各アルバム紹介・考察について
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曲一覧で太字・下線がついているのは個人的におすすめの曲で、更に赤字になっているのは物凄くおすすめする曲となっております。
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1曲目は、少女病世界の紹介曲だ。
少女病世界とは、遙か昔に滅びた星々のことである。
つまり、少女病で語られる物語というのは、全て過去の出来事ということになる。
その世界でかつてあった無数の物語の記憶が人の形となったのが、今後様々なアルバムに登場する事になるセクサリスという少女だ。
どんな姿なのかというと、歌詞カード内では、11曲目の挿絵と一番最後のページに登場している。
他にも慟哭ルクセインのジャケ絵や、残響レギオン初回限定盤の冊子、unleashのジャケ裏なんかにいたりする。
そしてセクサリスが見た夢をもとに詠うのが、詩人ミルリーナ。
このミルリーナさん、さっぱり情報がないためメタ的な解釈をすると、セクサリスの記憶(=物語)を詠ってくれるのだから要するに少女病のCDのことだろう。
「全ての断片が揃ったら、この喪失感も消える?」とセクサリスが呟いている。
断片とは記憶の断片、つまり少女病の物語一つ一つを指しているのだろう。
セクサリスにとっての喪失感が消えた時が、少女病の物語が全て完結する時か。
ところで、「物語の欠片を探し出すんだ」の次に「深い空の底のように 限りなく蒼い記号の海」という歌詞があるのだけど、限りなく蒼い記号の海というのは「遠くずっと遠くまだ見ぬ場所」で、かつ物語の欠片がある場所の事だろうか?
残響レギオン初回盤特典の「セクサリスの見た風景」によると、セクサリスは「血の飛沫と同じ色の場所」にいるはずだ。
11曲目の挿絵でも、セクサリスは赤い空間にいるわけだし。
物語の欠片とは、セクサリスの手には届かないところからやってくるということか。
まあCDが出るかどうかは少女病の気分次第だから。
「絶望も希望も何も知らずにあらかじめ喪い、透き通った存在」とは、物語の欠片についての説明だ。
1曲目だけだとちょっと判断しにくいんだけど、2曲目が「この世の果てで詠われる、あらかじめ失われた魂の連なり」と言っている事から、あらかじめ失われた魂の連なり=透き通った存在=物語の欠片であると予想できる。
少女病の物語とは、絶望も希望もなく透き通った状態の記憶を、ミルリーナが詠っていくことで魂が吹き込まれる……とか?
最後の台詞が連続している部分は抽象的な表現でよく分からないのだけど、「それは、鳥篭から織り成す、終わりのための歌」は8曲目の内容を表しているような。
また「それは、虚構で着飾った、どこまでも空虚な約束の欠片」も、6曲目の内容を表しているように思う。
この2曲だけ特別扱い?されている理由はよく分からないのだが。
それにしてもミルリーナってこの曲以外だと全然出てこないな……蒼白シスフェリアではコーラスでミルリーナって聞こえる部分があったくらいだ。設定上存在するけど基本的に空気というか、やっぱりCDって解釈でいい?
2曲目は、ある預言者の物語で、1曲目で言うところの「物語の欠片」の1つ。
森の中で緋色の目を持つ預言者である少女が慎ましく暮らしていたのだけど、「この世界の終焉を象ったイメージ」を見てしまう。
「緋色の目」「この世界の終焉」から連装して、預言者の少女が見てしまったのはセクサリスなのではないかと。
セクサリスは赤色の場所にいて、世界が終わった後の記憶が人の形を持ったものだから。
そこから預言者の少女は緩やかな世界の破滅を悟る。
「平和の象徴だと言われている鳥」については、情報がなさすぎてよく分からない。
世界の終焉を知り不安に駆られた少女は、穢れのない白を脱ぎ捨て、思い人に寄り添う。
穢れのない白、って多分下着の事だろうから、この後何をしたのかはみなまで言わなくても分かるなって感じだ。
そしてそれを何度も繰り返す。世界の終焉が怖くて一人では耐えきれないから。
思い人と共に過ごしているのにも関わらず、少女の精神は徐々に壊れていく。
「救いのない未来の記憶 食い違う歯車」のあたりは、「私は世界の終焉を見てしまったというのに貴方はいつも笑っている」的な、少女が思い人とのすれ違いに苛立つ様子を感じられる。
唐突に出てくる「不規則な嘔吐感」とは、つわりのことか。
少女はついに恐怖のあまり気が狂ったのか、思い人をナイフで刺し殺してしまう。
懐妊した少女から生まれた新たな命が最初に見たものは、血に塗れた思い人……即ち絶望だった、という物語か。
最後の方の悲鳴は……衝動のままに思い人を殺してしまった少女が発したものだろう。
3曲目は、ある地方領主の息子ライザとその妹たちの物語。
この曲から省略されているが、この曲もまた「物語の欠片」の1つなんだろう。
ライザが「蒼を受け継ぎし者」と呼ばれているのは、青く美しいとされる海を今後統治する事になるからか。領主の息子だし。
そんなライザとその妹たちは海の美しさに魅入られ、それを永遠に見ていたいと願うようになった。
美しい海を永遠に見るためにライザが選んだのは、古の伝承に残る不死の呪術。
しかしそれは血の犠牲を伴うものだったという。
自分(達)の欲望のために血の犠牲を厭わない時点で、もうこいつら狂ってるよなぁ……。
「日々蓄積されていく、張り詰めた狂気の色」という歌詞もあるし、海海を見ていたらおかしくなってしまったのか?
ライザの目的と手段はいつの間にか入れ替わり、ひたすら血を求め続けるようになっていく。
血の犠牲というからには、何らかの手段で人を殺しているのだと思うんだけど、一体どうやっているんだろうか。
地方領主の息子というのはそれなりに権力を駆使できるんだろうから、それを濫用して無関係の人間を捕らえては殺しているとか?
気が狂っているのならそれくらいやらかすだろう、多分。
そして最後、ライザは次第に遠のいていく意識の中で、倒れ伏す2人の妹たちに気付き、血の涙を流すのだった。
妹たちは、普通に考えればライザが狂気の中で殺してしまったのだろうけど、別にライザが自分の意志で殺したとは書いていない。
蒼を永久に見ていたい兄の願いを叶えるため、妹たちが自ら進んで犠牲になった、というのも考えられる。
「不死のことなど忘れ」ているのは歌詞上ではライザだけなので、妹たちは兄の殺戮を止めさせる為に自ら犠牲になった、というのも十分あり得る。
あり得るというか、頭のおかしい人は1人で十分なのでそうであって欲しい。
そしてライザの物語はunleash3曲目へと続く。
4曲目は、ある都市に住む少年少女達が都市から抜け出そうとする話。
特に他の曲との関連もなさそうで、内容も極めてシンプルなため、上の一行で終わってしまう。
一応、歌詞から読み取れる事を書き出してみよう。
・彼らの都市は、他の場所と比べて幾分高い場所にある
・年中雪が降り積もる場所である
・少年と共にいる少女の名はユリシアである(Googleで検索したところ、恐らく固有名詞と判断)
5曲目は、黒の精霊と白の精霊についての話(?)。
その説明と最後の方の声から予想するに、黒の精霊=セクサリスで、白の精霊=ミルリーナじゃなかろうか。
「眠りながら死を語る」とは、「無数の死の上に生まれた存在(残響レギオン初回盤特典より)」でかつ「記憶を巡って夢を見る少女」であるセクサリスに違いない。
それに対して「眠りながら生と説く」のは、「セクサリスの夢から記憶を詠み、失われた物語に命を与える」ミルリーナを指すだろう。
その前の「創世の詩は幾千の聖句を孕む」も、ミルリーナを示唆しているように感じられる。
少女病における生と死の象徴について説明しているような曲だと言える。
最後の台詞で黒鍵はebony(黒檀=黒)、白鍵はivory(象牙=白)と読んでいるのだけど、告解エピグラム10曲目にて同じ読み方かつ同じ意味でこの言葉が出て来たりする。
また、黒鍵についての台詞にセクサリスの声が、白鍵についての台詞にAramaryさん似の声が当てられている事から、このアルバム全体でAramaryさん似の声で語られているのはミルリーナの台詞(語り)なんじゃないかと推測。
ちなみに、黒鍵、白鍵といえばピアノの鍵盤だ。
この時代から、何かと音楽用語に絡ませる傾向にあるのが少女病。
6曲目は、巨大な白い壁で囲われた街に幽閉された少年少女達の話。
4曲目と関連がありそうで多分ない。雪降ってないし。
幽閉された少年が中心に語られている。
まず、少年はかつて外の世界にいた。兄もいたようだ。
しかしその記憶もおぼろげになる程に、だいぶ前から白壁の街に幽閉されている。
幽閉された理由は、外界は死の病に侵されており、まだ感染されていない少年少女達を保護するためだという。
少年少女達はみな、死の病なら仕方ないと納得してこの地で過ごしてきた。
毎日決まった時間になると、一つしかない街の入り口から白装束を着た大人達が食事を運んでくる。
その様子は挿絵にて描写されているのだけど、あからさまに怪しい。
外界の者達はみな死の病で滅んでいき、幽閉された自分達こそが人類の未来を紡いでいく、選ばれし存在なのだと信じてきた。
だが少年はある時、自分達は選ばれた存在などではなくむしろ自分達こそが死の病に侵されていて、その結果隔離されているという事に気付いてしまう。
白装束は死の病から感染を防ぐ為のものだった。
その事実に気付いた少年は苛立ち、衝動のあまり大人達の仮面を剥ぐ。
実は白装束だけでなく、仮面までしていたというのがここでわかる。
死の病とは、この大人達くらい衛生面を徹底しないと感染してしまうような病気なのだろう。
仮面を剥いだ大人を見た少年は、それが自分の母親の姿だと分かり、大人達の正体は実は自分達の両親だった事を悟る。
母親は仮面越しでなく直接少年の姿を見たことで、今まで距離を置いていた(置かざるを得なかった)事に耐えられなくなったのか、少年を抱きしめる。
だが、空気感染にも気を遣わないといけないような病気なのに触れ合ったりなんてしたら、それ即ち感染である。
この後少年は、自分のせいで母親まで死の病にかかってしまったと絶望する事になるのだけど、どうせ世界は終わるんだからいいじゃん、と思うセクサリスなのであった。
救いがないな!
