED_AT: 2016-01-26 19:00:36 1 row in set (0.02 sec) 正規化しろよ、という突っ込みは置いておこう。取得時に結合してパフォーマンスが下がる事を考慮して敢えてこういうデータの持ち方をする事だってあるし……。 なるほどなるほど、Twitterでの名前は名字を逆にしたってところか。 時間も考えて、ターゲットはこの人物で間違いないといえるだろう。 自宅住所も調べられないかなと思ったのだが、どうやらこのデータベースに入っているのは勤怠の管理に必要な情報だけのようだ。 人事関係のデータは、別のデータベースに記録されているのだと思う。 多分、外部のネットワークからは切り離されているんじゃなかろうか。だとしたら遠隔操作では手が出ない事になるな……。 というわけで、これで今日の調査はおしまいだ。 私はeth1の接続を切ると、彼女へメッセージを送った。 【ありがと、二度もお疲れ様。今度こそ解散で。報酬は弾むから】 《はい》 短い応答のあと、eth0の方も接続が切れる。彼女がGoogle Glassの電源を落としたのだろう。 慣れた様子だったとはいえ、やはりあれをずっと使っていると疲れると思う。 ここはいっそのこと、より直感的に操作できるように脳にマイクロマシンでも埋め込んで――って、そりゃSFの世界だわ。 私は苦笑した。 直後にメールが来た。 《今度冴ちゃんと一緒においしいもの食べに行きましょうよ。ミサキさんを紹介してみたいんです。よろしくお願いしますね。》 いつの間にか冴ちゃんとやらがついてくる事が決まってしまったが、まあいいだろう。 今日は結構お世話になっちゃったし、それくらい付き合ってあげよう。 【また今度。今は依頼人に報告しないといけないから。それじゃあね、ありがと。】 ◆ ◆ ◆ 私は自分のTwitterを開くと、依頼人であるアネ氏とのDMのウィンドウを表示した。 「じゃ早速、報告しますかね、っと」 時計を見ると、既に20時。 莉沙は例によって残業か。それでも21時くらいには帰ってくるかもしれないし、ささっと済ませて夕飯の準備を始めないと。 私もいい加減お腹空いたし、ね。 --------------------- 依頼の件で、現段階での調査結果を報告します。 本名:秀石将司 勤務先:バーティカルシステムエンジニアリング 勤務先住所:東京都武蔵野市…… 顔写真:…… …… もう少し時間があれば自宅住所の特定も可能ですが、どうしますか? 報酬については…… …… --------------------- 途中経過という体ではあるものの、ここまで分かればまぁ十分だろうと思った。 会社前で張っておけば、会うこと自体は可能だからだ。 当然ながら自宅住所が分かっていた方が楽だろうが、それにはまたあの子を使って尾行させる必要があるだろう。 尾行はバレた時のリスクが大きい。特に、まともに言い繕うこともままならないあの子を使うのであれば、怪しさ全開だ。 それならまだ私がやった方がマシなレベル。それは面倒なので、なるべく更なる調査は避けたかったのだが……。 といった事を考えていたら、DMに返信が来た。 --------------------- そこまで分かればOKです。追加の調査は必要ありません。あとは私がなんとかします。 報酬は振り込んでおきます。 ありがとうございました。 --------------------- 「おおう」 あまり期待していなかったものの、私の希望は叶ったらしい。 うーん、なんともあっさり……。 今回の依頼はこれで終わった……のか? それなら明日あたり、報酬が振り込まれているか確認して、あの子と分配して……。 いや。 ちょっと待て。何かが引っかかる。 「あとは私がなんとかします」 私は依頼人のメッセージを復唱した。あとは私がなんとか、って、何だ? 今まではなんとなく、依頼人のプライバシーに踏み込むべきではないと思っていた。 しかし、どうにも胸騒ぎがする。何か取り返しのつかない事が起こるような、そんな気が。 「あとは私がなんとかします」 ああもう、私はさっさと夕飯の準備をしないといけないのに。 私は夢中で依頼人のホームの「ツイートと返信」リンクからツイートを遡っていた。 そこから分かったのは、どうやら依頼人とターゲットは付き合っていたということ。 ネットのオフ会か何かで知り合い、実際に何度か会ったということ。 しかし、何やら色々あって丁度去年のクリスマスに破局を迎えたということ。 