7曲目は、少年少女達に起きる不審な事件の話。
この曲から10曲目までは話が繋がっている、というか関連しているものと思われる。
ラジオをゼロに合わせると、天使語で紡がれた歌が聞こえてきて、それを聞いた者は背中に羽があると錯覚したかのように高所から飛び降り自殺をしてしまうのだという。
いくつか気になった点を挙げていくと、まず、ラジオをゼロに合わせるというのはどういう事か。
チャンネルとか周波数の事だと思うんだけど、ゼロチャンネルというものに合わせられるラジオってそもそも変だし、周波数を0Hzに合わせられるラジオなんて聞いた事が無い。
つまり、この世界のラジオは我々の常識で考えてはいけないモノだ。
とにかく、ゼロチャンネルだか0Hzに合わせられるラジオが存在していて、それに合わせると天使語の歌が聞こえてくると。
次に、天使語の歌を歌っているのは、この世界でたった一人存在する天使の血族というところ。
この天使は8曲目に出てくるので、そこである程度なら分かる。
後は何故その歌を聴くと飛び降りてしまうのかだが、「僕達を魅了する」「優しく、ココロの奥底へ、語りかけるように」「誘うように響き渡る」などの言葉から、歌そのものに少年少女達を誘導する効果がある事が分かる。
また「思春期の僕達は」という言葉もある事から、多感な思春期の少年少女達限定で効果がある歌声なのだろう。
そしてそれはどんな歌なのかと言えば、一番最後の語りの裏で流れているのが10曲目の一部である事から、10曲目だと推測できる。
8曲目は、天使ラフィルについての話。
過去に何かあったのか、ラフィルは大国の貴族達に保護……というか、束縛されていた。
「許されたのは、ただ歌うことだけ」との事なので、貴族達がSeirenのような感じで天使が持つ歌声の効果を利用するために束縛したのだと思われる。
何度か出てくる「鳥篭」というのは、ラフィルが閉じ込められている部屋の事を指すのだろう。
「窓辺に佇むのは 徽章なき従者」という言葉があるのだけど、「徽章」はバッジやメダルを指すことから階級・地位の事だと考えられる。
つまり、ラフィルには下級の従者、付添人がついているようだ。
9曲目はこの従者視点での曲である。
「翼を失くしたのはいつのことだっただろう?」とあることから、ラフィルはSeirenのように翼を切り取られているのだろう。
Seirenと違うのは、「天使語というだけで~」とラフィルが呟いている事から、貴族達は何となく「天使の歌声ってありがたい感じするよね」ぐらいの思いでラフィルを捕らえている点。
「旋律はどこまでも響き、誰もが空へ希望を求め、飛んでいく」とも言っており、まさしく7曲目に出てくる少年少女達を飛び降り自殺へと導く歌声の持ち主だというのが分かる。
そもそも天使自体、ラフィルしか出てこないから今更ではあるけど。
「胡乱な日々 無慈悲に枯れゆく花 鳥篭は無粋に穢され続けた」から、恐らくラフィルは貴族達から性的暴行を受けてきたというのが推測できる。
つまり、冒頭の「許されたのは、ただ歌うことだけ」の「歌う」はダブルミーニングっぽい感じがする。
全くとんでもない貴族達だな。
この後、1番と同じような感じで「窓辺で微笑むのは 隻眼の従者」という歌詞が出てくる。
9曲目の従者もある理由で隻眼なので、1番の歌詞に出てきた従者と同一人物である。
気になるのが「空は落ち この世界は朽ちる」と断定するように言っている事。
ラフィルもまた、2曲目に登場する預言者の少女のように、世界の終焉(=セクサリス)が見える?
「その前にわたしなりの終演を紡ぎたい」「言語に想い込め」とは……やはり少年少女達を自殺に誘導する歌は意図的にやっているのだ。
ラフィルの歌が貴族達には効果がないとしても、もし彼らの子供達を殺せたとしたら、溜飲が下がるというものだろう。
では何故「ラジオをゼロに合わせる」とラフィルの歌声が聞こえてくるのか?
その理由は9曲目で明かされる。
9曲目は、8曲目に登場したラフィルの従者である隻眼の少年の話。
この少年、開幕から右目を抉っている。
理由は、薄汚れたこの世界を両の目で捉えることが耐えられないから。
ラフィルの従者をやっている事から、8曲目に出てくる「ある大国の貴族達」と関係があったはずで、貴族達と過ごす中で社会の闇的なものを見てきたからだと思う。
「世界は緩やかに壊れていく」というのは、そんな貴族達の様子を表したものか。
「七色のにみえていた硝子細工」は何かの例えなんだろうけど、6曲目にも「七色の硝子箱」という言葉がある。ただの偶然かな。
薄汚れた世界で過ごしていたところで、少年はラフィルに出会う。
貴族達に、こいつの従者をしろ、みたいな感じで任命されたのだろうか。
2人は互いに「魂の同じ部分に傷を負っている」という共通点を見出し、少しずつ惹かれ合っていく。
多分、世界に絶望しているという点で2人は同じなのではなかろうか?
少年はどういうわけか、ラフィルの歌の本当の意味(祝福などではなく、自殺へ導く歌であること?)を知っている。
つまり天使語が分かるということか、それともラフィル本人からどういう歌なのか教えてもらったのか、どちらなのかは分からない。
「ゼロに乗せて世界に届けている」とのこと。7曲目の犯人はお前か!
しかも「本当の意味を知っていてなお」と表現していることから、少年もラフィルの歌を流せばどうなるのか分かってやっているのが分かる。
で、自殺ソングを何らかの手段で公共の電波に乗せる日々を送るなか、少年はラフィルに「終わりへの方策」を語る。
それは、歌声を「最も深いところ」に届かせるための手段だった。
深いところというのは、物理的な(空高く?)ものなのか。
それとも社会の深いところ、つまり要人達に向けて届けるということなのか。
少年は、貴族達を集めてラフィルの歌声を聞かせるような場を作ったようなので、後者っぽい。
冒頭で「ちいさな約束」を交わしたと言っているが、きっとこれの事だろう。
この薄汚れた世界に復讐してやろう、みたいな。
「さあ、はじめよう。そして、終わらせてしまおう」と言っていることから、ラフィルは自分の歌声を使ってこの貴族達を(直接的or間接的に)殺す気なのだろう。
しかし、殺す気満々でステージにあがる(ステージという言葉自体、比喩表現の可能性有り)ラフィルを見ながら悲しげに微笑み、「僕は嘘つきなんだ」と少年は呟く。
一体どんな嘘をついたのか?
貴族達への復讐を果たせる事についてか?よく分からない……。
そんなわけでもやもやしたままこの曲は終わる。考察しようにも情報が少なくて考えようがないんだよなあ。
ちなみにジャケ裏にいる少年が眼帯をしている事から、その少年こそ9曲目の隻眼の従者であり、ジャケ表の少女こそラフィルだ。
セクサリスを差し置いてジャケ絵を飾っているとは、なんという二人であることか。
10曲目は、天使語による歌唱……ラフィルが7曲目でラジオに乗せて紡いでいた曲。
天使語はよく分からないので省略。
最後に「みんな死ねばいい」と呟き、銃声とも落下音ともとれるような音が鳴って終了。
パン!と鳴った後、ぐしゃっという音も小さいが聞こえるので、判断が難しい。
1. 何者かが銃で撃たれた後、倒れた
2. 何者かが飛び降りて地面に激突した後、弾けた体が地面やら壁やらにぶつかった
と考えると、2はぐしゃっという音がなるまでの間に無理があるので、やはり1の説が濃厚か?
「みんな死ねばいい」については8曲目を考えれば納得がいく。
ろくな扱いされてないからなあ、ラフィル。
11曲目は、曲名の通りセクサリスの曲。
遙か昔に滅びた星の記憶が人の形をもったのが、セクサリス。
セクサリスは眠り続けて、夢を見続けているのだけど、未だに終わりが見えない。
終わりが見えないのは現在進行形だ(2016年1月現在)。
彼女が起きる時、セクサリスという名の新しい世界が生まれる。
その新しい世界を再生するため、ミルリーナはセクサリスの夢を詠い続ける。
……って感じの曲だろうか。
しかし、少女の夢から再生される新たな星って、それは同じ歴史を繰り返す事になるんじゃないのか?
大丈夫?
同人時代の2ndアルバム。
もう一つの人格を得た、ある少女の物語。
1曲目と2曲目が疾走曲で3曲目が語りメインという、以降の少女病のEP盤の構成を確立したCDだ。
物語は綺麗にまとまっているし、楽曲もくせがなく聴きやすい。
偽典セクサリスで感じたサンホラ臭はすっかり抜けている。
残念ながらメタラー的に刺さる曲は特になかったが、2曲目のバイオリンはなかなか格好いい。
1曲目は、少女に新たな人格が生まれるまで物語。
少女は父親とその愛人の間に望まれず産まれた子だった。
2曲目にて改めて説明されるが、そんな境遇の少女は両親から愛情を注がれることなく育つ。
少女が何を祈ったのかは明確にされていないが、恐らく寂しさを紛らわせたいと思ったのだろう。
するとその結果、新たな人格が生まれる。
少女には快活なラスティと控えめなリスティが宿る事になったんだけど、まず気になるのが少女の元の人格がどちらだったかという点だ。
単純に考えると、愛情を受けずに育ってきた子が快活なわけがないと思うので、元の人格はリスティとなるのだけど。
この後に「二人になって、変わった」という歌詞があるため、もう一つの人格ができて快活になったと考えれば、元の人格はラスティにも成り得る。
ともあれ二つの人格を宿す少女は、自分の境遇からくる苦しさ(3曲目で軽く触れられているが、虐げられたりしていたらしい)を、二人で分かち合って日々を過ごすようになる。
しかし、胸の奥深くに刻まれた嫌な記憶が消えないのだという。
記憶といえば、「記憶の中に刻まれたirony」という歌詞がある。
ironyは「皮肉」という意味なので、皮肉な記憶が刻まれている事になる?
更に「深い夢から呼ぶsign」とある。signは色んな意味があるがこの場合は「合図」と訳すのが適当か。
歌詞の通り「記憶の中で失った旋律」「今、閃光を纏い届くだろう」が繋がっていると考えるなら、「第二の人格」=「記憶の中で失われた旋律」なのだろう。
つまり、少女の合図(祈り)によって、深い夢から「皮肉な記憶(=嫌な記憶)の中で失ったはずの第二の人格」が呼び起こされた、ということか。
ただ、そうなると第二の人格とは新たに生まれたものではなく、過去に存在していたことになるのだが……。
歌詞カードにない台詞で「~~しちゃったの」「いなくなっちゃう」「助けて、助けてよ」「嫌だ」と聞こえるのだけど、これはかつて失った第二の人格の声、と考える事もできるだろう。
2曲目は、二つの人格の対話、そして少女がやらかす話。
まずは二つの人格の対比から。
「生まれた理由 ここに存在する意味 ”ラスティ”」と「愛を知らず 微笑う 少女は儚く ”リスティ”」という歌詞がある。
「生まれた理由」が「(新たに)生まれた理由」を意味していて、「愛を知らず」が「愛を知らず(に育った)」を意味するのなら、新たに生まれたのはラスティで、元の人格がリスティである可能性が高い。
その次に、ラスティは「もしキミが天使ならば、わたしを壊さないのに」、リスティは「もしキミが悪魔ならば、わたしに背かないのに」とお互いに物申している。
1曲目より、ラスティは過去に「壊された」=「自身を消された」経験があるので、前述の台詞が出る。
一方でリスティの台詞だが、ラスティが自分に背く事について不満を述べている?
「悪魔ならば背かない」という事は「もしラスティが悪魔なら、リスティが行う悪事を止めないのに」という意味ではないかと思う。
その次の歌詞だが、「神の手が授けた幻想」はリスティのことを、「神の手が零した幻影」はラスティのことを指していると考えられる。
1曲目で、新たな人格の事を「神の手から零れた雫のような甘い奇跡」と表現しているため、新たな人格=ラスティ=神の手が零した幻影、となるわけだ。
更に次の歌詞、「覚醒は 波紋描き 閃光は闇に飲まれた」についてだが、これまた1曲目にて新たな人格が「今、閃光を纏い届くだろう」と表現している。
曲の最後で少女は父親の正妻とその娘(3曲目で分かるのだが)を殺害しているので、「閃光=殺害を止めようとするラスティ」「闇=覚醒したリスティ」を指しているのではないか。
「閃光は闇に飲まれた」は、覚醒したリスティの(殺害するという)意志が、それに背こうとするラスティを上回ったという事だろう。
つまり、この曲で「あーあ、壊しちゃった……」と言っている人格はリスティだ。
3曲目は、父親の正妻とその娘を殺害した少女とその人格の顛末。
正妻と娘がいなくなった事で、跡継ぎの期待は少女へと寄せられ、少女は父親から愛を注がれるようになる。
愛を与えられるようになったのは、神の与えし奇跡なのだろうか、ととぼける少女。
二つの人格の片方は、神様はいたんだとはしゃぎ、もう片方はそれを否定する。
はしゃぐ方と否定する方、どちらがラスティでリスティなのかが気になる所だが、結論としてはどちらともとれる。
殺した張本人のリスティが「私が殺した結果こうなったのだから神様のおかげではない」と否定し、ラスティが「愛情が注がれるようになったという事実」に「神様はいたんだ」とはしゃいでいるパターンか。
ラスティが「リスティが正妻と娘を殺した結果愛を注がれるようになったのだから神様のおかげではない」と否定し、リスティが「むしゃくしゃして殺しただけなのに愛を注がれるようになった」とはしゃぐパターンか。
どちらもあり得るので断定はできないというわけだ。
そして愛を注がれるようになった少女は、もう一人の人格なんていらない、と思うようになる。
それは、一つの人格で幸福を独占したい、と思ったから。
「孤独や絶望は分け合えても 幸福の共有はできないのか……?」という歌詞があるけどまさにその通りだなーと思う。
少女は片方の人格を殺すため、「夢の中で死ぬと神様に会える」という伝承をもう片方の人格にもちかける。
これができるという事は、二つの人格は常に起きていて、頭の中で対話することが可能のようだ。
その提案を受けてもう片方の人格は、「神様に会って、夢から覚めるまでお礼を言うのだ」と微笑むのだけど、ここから分かるのは「神様はいたんだとはしゃぐ人格」=「夢の中で死ぬ提案を受けた人格」ということ。
なにしろ、神の存在を否定するなら「神様に会ってお礼を言う」などという発想には至らないはずだからだ。
しかし問題は前述の通り、「神様はいたんだ」とはしゃぐ方がどちらの人格なのかが特定できないという事だ。
この後の「孤独の果ては、もう見てきたよ 全ての感情が排除される、悲しい場所 もう、あそこには戻らない」と言っている方の人格が、もう片方に夢の中で死ぬよう提案した事は分かるのだけど、「孤独の果て」を見てきたのはラスティもリスティも同じなのだ。
ラスティは深い夢の中で孤独を見てきたし、リスティは愛を注がれないまま孤独に過ごしてきた。
そして、提案をもちかけた方の人格はもう片方を殺す事に成功し「ね?神様なんかいなかったでしょう?」と計画通りみたいな顔で笑うのだった……。
最後の「残酷に笑う少女は、ラスティか。それともリスティか。あるいは、最早そのどちらでもないのか」という問いに対しては、「どちらでもあり得る」と答えておこう。
「神様はいたんだとはしゃぐ方の人格」が分かれば、笑っているのはそっちじゃない方の人格だと分かるんだけど……。
同人時代の3rdアルバム。
謎の施設・白の教会(エクレシア)へと集まっていく少女達の謎に迫ったり迫らなかったりするお話だ。
なんと公式サイトにて試聴できる曲が全て疾走曲。
個人的には2曲目が最高におすすめなので是非試聴してみて欲しい。イントロのピアノなんて特に好きだ。
このアルバム、前半に疾走曲が固まっている。
その為、アルバムとしてのバランスの悪さは否めないものの、メタラーとしては疾走曲は多ければ多いほど良い。
他に気になる所を挙げるとしたら、4曲目のキュイーーーーーーーンっていうハエが飛ぶような音。
これはなんとかならなかったのか……?
偽典セクサリスのような音割れはないものの、まだまだ荒削り感の残るアルバムだなーと思ってしまう。
だが相変わらず疾走曲の完成度は高いし、9曲目のような少女病としては珍しいタイプの曲があったりするので、是非手にして欲しいアルバムだ。
あと、6曲目と7曲目の語りでサンホラのChronicle 2ndの黒の予言書を思い出すのは、サンホラーあるあるだと思うのだけどどうだろうか。
1曲目は、盲目の少女・ミルテが「白の教会」を目指す話。
少女は、盲目でありながら「声」に誘われるままに「白の教会(エクレシア)」を目指して雪の中を歩いている。
しかもただの雪ではない、黒雪と書いてゆきと読んでいる。
偽典セクサリス5曲目にもあるように、少女病で黒といえば死を連想するものなので、死に至るような雪(死ぬほど多いとか冷たいとか)なのだと思う。
「失われた」「壊れた」と歌詞にあることから、少女の瞳は元から見えなかったのではなく、事故か病気か何かで見えなくなった?
「手の届くことのない現実 求めて」という歌詞や、少女を誘う声の事を「未来への希望示した」と表現している事より、どうやら少女は白の教会にさえ行ければ全てがよくなると考えているようだ。
途中の語りで、少女の名前がミルテだと判明する。
そして、少女と同じ名前をもつ花である天人花が雪の中で咲いているとの事なのだが、調べたところミルテとは正確には銀梅花(ギンバイカ)のことらしい。
ただ、銀梅花を天人花と呼ぶ事もあるらしいので、間違いというわけではないようだ。
その花が散ると共に、少女もまた力尽き倒れる。
最後に「あれ、もう死んじゃうの……?」と言っているのは、少女を誘う声の主だろうか?
この曲だけではどうにも判断できない。
2曲目は、半精霊の少女の話。
実は1曲目でミルテを誘っていた声の主は、この半精霊の少女だったのだ。
半精霊って突然出てきて何だ?って感じだけど、とりあえず「限られた存在にしか視認できない」「その姿を見た者には祝福が与えられると知られている存在」という事が歌詞から分かる。
半精霊の少女は「その声に応えた者達」を、「主の求めるがままに」白の教会へと連れて行っている。
自分からやっているのではなく、「主」の命令によって人々を白の教会へと誘っているようだ。
しかし「キミだけに指し示そう」「選ばれたキミだけには」って、誘い文句が胡散臭いな!!
1曲目のミルテがそうだったが、精神的に余裕のない人を狙いうちにしているのかもしれない。もしくは、そういう人ばかりが引っかかるとか……。
「雨に濡れた 少女は琥珀の風を追いかける~」「斬り裂かれた 幻想は純白の闇に囚われ~」のあたりは、半精霊の少女に誘われる少女達の様子を表しているのだと考えられる。
白の教会に誘うのは少女限定のようだ。まあ、少女病だし……。
「病める魂 葬る役割」「いつだって物語は 現実より綺麗で……」のあたりからは半精霊の少女(というかその主?)の悪意を感じる。
魅力的な言葉で誘った人々を葬る(?)役割を持つのが半精霊の少女(またはその主)ということか。
ちなみに特殊な読み方をしている部分だが、「白の悪意(vicious・ヴィシャス)」、「運命の輪環(ring・リング)」、「繋がれた神秘(rune・ルーン)」、「葬る(ほふる)役割(métier・メティエ)」である。
3曲目は、白の教会へと誘われる2人の少女の話。
母親に蒸発された少女と、その少女に付き添う幼馴染みの少女。
蒸発された方の少女の名はクルファ。
クルファこそ、今回半精霊の少女に誘われている少女だ。
幼馴染みの少女、エルザと共に数え切れない程の丘を越えて――要するに長い道のりを経て――半精霊の少女の声に誘われるままに教会を目指していた。
「私には精霊を視ることが なぜだかできないまま」という歌詞より、クルファは半精霊の少女の声と気配は分かるものの、視認する事はできないと考えられる。
2曲目によると「半精霊の姿を見た者は祝福が与えられる」となっているため、その真偽はさておき、クルファには祝福が与えられない事を示唆しているのではないかと。
ついに白の教会に辿り着いた2人は、再会を約束して別れる。
しかし、教会に残ったクルファの心はとっくに歪んでおり、共に来てくれたエルザの事を「優しいふりをして自己愛を満たしている」と思うようになっていた。
教会に来るまでは、「生活に困窮していて」「周囲の人間達から同情的な視線を向けられて」いたようなので、心が病んでしまったのだろう。
しかし、未だに白の教会でどうなるのか具体的な描写がないのだが……。
4曲目は、時計士の少年とその恋人の話。
時計士の少年と共に過ごしていた恋人の女は、突然別れを告げられる。
去って行く少年の背を見て、女は「彼を愛していた記憶を忘れないようにしよう」と決意、時計台から突き落として殺してしまう。
その死体を見て女は「ずっと忘れないから」と薄く笑うのであった。みたいな話。
これは特に考察する点はなさそうだ。
ちなみにこの曲、「少女」という表記がないので「女」とした。
年の差カップルだったのかもしれない。
5曲目は、とある大国の姫君と青年の話。
とある大国の姫君というと狂聲メリディエ、そして空導ノスタルジアのイヴリィを思いつくのだけど、全くの別人だろう。
姫君は、その立場故に何でも手に入る身でありながら、ただむなしいと思いながら生きてきた。
しかし何処で会ったか出自の不確かな青年に一目惚れ。
「誰かに依存したかった」との事なので、優しく接してくれる人なら誰でもよかったんじゃないか?と思う。
もっとも、周囲の人々は姫のことを「尊く偉大な姫だ」と称えているので、この青年のように接してきた人が新鮮だったのかもしれない。
そして姫と青年は婚約。展開が早い。
望めば全てを捧げると伝えた姫に、青年が望んだのは天使が創ったとされる「教会」だった。
これは、今までの曲で出てきている「白の教会」と同一であると考えられる。
恐らくこの曲が元凶というか、アルバム中の時系列的には一番最初に位置するものなんだろう。
6曲目は、白の教会を目指す母親とその娘の話。
母親は咳き込んでおり、具合が悪いようだ。
そんな母親を「教会で薬を貰えばよくなる」と励まし、教会へと向かう娘。