そして最後のやり取りはと言うと―― --------------------- アネ @anemone1013 12月26日 @quartz0118 ころしてやる --------------------- 「うっわ」 そうか。何とかしますって、そういう事なのか? 待て待て。心に闇系の女とか一番ダメなやつじゃないの。 ……これはまずい。このままでは殺人の片棒を担ぐ事になってしまう。 私に彼女を止めることはできそうにない。なら、せめて彼に情報を伝えるくらいはしなければ。 しかし、どうやって伝える?Twitter?ただのイタズラだと思われるのがオチだ。 何か、確実に相手が信頼してくれる手段を探さないといけない。 私は本名で検索をかける事にした。 本名から得られる情報は意外と多いものだ。 名前によっては同姓同名の別人がヒットする事もあるが……名前以外の情報を持っている場合、そういったノイズを除外できる。 調べること数分。とにかく時間が惜しい。 「これだ」 彼が所属していた大学の研究室のページが引っかかった。 なるほど、人工知能についての研究を……って、そんな事はどうでもいい。 お世話になった大学教授からの連絡なら、きっと無下にはできないに違いないだろう。 よーし、顔も知らない教授さん、ちょっとそのメールアドレス貰いうける。 --------------------- From: s.itou@xxxxxx.ac.jp To: hideishi@xxxxxx.ne.jp Subject: 突然の連絡失礼 秀石くん 明日出勤する際、会社のビルに入る前・ビルを出る時は周りに注意してほしい。 君を襲ってくる人物がいるはずだ。 どうか心に留めておいて欲しい。 --------------------- ……うん、まあこんなものだろう。 目を引く件名、シンプルな本文でなるべくボロを出さない。 送信、と。よし……やるべき事はやった。 ふぅ……と溜息をついたところで「急ぎの用は終わりましたか?」と背後から話しかけられ私は飛び上がった。 「……何だ、莉沙か……」 「何だじゃないんですよ何だじゃ。インターフォン押してもちっとも出てくれないし、久々に鍵で入りましたよ」 いつの間にか帰ってきていたらしい莉沙はご立腹だった。 「ごはんも用意してないし」 「人命救助だと思って許してくれる?」 「見知らぬ人命より私のごはんですよ」 「莉沙ひどくない?」 「いいから早く用意してください。お腹空きました」 あ、これ信用してないやつだな。 私の名誉の為にも、後でしっかり説明してやらないと……。 そう決心し、遅めの夕飯の準備を始めた。 ◆ ◆ ◆ あれから2日が経った、1月28日の朝。 朝食の準備を終えた私は、愛用のThinkPadでニュースサイトを眺めていたのだけど、こんなタイトルの記事を発見した。 「会社員を刃物で 殺人未遂の女逮捕」 読み進めてみると、昨日の夜に武蔵野市に務める会社員が刃物を持った女に襲撃され切りつけられるも、軽傷で済んだとか。 その後は周囲の人の通報により、無事逮捕されたそうだ。 名前は出ていなかったが、まあ先日の彼と思っていいだろう。 それはネットニュースサイトの片隅に存在する、ほんの小さな記事だったが……私は胸を撫で下ろした。 あの助言は役に立ったのだろうか?とにかく、無事で良かった……。 「あ、それがこの間話してたやつですか」 いつの間に起きていたらしい、寝間着姿の莉沙が画面を覗きながら言った。 「そう、前も言ったけど、この会社員さんに危機を伝えるという仕事で忙しかったわけ」 「話を聞けばそもそも自分で蒔いた種じゃないですか」 うう、ごもっともで御座います……。 ちなみにアネ氏、律儀にも報酬の金は払ってくれていた。昨日ネットバンキングで確認してみて分かった。 しっかし、これから人を殺しに行くような人の行動って、分からないもんだ……。 「まあそういうわけでね」私は朝食を食べる莉沙に言い聞かせた。 「ネット上に個人情報を流すと大変な事に発展するわけよ」 「はあ」 朝食7:話3みたいな顔してるのが伝わってくるんだけど。 「一つ一つは個人情報とは思わなくても、全て繋いでいけばそこに現れるのは等身大の人間なんだから」 私が今回やった事の大半は、この現代社会において誰でもやろうと思えば出来るような事に過ぎない。 だからこそ、ここは警鐘を鳴らしておきたい。気軽に個人に繋がる情報を流すな、と。 「まあ、それは一理ありますよね。貴女のような暇人が他にもいないとは限らないわけで……少し気を付ける事にしますね」 「……莉沙なんて例の哀川とかいう探偵に狙われてしまえばいい」 「なんでそうなるんです!?」 おしまい。