(この曲では「娘」なのかは分からないのだけど、7曲目で判明する)
貧しい生活を送っていたようで、今の所白の教会に向かう人々は「救いを求めている人」という点で共通している。
「無数の雨音が淡く落ちて詠う」「今日あるものが、明日もあるとは限らない」と、母親の死を示唆したところで終了。7曲目へ続く。
7曲目は、6曲目の母親の娘が教会に辿り着いた後の話。
娘は、教会での暮らしに馴染めるよう決意を新たにするのだった。
この娘が来た時点で、教会には色々な人がいる模様。
まるで孤児院のようだ。
結局、母親は教会で亡くなったのか、行く途中に亡くなったのかは分からないままだな……。
余談だが、6曲目と7曲目に出てくる娘の姿が、CD裏に描かれていたりする。
8曲目は、氷の柩で眠る精霊姫と、少女を思う男の話。
この男は、恐らく5曲目で教会を手に入れた「出自も不確かな優しい瞳の青年」と同一人物。
過去に何かあったらしく、氷の柩で眠る精霊姫を復活させる為に、教会に少女達を集めていたようだ。
白の魂……つまり白の教会に集まった少女達の魂、の事をvictim(=犠牲者)と呼んでいたり、「すべてをキミへと葬ろう」という歌詞があったり。
青年は、自分が愛した精霊姫を生き返らせる事しか考えていないようだ。
精霊姫=5曲目の「とある大国の姫君」ではないかと考えたが、これは違う。
5曲目で青年は、姫君に教会を要求した。
理由を問われる事はなかったようだが、問われたとしてもきっと答えなかっただろう。
婚約までした姫君よりも大事な「精霊姫」を生き返らせる為だ、と知られるわけにはいかなかったからだ。
つまり5曲目で青年は、初めから教会目当てで姫君に近付いた事になる。
ちなみに特殊な読み方をしている部分だが、「歪な十字架(cross・クロス)」、「眠れる聖柩(ark・アーク)」、「白の魂(victim・ヴィクタム)」、「絶氷(こおり)」、「麗しの乙女(alice・アリス)」、「愛しい精霊姫(alice・アリス)」である。絶氷だけ日本語……。
9曲目は、推測だが5曲目で青年と婚約したはずの姫君の話。
「生まれた瞬間からの孤独」は、大国の姫君という立場に生まれてしまったがために味わった重圧感・心を閉ざして生きていた事を表していて。
「束の間の祈り」は青年に会った当初の事を表しているのだと思う。
8曲目で考察した通り、青年の目的は教会を手に入れて精霊姫を復活させる事だったので、教会を得てから青年は姫君を放置するようになったというわけか。
「あなたが夢見る過去には望まれていない」という歌詞がある通り、青年が夢見る過去=精霊姫と過ごした過去であって、姫君は青年には望まれていないという事がわかる。
他にも5曲目と関連する歌詞を挙げるなら、
「誰の傍にも 居たくなかった」:5曲目「心を隠して 生きようと決めた」
「私を愛して欲しい」:5曲目「誰かに依存したかった」
やがて姫君の心は壊れていく……。
「もうすぐ全て終わる」で、この姫君ですら精霊姫復活のための犠牲になるのでは……?と思ってしまうのだけど、10曲目の冒頭を見る限りその予想は当たっていそうだ。
それにしても、この曲を聴いてからだと5曲目の「残酷な貴方」の意味合いが変わってくる気がする。確かに残酷だわ、貴方(青年)。
10曲目は、青年によるネタばらし・そして目的を実行する話。
青年は、半精霊の少女(=青年と精霊姫の間の娘)を使って「死へと向かう欠落した少女達」を教会に集めていた。
その理由は、負の魂(=欠落した少女)を月へと葬り、命の失われた精霊体(=氷の柩で眠る精霊姫)に注ぎ込むことで再生を果たす(=精霊姫の復活)ため。
「この瞬間のためだけに、優しい導き手を演じてきた」とあり、改めて最初から精霊姫の復活だけが目的だった事が分かる。
また、欠落した少女達が一定数集まるまでは、集まった少女達に優しく接していたのだろう。
「半精霊である娘にまで手を汚させて」と表現している事から、悪い事だと分かってやっているようだ。逆にたちが悪い。
その後はしばらく、青年の行為やこれまでの曲を振り返るような言葉が続く。
「原型もなく 枯れ行く天人花」「霧散していく 儚い理想」「緋色に暗く 歪んだ悪意」のあたりは1曲目を指していると分かるのだけど、1曲目だけ妙に引用されている理由はよく分からない。
さて、教会に集まった「負の魂」を持つ少女達の死と引き替えに、精霊姫は目覚める。
しかし、精霊姫は無言で半精霊の娘を絞め殺してしまう。
そして「悪い夢はもう終わりましたか――?」と意味深な台詞を吐いて、自身も舌を噛み切って自殺。
もちろん本当の親がそんな事をするわけがなく、青年に葬られた魂(欠落した少女達)による仕業だった、という落ち。
「悪い夢はもう終わりましたか――?」とはどういう意味なのか。
11曲目の内容になるのだけど、青年が死んだ精霊姫を生き返らせようと躍起になっているさまを「悪い夢を見ている」と表現したのかもしれない。
最後に青年は「天使は、優しくなんてなかった」と呟く。
天使が創った教会なら復活できるだろう、でも出来なかった。天使は優しくない。という発想なのだろうが、八つ当たりもいいとこだ。
ちなみに特殊な読み方をしている部分だが、「雑音(noise・ノイズ)」「堕ちた欲望(desire・デザイア)」、「深い原罪(hamartia・ハマルティエ)」、「行為(act・アクト)」、「憐れな犠牲者(victim・ヴィクタム)」、「枯れゆく天人花(ミルテ)」、「儚い理想(ideal・アイディール)」、「歪んだ悪意(vicious・ヴィシャス)」、「微かな旋律(melody・メロディ)」である。どんどん増えるよ。あとhamartiaはギリシャ語らしい。
11曲目は、全てを失った青年のその後の話。
精霊姫は生き返らなかった。
半精霊の娘は、欠落した少女達の恨みか何かで殺された。
教会に集めた欠落した少女達は自らの手で魂を葬った。
まさに「手のひらには何も残らず……」といった状況が完成した。
絶望した青年は、1曲目から降り続けている黒い雪の中へと身を任せる。
大切な家族のいるところへ行く為に。
というわけで、清々しいまでに死体の連なるアルバムだった。
登場人物の中で生きているのは3曲目のエルザくらいなのではなかろうか。
同人時代の4thアルバム。
歌詞カードに名前は出てこないんだけど(「少女」表記になっている)、イヴリィという大剣使いの少女の話になっている。
1, 2曲目が疾走曲で、3曲目が語りメインのバラードという構成だ。
疾走曲はいずれも爽やかに駆け抜けていくような曲調。
聴き終わった後は結構あっさりとしてたな、という印象を受けた。
これだ、と思うようなキラーチューンがなかったというか、そういうのを求めてしまうのは多分メタラーの性だから仕方ない。
それでも、寂滅フレアーのサビは格好良くてお気に入りである。
1曲目は、記憶喪失の少女であるイヴリィが身に覚えの無い罪(物理)に襲われており、それを大剣で斬り空へと導いていくという話。
それで「空導の姫君」と呼ばれているって事は、周りの人々もなんか変な奴らに襲われているというのは知られているらしい。
それにしても、「自分が何者かであるかを問いかける」とあるんだけど、周りの人は教えてあげていないのだろうか?
全てを終えるまで、ひたすら身に覚えの無い罪を斬り裂いていくうちに、少女はおかしくなっていく……。
2曲目は、幻の声に苦しむイヴリィの話。
「ねえ、なぜ殺したの?なんて訊かれても何も知らないのに」という歌詞が痛烈だ。
これで罪が償えるならと、少女は自害を選択するのであった。
3曲目。
少女は死んだと思ったら生きており、更に記憶まで失われているという。
でも、身に覚えの無い罪(物理)から解放されることはなく、再びそれらを斬り続ける日々が始まるという。
このイヴリィという少女は、「罪を斬り続ける→自害→記憶喪失&復活→最初に戻る」というのを永久に繰り返しているのだろう。
そして、それは若く美しい姫に嫉妬した魔女による呪いである事が明かされる。
本当は少女は何も悪くなかったのだ、っていう何とも救いの無い落ちがつく。
という所まででこのアルバムは完結しているのだが、狂聲メリディエにてイヴリィの(恐らく)過去話が語られている。これについては狂聲メリディエの考察に書いておく。
また、イヴリィを呪った魔女とは、黎明ローレライの黒雪姫である可能性が高い。
同人時代の5thアルバム。
死者に会えるとされる場所に住まう唯一の少女が、死の先にある物語を辿っていく……という内容だ。
このアルバムを最初に聴いた時は、まず1曲目の疾走曲で「おっ」と思い、9曲目で「うわー!殺しにきた!!」となった。
しかし何度か繰り返しているうちに3曲目がじわじわと効いてきて今では一番好きな曲になっている。
いや、これはもう完全にキラーチューンですわ。じわじわ来るタイプの。
疾走曲でなくとも、5曲目のようなヘビーで格好いい曲もあったり、バラード系も完成度は高い。
気になったのが、少女病の最近のアルバムと比べ、全編にわたって語り部分の音量が小さいというところか。
囁くというか呟くような語り方なのはいいんだけど、もうちょっと音量が高くないと困る。
それだけが難点だ。
1曲目。
「死者に会えるとまことしやかに囁かれる場所」にて、唯一の生者である少女(歌詞には別に少女とは書いてないけど、ジャケ絵とか、CDの設定には少女と書いてあるし)の話。
この場所では、死者達が自らの死に至るまでの物語とかそういうのを語ってくれるという。
しかし、どうも少女は痛みに苦しんでいるらしい。それが精神的なものか肉体的なものか、或いは両方なのかは定かではないけども。
その痛みをやわらげる答えを見つけるため、少女は死者達の歌に耳を傾ける事にした。
2曲目は、幼くして死者となった兄妹の話。
唯一の生者である少女が「ここに来るのはまだ先じゃないかな?」と諭されているのが何か微笑ましい。
この兄妹、「ボクの好みは滅びの物語」「わたしが好きなのは甘く散る恋」とか言ってて良い趣味してるなって思う。
小さな玩具の箱というのは一体何の事なのか。
その中には、語る価値のないガラクタみたいな話が溢れていて、でもたまに煌々と光る物語があって、掘り熾す(おこす)ことさえもされずに眠る物語もあるという。
箱とは死者の棺の事で、その物語は大抵しょうもない事ばっかりだよ、みたいな事を言っているのかなーと。
それにしても、この兄妹の死因はなんだったのか。
曲名がmeaning of deathだというのに語られないままだ。
3曲目は、黒雪姫という少女の話。
自分より美しい者がいるのは赦されない。いたら殺す。となかなかに過激な姫である。
いったいどんな手段を用いたのか、壊したり、燃やしたりという表現で、自分より美しい者を次々と惨殺していく様子が描写される。
国の唯一の跡継ぎがこんなんでいいのだろうか?
と思っていると案の定両親は「あの娘は呪われているから国を任せられない」と決断し、黒雪姫は深い森にて事故を装って両親に殺される。
その後、新しく産んだ子は白雪姫と呼ばれるようになるんだけど、その意識には相も変わらず黒雪姫が宿っていた……。
怖い怖い。
しかもこの姫、後の魔女である。
「後に魔女と呼ばれる存在になる」という歌詞があるが、幼い子供に壊したり燃やしたりなどという芸当が出来るとは思いがたく、幼い頃から魔女の力を持っていた可能性がある。
ちなみに、黒雪姫はその性格から、空導ノスタルジアで語られる「美しさに嫉妬する魔女」とはこの娘を指している可能性が高く、更に狂聲メリディエにて登場する魔女メリクルベルと同一人物で間違いないと思っている。
これについては狂聲メリディエの考察で書く。
4曲目は、魔法仕掛けの人間であるリズと、その主人である研究者ハーミット(歌詞カードには隠者と書かれている)の話。
研究者は何をやっているのかというと、このままでは長くもたず動きを止めてしまうかもしれないリズを何とかする(?)ための研究を、眠る事を惜しむほどに行っていた。
それを知らずリズは研究に没頭するハーミットに休んで欲しいと心配する。
次の休日には街へ買い物に行こう、と死亡フラグを立てるハーミットは、研究のしすぎで眠るように死んでしまう。
リズには眠りと死の区別がつかず、ただ主が起きるのを待ち続ける。
曲の中では描写されていないが、いずれリズもその動きを止めてしまったのだろう。
5曲目は、孤独な男の話。
男は孤独で暖かさを感じた事がなかったのだが、ある時些細な行き違いから人を殺してしまう。
ほとばしる血は男にとって初めて感じる暖かさで、それを知ってからというもの暖かさを求めて人を殺し続けたという。
下手するとターゲットを限定していた黒雪姫よりもたちが悪い殺人鬼だ。
そんな血みどろの人生を、死者と化した男は唯一の生者である少女に語ってみせたのだろうか。
6曲目。
とにかく酷い仕打ちに遭っているらしい少女の悲痛な叫びが続いている。
歌詞カードに書いていない「ここから解放して……」という絞り出すような声が辛い。
「洗い落とせぬ、刻まれた痛み」「欲望で着飾った終わりなき夜」「捧ぐことを強要された日々」あたりから、どんな仕打ちを受けているのかは想像できるというものだろう。
一つ気になる歌詞があって、それは「感傷はいつの日か殺したから」という部分。
1曲目に「殺したはずだった感傷の揺れを」という歌詞があるので、この曲の少女と1曲目に登場する唯一の生者である少女は同一人物ではないかと思う。
何しろ曲名が「I」=「わたし」だし。
もっとも、そうなるとこの虐げられている場所から一体どうやって「死者に会える場所」に来られたのかが気になるところだ。
7曲目は、余命幾許も無い盲目の女性イヴと、幾つもの国を旅する旅人の話。
2人は、イヴが唯一出歩ける広い庭園にて、運命の出会いを果たす。
目の見えないイヴに、歌や言葉で世界を見せようと豪語する旅人。
いつしか2人は惹かれ合い、婚約を誓い支え合う。
だが、幸せな時間は長くは続かず、イヴは盲目のまま旅人の顔を見ることなくこの世を去る。
旅人は落ち込むんだけど、旅の途中で聞き及んだのだろう「死者に会える場所」へ行けばもう一度イヴに会えると信じて、旅を続けていく。
ここまでは普通に良い話なんだ。8曲目に続く。
8曲目。
7曲目の続き。旅人はようやく「死者に会える場所」に辿り着く。
旅人は声が枯れるほどに歳を取っていて、イヴには病気でもしたのですかと言われるほど。
そして肉体を失ってから瞼に光が感じられると話すイヴが、目に巻いていたのであろう包帯を取った時、態度が豹変する。
イヴが見たのは、数十年という途方も無い年月を経た旅人。
でも彼女の中に残っているのは若い姿の青年(イヴの想像でしかないのだけど)。
イヴは旅人に残酷な言葉を投げかける。
「本当の彼」を待ち続けるイヴと、絶望し自ら命を絶つ旅人。
報われない……あまりにも報われない話だ。
「死者に会える場所」には、どんな死者が集まるんだろうか。
この世に未練がある死者とか?
それなら、旅人が死後「死者に会える場所」に現れる事はないんだろうなぁ。
9曲目。
「死者に会える場所」唯一の生者である少女は、自らの痛みが少しでも和らぐことを願い、いくつもの死者の物語に耳を傾けてきた。
けれどもそれで自分が少しでも救われる事なんてなくて。
生きているのなら誰しも痛みを抱えているもので、でもそればかりではないから。
鎖を壊し、扉を開けて先に進んでいこう、といったところだろうか。
抽象的な表現が多くて何とも判断しづらい。
鎖といえば、1曲目に「見つけたいのは、答えか。戒めの鎖か」という言葉が出てくるのだけど、結局のところ戒めの鎖とは何なのか、いまいちピンと来ないな。
10曲目。
これも9曲目に続き唯一の生者である少女の話だろうか。
「死者に会える場所」=「Lorelei」である事が判明する。
Loreleiで死者の物語を聞いて、彼女が出した結論。
それは、あらゆるモノは生きているからこそ重く深く感じられるものである、ということで。
1曲目の時は「この痛みがやわらげばいい。その手段が、生と死のどちらになっても……」と言っていた少女が、もう少し生きていたいと考え直すのであった。
自らの物語を輝かせるために。
……と思いきや、最後の最後で「君が出した答えは?」という問いかけに「私は、ここから」と「私は、ここで」の2つの声聞こえてくるのだ。
少女が生と死のどちらを選んだのかは、あなたの想像に任せますみたいな感じなんだろうか。
まあでも、話の流れ的に考えて「私は、ここから」ルートで間違いないでしょう。
メジャーデビュー後の1stアルバム。
音質、主に声が圧倒的に改善されている。
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙という叫び声まで鮮明に聞こえて来るぞ。
1, 2曲目で疾走してて3曲目がバラードという、空導ノスタルジアと同じ構成だ。
台詞も挟みつつ暗く激しく物語を奏でる2曲目が特にお気に入り。
3曲目は語りメインなんだけども、蒼白の魔女シスフェリアの台詞が凄く心がこもっていて素晴らしいんだよね。
余談だが、このアルバムは初回限定版にDVDが付いてくる。
1曲目に映像が付いているんだけど、その出来はというと、何というか、同人だ……って感じ。
素材がないなか無理して作ったな、と思わざるを得ない出来である。
ただ、5人の魔女のシルエットが出てくる点は、少女病ファンなら見逃せないだろう。
1曲目は、魔女シスフェリアの身の上話とその他いろいろ。
少女病世界で圧倒的な力を持つ存在である「魔女」についての設定がいくつか語られる。
・世界に魔女は5人いる
・魔女は不死である
・魔女は神に見出された人が成る存在である
どうして選ばれたのかと言っており、魔女になった理由は自分でも分からず、またシスフェリア本人は望んではいなかった事が分かる。
「消えゆく感情 確かにあんなに傍にあったはずなのに」とある事から、どうやら魔女になると心境に変化が生じるようだ。
ただ、「無慈悲な魔女、演じた」とも書かれており、歌詞カードの絵にあるような行為は、本心からやりたくてやっているわけじゃないと思える。
多分、魔女になると破壊衝動的なものを抑えられなくなるんじゃないだろうか?
血を浴びて不敵に笑うシスフェリアの絵を見る限り、本心でなくてもそういう衝動はあるのだと思う。
このアルバムの物語に関わってくるのが、かつて人だった頃にある少年と小さな恋をしていたという事。
魔女となり、もはや人でないシスフェリアは、かつて恋をしていた少年から距離を置く事を決める。
しかし、どうやって見つけたのか少年はシスフェリアの居場所に辿り着いてしまう。
そこでシスフェリアは下僕・シルエラに、少年を遠ざけるように命じる。
ところがこのシルエラ、とある理由により(metaphorにて明らかになる)シスフェリアが好き過ぎて、独占したいが為に少年を遠ざけるどころか命を狙おうとするのであった。
最後の「世界が軋む音」とはなんだろうか。
これから少年に起こる事の暗示?
2曲目は、対峙するシルエラと少年の話。
命令を都合良くねじ曲げたシルエラは、シスフェリアに近付く少年を殺そうと襲いかかる。
しかし少年は傷つける事なく攻撃から身を守る。
少年、すごいな。
魔女の下僕をやっているシルエラはそれなりに実戦経験があると思うんだけどな。
「[繋ぎとめるため]そして[取り戻すため]二人は揺れる」という歌詞があるけど、
少年にとってシスフェリアは「繋ぎとめたい」「取り戻したい」存在だし、それはシルエラにとっても同様と言える。
「シルエラは幼稚な 自らを嘲笑う」という歌詞があるように、シルエラ自身も自分がやり過ぎている事は分かっている。
でもシスフェリアが好き過ぎて、自分だけを見ていて欲しくて、少年を殺す事を止められないのだ。かわいいなあ。
しかし、遂に少年の首筋にナイフを突き立てたと思いきや、その凶刃を身を挺して受けるシスフェリア。
「初めて感じる痛み」とは、魔女になってから数えて初めて、って事なんだろう。
何しろ魔女は人々に畏怖され、崇められる存在なのだから(1曲目冒頭の歌詞)、滅多なことで傷みなんて感じる事もないはずだ。
「二度目にして最後の決別」というのは、一度目が魔女になった時で二度目が今、って事なのだろう。
この時のシスフェリア、口もとから鮮血が流れるほどに深い傷を負うとは、余程深くナイフが刺さった事だろう。
この時のシルエラの顔が見てみたい。多分すごい顔をしている。
まあ魔女は不死だけど。
ところで、コーラスは一体なんて言ってるんだろうか。
「セクサリス」と「ミルリーナ」は聞き取れたんだけど。
3曲目は、意識を取り戻した少年の話。
やっとシスフェリアに会えたと思ったら、奇声を上げて騒ぐ少女に殺されそうになり、挙げ句の果てに気を失うという散々な目に遭った少年。
シスフェリアが魔法をかけた所までは意識があったようだ。
かけた魔法は「二人の思い出を消し去る魔法」と「幸せに生きられる魔法」の二つ。
記憶に関わるものだから、一度気を失ったと考えるのが妥当か。
もっとも、最終的にこの二つの魔法は相反して両立することはなく、どちらの魔法もかかる事はなかったのだけど。
シスフェリアが「幸せに生きられる魔法」という余計なものをかけてしまったばっかりに。
でも、それは本当に少年を思っての事なのだろうし、シスフェリアの心優しい一面が見られる話である。
だが結果的に少年はシスフェリアの事を忘れられず、再び旅路をゆくのであった。
これはもう、どちらも不幸になる光景しか見えないなあ。
1曲目にも書いた通り、metaphor(正確には灰色のトランジェントという曲)にシルエラの過去話があり、彼女がシスフェリアに偏愛を抱く理由が明らかになる。
同人時代の6thアルバム。
まず初めに書いておくとこのアルバムは音楽面と物語面ではだいぶ物語の方に比重を置いている。
ちょっとくどいなと思うくらい語りが入っているのだ。
これは別に、音楽がいまいちと言っているわけではない。
1曲目のだんだん盛り上がっていって5:13~あたりで爆発するのとか大好きだし。
あとは何と言ってもこのアルバムは、魔女が関わる話にアルバムを跨がって何度か登場するキャラクターである、ルクセインの原点なのだ。
聴いておくと、残響レギオンや創傷クロスラインがより楽しめる事請け合いだ。
最後に。
沢城みゆきの少年ボイスは最高だと思う。
1曲目は、少年ルクセインと、黒狼と呼ばれる名も無き子供狼の出会いの話。
最初は黒狼の境遇について語られる。
黒狼は人語を理解し、寂しがりで泣き虫だったので、仲間からは不気味がられて群れを出された、との事。
人語を理解できるという事は、人間の気持ちをも理解できるという事で、そこから寂しいという感情が生まれたり、泣いたりできるようになったんじゃないかと思う。
感情で泣く動物なんてのは人間しかいないので、不気味がられて当然と言えるだろう。
そんな黒狼が村から程遠い川の片隅で出会ったのが、ルクセインだった。
恐れられるのに慣れていた黒狼に対して、恐れられるどころか不思議そうに撫でてくるルクセイン。
ルクセインはどんな境遇だったかというと、家族への不信感から家を離れた、家出少年。
家族間で何があったのかは、後に出たアルバムでも全く明らかにされていない。
残響レギオンの家庭描写を考えると、魔女への信仰とかが不信感に関係してそうかなーと思う。
ともかく、こうして1人と1匹は友達になった。
2曲目は、友達になったルクセインと黒狼の日々を語る話。
お互いに帰る家のない2人は、森の果実だけでは空腹を満たせない。
そこでルクセインは黒狼をそそのかし、村を襲わせて村人がいなくなった所で物色する……という行為に走る。
先に残響レギオンを聴いていた身としては、お前こんなに悪い奴だったのか……って思った。
この時黒狼自身は、自らの容貌を見せつけ咆哮で脅しただけであって、傷つけてはいないのがポイントだ。
ルクセインは、「この村には悪い奴らが住んでいる。これは持ち主の為に返す行動なのだ」とか言って、子供ながら口だけは回るらしい。
しかも行動はエスカレートしていき、村に放火までやらかしている。
こいつはとんでもない悪ガキだ。
それでも疑う事を知らない黒狼は、ルクセインの指示のもとあちこちの村で同じ事を繰り返していく。
いや、流石に疑えよ、と思うのだがこれについては一応3曲目で語られている。
「胸に残された 利用している事実への罪悪感見えぬフリして」との歌詞から、ルクセイン自身にも一応罪悪感というものがあるらしい。
家族への不信感から家を出たこともあるし、「人との距離感が分からない」と言っているように、基本的に他人を信用していないルクセイン。
他人との距離感が分からないことによる孤独、孤独からくる悲しみを紛らわすかのように放火を繰り返す。
当事者からしたらたまったものではないな。
流石に何度も同じ事を繰り返されると、優しい黒狼も「本当に悪い奴らの村なのか」と疑うようになるものの、「友達を嘘つき呼ばわりするのか」と逆ギレするルクセイン。
ひどいガキだなあと思う反面、彼自身も後には引けず意地になっているんだろうなぁ、とも思う。
3曲目。
昼夜を共にし、仲良くなっていく1人と1匹。
人語を理解どころか人語を発する事さえできる黒狼は、もはや人間の友達のようなものだ。
だからこそ、些細な諍いだって起きるし、それを乗り越えられる程に友情を深めていく。
でも調子に乗って襲撃を続けていた彼らには報いが来る。
いつしか黒狼に対する警戒情報が伝わっており、ルクセインは屈強な衛兵に取り押さえられてしまったのだ。
「あいつは吠えてるだけで怖くないぞ」みたいな情報が伝わったのだろうか。
友達であるルクセインが捕まってしまったにも関わらず、心優しい黒狼は衛兵に対して何もすることはできない。
何しろ今までの村襲撃は襲撃とは名ばかりで、自らの恐ろしい容貌を見せつけ、吠えるだけだったのだから。
そんな黒狼に業を煮やしたルクセインは「早くこいつらを殺せ!」なんて事を口にする。
その時のルクセインの顔は、黒狼がルクセインと出会う前から幾度となく見てきた人間達の顔そのもので。
黒狼はそんな彼に失望し、もうこの関係が終わってしまうのも長くないと考えたのか。
やけになって衛兵に襲いかかるも、それを見透かしていた衛兵の槍に突き刺さってしまう。
そして黒狼は力を振り絞り、ルクセインに最後の別れを告げた後、街の襲撃とルクセインは無関係である事を主張したあと再び槍で突かれ、絶命するのであった。
黒狼は、途中からルクセインが「自分を利用して悪事を働いている」という事に気付きながらも、友達でいられる事の幸福感を優先していた。
1曲目で「孤独は心さえ奪っていくことを」とあったように孤独な黒狼の心はからっぽで、それを埋めるように現れたルクセインの存在は、黒狼にとってあまりにも大きすぎたのだろう。
ルクセインは黒狼の亡骸に抱きつき慟哭し、タイトル回収、と。
それにしてもルクセイン、村から金目のものを漁っている所を取り押さえられて、よくもまあ無罪放免になったものだ。
いくら黒狼の機転が利いたとはいえ……やはり、人語を話す黒狼が衛兵達にとっては衝撃的過ぎたのか。
「ルクセインの物語はまだ終わらず」とあるように、彼の物語は何年かの時を経て残響レギオンへと続いていく。
同人時代の7thアルバム。
告解の館と呼ばれる場所に迷い込んだ1人の少女が、館に住む人々と会話しつつ自分を見つけていくという……内容。
全体の構成は黎明ローレライと似ているか。
最初に流して聴いた時は、これといって印象に残る曲がないなと思った。
しかし何度か聴いているうちに、お気に入りの曲が増える増える。
中でも、10分超えの3曲目は2人がまさに文字通りダブルキャストするところなんて最高だし、6曲目の特徴的なイントロから入る疾走感がたまらない。
8曲目の思わず頭を振りたくなるメロディにサビの「フィー↑ナ↓」の所とか口ずさみたくなる。
これは是非、何回でも聴いてもらいたいアルバムだ。
1曲目。
この曲の中では名前は出てこないが、フィーナという少女が不思議な館に迷い込んでしまうまでの話。
館の中は時が止まっているかのような空間で、出口は不可視の力で閉ざされ、館の住民は仮面でその表情を覆っている。
そして、少女の脳裏に浮かぶ「救いなんて、いらない……」という声を呟いたのは誰?
ひたすら謎ばかり投げかけて物語は次の曲へ。
2曲目は、1曲目に引き続きフィーナが、謎の執事に会う話。
その執事は妙に馴れ馴れしく、館の中で唯一素顔を晒している。
執事はこの場所は告解の館であると語る。
フィーナは、異様な視線を向ける仮面を被った住民達に、強い嫌悪感を覚える。
嫌悪感の理由は異様な視線だけではないようだが……?
そんな仮面の住民達に、館から出る方法を訊ねるフィーナ。
しかし住民達はフィーナの意図に反して、自分たちが「この場所に辿り着くまでの物語」を語り始める。
フィーナはそれどころではないはずなのに、何故か住民達が紡ぐ物語に引き込まれていく……。
ここまでで投げかけられた数々の疑問:
・執事が妙に馴れ馴れしいのは何故?
・仮面を被った住民に強い嫌悪感を覚えるのは何故?
・フィーナが物語に引き込まれるのは何故?
これらの疑問は、ちゃんと後に判明するようになっている。
3曲目は、王都の大劇場で歌い踊るヒロイン、フィーとリィサの話。
恐らく仮面の住民が語る物語の一つ。
二人はみんなの人気者なのだが、人々は何かと格付けをしたがるもので。
どちらがよりヒロインに相応しいのか、そんな話は二人の耳にも入ってきて。
そのことで、自分に自信が持てないと告げるフィーにリィサは怒り、珍しく喧嘩別れのように二人離れて家路につく。
翌日、喧嘩したことにより体調を崩してしまい、熱を出して寝込むフィー。
その日はリィサが一人舞台に上がる事になったのだが、舞台の見せ場であるヒロインの独唱にさしかかった際、老朽化した照明がリィサの頭上に落下する。
目立った外傷はなかったものの、頭部に当たったせいで意識が戻らなくなってしまう。
ここで医師が「魔女の力でも借りれば」と言っているのだけど、この世界での「魔女=悪」は必ずしも成り立つわけではないんだと思う。
それか単純に、魔女の力というのは強大な力の比喩なのかもしれない。
悪い事は重なり、その日からフィーは精神的ショックからか舞台に上がろうとしても歌を歌えなくなってしまうのだ。
幸いこの舞台はホワイト企業だったようで、フィーとリィサが欠けた分の演目は他のメンバーが埋める事となり、フィーは小間使いとして暮らす事になる。
歌えないまま数年が経過したある日、舞台から突然リィサの歌声が聞こえてくるのを耳にしたフィー。
事故前の姿をしたリィサはフィーを舞台に引っ張り上げ、共にコーラスを紡ぐ。
リィサのおかげで歌を思い出したフィーは、舞台の見せ場である独唱を見事歌いきる。
この部分がリィサが事故を起こした時との対比になっているのが素晴らしい。フィーはついにトラウマを克服したのだ。
事故前の姿をしたリィサは、フィーに感謝の言葉を残して姿を消す。
慌ててリィサが寝ているはずのベッドに戻ると、ちょうど先程までのリィサが姿を消した瞬間に息を引き取ったのだという。
死の間際まで親友を想い続けた、その笑顔を胸にフィーは再び舞台に立つのだった……。
ところで、告解の館で仮面を被りこの物語を語ったのは誰なのか。
後の種明かしで分かるんだけど、この時点だと語り手はフィーともリィサともとれるのではないかと思う。
リィサは故人であるものの、告解の館はどう見ても普通ではない空間。
黎明ローレライのLoreleiみたいな場所でもおかしくはないだろう。
4曲目は、父親とそれを看取る娘の話。
恐らく仮面の住民が語る物語の一つ。
父親との時間を思い出しながら、パパの子で幸せだった、と告げる娘。
果たしてこの物語を語るのは、娘が父親か。
2曲目に「彼女達はやがて、緩やかに語り始めた。」とあるように、仮面の住民達の事を「彼女達」と表現している事から、娘の方で間違いないだろう。
5曲目は、箱入りの双子少女とその教育役であるメイドの話。
恐らく仮面の住民が語る物語の一つ。
双子はメイドが教えた「生命の輪廻」を拡大解釈、というか歪曲し、蝶を殺して「この蝶が生まれ変わって人間になったら、お友達になる」などと言う。
大人達は誰も気付かないまま、双子の遊びはエスカレートしていく。
ある夜、教育役のメイドは風邪で寝込んでしまう。
そこにお見舞いにきた双子達をメイドは歓迎し、傍に招いた刹那、双子が隠し持っていたナイフでメイドは刺し貫かれる。
双子は「これでフィーナも元気になって生まれ変われるね」と無邪気に笑うのであった。
……さて、ここにきて仮面の住民の正体が見えてきた。
仮面の住民はフィーナ自身であり、自身の物語を語っていたのだ。
6曲目。
恐らく仮面の住民が語る物語の一つ。
心の病気を患っているとされる少女と、その遠い血縁を名乗る女のやりとりが行われる話。
病気の少女は、「見てはいけない凄惨な赤」を見たが為に、その記憶を奪われる。
他の記憶も継ぎ接ぎされて、確かなものなどなく、何が嘘か本当なのかも分からない。
遠い血縁を名乗る女は「強い記憶は更に鮮烈な記憶で上書きしてしまえばいい」と当然のように言ってのける恐ろしいやつ。
「私は彼女の何かをみた」と言っている事から、「見てはいけない凄惨な赤」というのは遠い血縁を名乗る女に関わるものだというのが分かる。
遠い血縁を名乗る女は、少女を手厚く看病しているように見えて、その実薬を飲ませる事で少女の記憶を歪めていっているのだ。
心の病気だと言い聞かせているのも、薬を飲ませる為の口実に過ぎないのだろう。
そして、少女が最後には壊れようとしているところで語は終わる。
この物語に登場する少女も、フィーナで間違いないだろう。
ちなみにこの遠い血縁を名乗る少女、創傷クロスラインにてまさかの再登場を果たし、名前もそこで判明する。
7曲目。
この曲は歌詞カード上で歌詞の色が変化しており、黄色い部分と白い部分がそれぞれ別の場面になっている。
そして、9曲目にて黄色い部分の続きが語られている。
黄色の部分は、結婚し夫に先立たれた女(=フィーナ)の話だ。
歌詞の白い部分は、黄色い部分の話を終えた仮面の住民が仮面を外す場面から始まる。
ここで、ようやく「告解の館で仮面の住民の話を聞いていたフィーナ」が、仮面の住民の正体を知るのだ。
「みんな私―――?」
更に、そろそろ頃合いとばかりに執事から語られる事実。
フィーナは一度自殺を図り、生死の境である告解の館で目覚めた事。
仮面の住民達は全て生きていればあり得たフィーナの可能性の存在である事が告げられる。
・仮面を被った住民に強い嫌悪感を覚えるのは何故?
→自殺によって自ら閉ざしてしまった、自分自身の可能性だったから
・フィーナが物語に引き込まれるのは何故?
→自分自身の物語だったから
疑問の答えは、こんな感じなのではないだろうか。
そしてフィーナは執事より、痛みを耐えて生きるかそのまま楽になるか、生死の選択を迫られる。
「救いなんて、いらない……」という呟きは、フィーナが自殺の瞬間の、自分自身のものだったのだ。
8曲目は、濁った瞳で訴え続ける老婆とフィーナの話。
「独特の表現で訴え続ける」と言っている通り、回りくどい言い回しで「いいから早く死ね」と老婆は語ってくる。
自殺を図るに至った理由を思い出せ。
そうすれば告解の館は役目を終える。
希望を享受できたのはいつだって自分では無かった。
やり直しても意味はない、自殺を望んだのだからそのまま死ね、フィーナ。
……みたいな感じだろうか。
「思い出せよお前はすぐ騙されるぞ」より、生前何者かに騙され、陥れられて絶望した事が予想できる。
また、「あの日みたく手首切れば」より、リストカットによる自殺だという事が分かる。
更にその後の歌詞を追っていくと、訴え続ける老婆が「自殺をせず生きることを選び、ろくでもない人生を終えてここに来たフィーナ自身」である事が分かる。
これもまたフィーナの可能性の一つなのだと、執事が語るところで終わる。
9曲目は、7曲目冒頭の続き、そして告解の館でのフィーナと執事の話。
夫を亡くしたフィーナの身には、新たな命が宿っていて。
寂しい思いはさせない、二人分の愛情を注ごう、とフィーナは誓うのであった。
そして、告解の館にて。
この妙に馴れ馴れしい執事は、出産するフィーナの可能性から産まれた子が逞しく成長した姿だった事が判明するのだ。
フィーナに、いつか男の子が産まれるのなら、決めていた名前があって。
それこそがエフティヒア、即ち、執事の名前の事だった。
2曲目で「私の名前はあなたの頭の中に強くあるはず」と言っていたのは、そういうわけだったのだ。
フィーナが死を選んだとしたら自身が消えてしまうというのに、7曲目ではたとえ生と死のどちらを選んだとしても私が導くと言う、執事エフティヒア。
こんなに愚かな私を救ってくれてありがとう、と泣いて抱き合う2人なのであった。
さて、フィーナは選ぶのはどっち?
10曲目。
フィーナは告解の館での出来事を経て、自分にはまだまだ無数の可能性が残されていると知る。
知った上で考える。
フィーナは、一度は絶望の中自殺を選択した少女だ。
これ以上痛むことのない死を選ぶ権利を持っている。
一方で、告解の館で見つけた新しい可能性、希望。
それらを求めて生を選ぶ権利をも持っている。
そして、遂に決断したフィーナは、生への扉を開く。
「自身の物語を終えた時、この場所で仮面をつけるのだろうか?」という歌詞があるように、仮面の住民はみな自分の人生を終えた後、年齢相応の姿に変化して、印象的なエピソードを語っていたのだろう。
微笑む仮面の住民達に見送られながら、新しい世界を目指して再び歩み始めるフィーナなのであった。
希望を胸に扉を開くフィーナの挿絵が、なんというかもう、言葉にできないなこれ。
そういうわけで無事ハッピーエンドを迎えた、フィーナの物語。
まさか、それが創傷クロスラインで台無しになろうとは!
同人時代の8thアルバム。
これは少女病としては異色の作品で、「語りなし、歌のみで物語を表現」「全編英語の曲有り」という挑戦的な内容になっている。
まず聴いて思ったのが、語りがない影響なのか、どことなくメロディがメリハリに欠ける。
語りを挟んだ後、弾けるように疾走するようなやつとか、そういったものを求めていたんだろうなって思う。
曖昧な表現で申し訳ないんだけど。
どの曲も悪くはないんだけど、さらっと通り過ぎていっただけで、個人的に強く惹かれるような曲がなかったということである。
まあ……そういう事もあるよね。
1曲目は、人間とセイレーンの関わりについて歌った曲。
セイレーンの扱いがもう散々なものである。
セイレーン何も悪い事してないのに。
いずれ悪い事に使われる前に全滅させようという戦王の考えは、間違ってはいないけど間違ってる。
はあ……人間って馬鹿で愚か……。
2曲目は、生き残った数少ないセイレーンの悲痛な叫びを語った歌か。
翼切り取られ囚われる、と1曲目にある通り酷い目に遭っているわけだ。
1曲目にて、病んだ者に癒しを与えていたセイレーンの歌は、憎悪にあふれもはや何物も癒やすことはできなくなってしまった。
こんな世界に誰がした!
3曲目は、かろうじて逃げきったセイレーンの少女、ティアの話。
ただ逃げ切ったわけではなく、仲間や家族を犠牲にしているという、痛ましい状況だ。
恐らくホームグラウンドである海に近付くと人間に狙われてしまうから、森まで行ってかろうじて生き延びているのだろう。
「あなただけは遠くへ」「あなたは特別だから」と仲間や家族に言われているように、何か特別な力でも持っているのだろうか。
セイレーンの中でも歌の力が特に強いとか?
歌に癒しの力はあれど自分を癒やすことはできず、極度の疲労に倒れてしまったところを青年に救われるのであった。
4曲目は、目覚めたティアと助けた青年の話。
ティアは覚悟をしていたのか、抵抗する力がないのか、目覚めるなりあっさり首を差し出す。
「セイレーンの処遇なんてそういうものだ」という認識が、幾多の同胞達の死を見てきた事によって固まっているのだろう。
でも青年の話を聞くうちに、傷に巻かれた包帯を見ているうちに打ち解けていく。
そして少女は恋を知る。展開早いなっ!
まあ……8曲と普段のストーリーアルバムと比べれば若干曲数が少ないうえに語りもないからな……仕方無いね……。
5曲目。
ここで、実は青年がセイレーンのティアを助けたのには打算があった事が判明する。
セイレーンを捕まえて、その歌声の力で貧しい祖国を変える、という使命を持っていたのだ。
けれど2人でいるだけで幸せな日々が、使命を遂行しようとするとなくなってしまうわけで、青年は葛藤していた。
でも青年がなかなか使命を果たせなかったのには訳があって、それはティアが青年の耳元で囁いていた歌声の効力によるものだった。
1曲目で「戦火の兆しがみえたなら 戦意を奪った」とあるように、青年は戦意(=ティアを祖国の為に利用してやろうという意志)を奪われていたのだ。
そんな中、業を煮やした祖国からの刺客が現れて、青年は斬られて意識を失うのだった。
ティアについては次の曲で分かるんだけど、この刺客に捕らわれ、青年の祖国へと連れて行かれる。
また、この時青年が死んだかどうかは定かではないものの、7曲目からして多分この時点では生存していると思う。
6曲目は、捕らわれたティアの悲しみを歌った曲。
ティアを手に入れた国は、大きな力を持つティア――セイレーンの力を脅しに利用して、大国へと進化していく。
脅しの材料として通用してしまうほどに、セイレーンの歌というものは驚異的な存在となっているのだろう。
ティアは囚われた国の為に歌う事を強要される。
かつて恋した青年を思い、泣きながらも歌い続けるのであった。
私は神じゃない、という言葉は、国を救った神のように扱われているからか。
7曲目は……処刑場でのやりとりを歌った曲?
登場するのは、ティアと「大罪人=敗者」と「勝者=愚者」だろうか。
大罪人は檻の中でティアの無事を待つ、つまり囚われのティアを助けに来たという事で、そんな人物は一人しかいない。
大罪人とは、言うまでもなくティアを助けた青年の事だろう。
勝者は青年を捕らえ、更にその処刑執行人すら兼ねる。
そして勝者はこれでセイレーンの側近の地位を得るのだという。
「穢れなき花に恋焦がれ」ってことは、この勝者は邪な気持ちでこの地位を狙っていたのだろう。
しかし、処刑を前に卑しげに笑う勝者、もとい愚者に襲いかかるティアのナイフ。
油断していたのか、愚者はその身体を深く貫かれ、絶命する。
処刑台?にいる青年へと駆け寄るも、ティアの腕が届くその瞬間に処刑は執行され青年は命を落とし、少女は絶望するのであった。
これ、最初に読んだ時は、ティアが勝者を殺した時にはとっくに青年は命を落としたと思っていた。
それで最後にティアの処刑が執行されたと思ったんだけど、それだと8曲目とどうにも辻褄が合わないなと思ったので、多分こんな感じかなと。
8曲目は、悲観に暮れるティアの歌。
ティアは亡骸となった青年への気持ちを吐露して、海の底へと沈んでいく。
わざわざ青年の死体を持って海まで行くだなんて、囚われの身であれば叶うはずがない。
「私の歌は負の魔力に染まっていて」とある事から、恐らくティアの歌は処刑場の一件により国にとって使い物にならなくなっており、だから解放されたのだと思う。
青年の死体はなんだろう……餞別かなんかか……?
あの国は、処分する手間が省けた、程度にしか思っていないんだろう。
なんというか、こうなる事はもう1曲目の時点で決まっていたよね。
ちょっと色々あっただけで。
そんな救いの無い物語なのでした。
メジャーデビュー後の2ndアルバム。
うちが最初に買った少女病CDの1つである(もう1つは狂聲メリディエ)。
全編にわたって第二の魔女アイリーンの物語となっている。
……実は最初は少女病の「音楽」のよさに惹かれて買ったので、物語の方はそこまで気にしていなかったんだけど、後に物語の方も見直してみたら一気にはまった。
1つの物語として完成されており、音楽のレベルも高い。
特に、不気味なイントロから激しく疾走する1曲目は、このアルバムの象徴である暴虐の魔女・アイリーンを見事に表現している。
この曲のために買ってもいいくらい格好いい曲だ。
他の曲も語りと歌がバランスよく作られていて、物語も音楽も満喫できる。
話の内容も、よくあるRPGのような感じ(仲間を集めてボスを倒せ的な)で分かりやすい。
初めて少女病を聴くという人に、自信を持っておすすめできる名盤だと思う。
いやほんとに、最初は深紅のエヴェイユを聴いて「なんかサンホラっぽいなー曲もかっこいいし買うか(物語楽曲なら何でもサンホラって言ってすまない)」とか軽率に思いつつ買って本当に良かった。
素晴らしいアルバムをありがとう。
1曲目は、物語の始まりと共に第二の魔女アイリーンの自己紹介を兼ねた曲。
ちなみに第一の魔女とは蒼白シスフェリアに登場するシスフェリアの事だ。
第一の魔女とは性質が全く異なり、ただひたすらに残忍である事が歌詞の端々から読み取れる。
・古城を拠点としている
・彼女に跪く狂信者が居る
・扇動し戦争を巻き起こす事ができる
・飽きてしまうほど日常的に虐殺を繰り返している
この世界の魔女は畏怖と共に崇められる存在なので、崇拝する人が大勢居たとしてもおかしくはない。
アルバム後半の曲で「見張りの兵士」という言葉が出てくるため、自らを崇める狂信者達にはそういった仕事を担当させているのだろう。
そんな暇をもてあます魔女アイリーンが思いついた、新たな遊戯。
「描けた。不快で愉快な、終わりまでの軌跡…」と言っている事から、この時点で「新たな遊戯」のシナリオを思いついている。
他にも「仮初の生命を 呪わしい物語に宿そう」「望まぬままに開け放たれた棺」と、最後まで聴いた人にとってはこの時点でもうネタバレのオンパレードだ。
シスフェリアのように相反するものでなければ、こんな事までありなのかと、魔女の強さに驚くばかりだ。
ちなみに歌詞カードの絵では大蛇と共に血塗られた指を舐めているアイリーンが描かれている。
その姿はまさに男装の麗人といった感じで、そういう趣味の持ち主である事が分かる。2曲目でもよく分かる。
ちなみに、「ねぇ、目をそらさないで。物語がはじまるよ」と言ってるのはセクサリスである。ソースは初回盤特典の「セクサリスの見た風景」で同じような台詞を喋っている事から。
2曲目は、アイリーンの日常について語られる。
彼女は少年少女達を自分の城にさらい、少女に対しては断髪し男装を強いる。
そして夜な夜な、「永久に解放されない悪夢」を繰り返しているという。
これが具体的にどのような行為の事なのかは、明確には書かれていない。
しかし、4曲目にも出てくるのだけど、痛ましい「魔女の烙印」というものを押される事は間違いない。
また、この永久に解放されない悪夢によって、少年少女達が次々と落命していく事も描写されている。
「見目麗しい少年達を囲い、身も心も屈服させる」という遊戯が今アイリーンの中でブーム。
アイリーンはまず、少年少女達を掠う時に彼らの家族や恋人を殺して精神的に追いつめていき、あとは自らの城で(具体的な記述はないが)痛めつけていくのだろう。
ほんと、人生楽しんでるな。
3曲目は、アイリーンの城から脱出するルークとミリアについて歌った曲。
武器を持っているわけでもなさそうなのに脱出できてしまうあたり、そこまで厳重な警備ではないのか。
と思いきや、物語の最後を鑑みるに恐らくこの2人はわざと逃がされたと思う。
で、せっかく脱出できたはいいものの、帰る場所も家族もいない。
家族は皆、掠われる時にアイリーンに殺されたのだろう。
そして、身体に焼きつけられた魔女の烙印を見られると、魔女に引き渡されてしまうという歌詞がある。
これについては6曲目に「国中に漂う不自然なまでの魔女への信仰」とある事から、国ぐるみで魔女を信仰しており、国民達は魔女に対して協力的なのだと思う。
烙印とやらがどこにつけられたのかは知らないが、街に戻ったところで普通に暮らす事は不可能だろう。
最後にアイリーンが「一瞬でした決意など、一瞬で消えてしまうものだ」と言っている。いやー、まるで脱走した2人の事を把握しているかのようだな!
ところで、「顔色が悪いよ?」「キミこそ真っ青だ」というやりとりがあるのだが、これって終盤への伏線だよなあ……。
4曲目は、アイリーンに双子の兄を連れ去られた少女、フランチェスカ(名前は6曲目に登場)の話。
兄を奪われ、声まで失ったフランチェスカ。
家主(大家さんみたいなものか)には厄介払いだと言われ家を追い出されてしまうのだけど、国中に魔女への信仰が漂っている割に魔女の被害者への扱いがこれっていうのはどうなんだろう?
普通なら魔女に狙われた家は両親は殺され子供は掠われて誰もいなくなるはずだったのに、フランは例外として放置されたため、家主にとっては単純に邪魔に感じたとかだろうか?
フランは勇気を出して故郷を離れ大きな街へと足を運び、意思の疎通が困難な中、富豪の家での下働きに就くことに成功する。
「生きてさえいれば、必ず機は訪れる」という、いつ言ったのか知らないが兄の言葉を信じて健気に頑張るフランなのであった。
そんな生活を続けていたら、ある日魔女の烙印を持ったルークとミリアが水浴びしている所を見つけてしまうフラン。
魔女の烙印については3曲目でも言及していたように、見られてはまずいものだ。
一方でフランはというと、魔女の烙印を持つ者なら魔女に掠われた兄の事を知っているのではないかと、気が気でない。
仕事を放り出してルークとミリアを追いかけるのであった。
魔女の烙印は、水浴び中でもないと見られない所に押されたって事なんだろうか。
5曲目は、ルクセインが各地を放浪してるっていう話。
慟哭ルクセインでの出来事を思い、自責の念を秘めながら放浪しているようだ。
あれからどれくらいの時を経たのかは分からないが、挿絵を見る限りそれなりに身長は伸びている……気がする。成長期かな。
黒狼の牙で作った首飾りを持っていたりして、結構器用?
昔は森の果実だけでは飽き足らず略奪行為をしていたような青年が、放浪中にどうやって食糧や宿を確保しているのか気になる所だが、そこに突っ込むのは無粋ってもんか。
ところで、「黒衣の青年は、不死なる魔女の一人、アイリーンの影響下にある街を睥睨(へいげい)していた」とあるが、ルクセインは一体何の目的でこの街に来ていたのだろうか。
魔女が黒狼と呼ばれる種族の動物達を捕らえて使役しているという話を聞くのは偶然だし、慟哭ルクセインの時点では魔女に因縁はなかったはずだ。
ということは、ただの偶然?
たまたまアイリーンの影響下にある街を通りかかったところで、たまたま黒狼の噂を耳にした?
そして熱量が奥底から膨れ上がるような感覚を覚え、闇を屠ろうと意気込むわけだ。
8曲目のアイリーンの台詞を見る限り、この一連の出来事は決して偶然ではなく、仕組まれたものだと思う。
6曲目は、フランチェスカの過去話。
フランはどうやら、魔女を信仰する人々が集う街で育ったらしい。
「国中に漂う不自然なまでの魔女への信仰にも、どうにか順応して」とある事から、フランの一家は魔女についてよく思っているわけではなさそうだ。
外部から引っ越してきたとか。
そんな環境の中で、外からどう思われていたかは知らないが、少なくとも家庭内は貧しくも幸せな生活を送っていたフラン一家。
そこへ唐突にアイリーンが「終わりにしましょう?」とか言いながら現れる。
「あの一家は魔女をよく思っていない」とかなんとか密告した人でもいたのだろうか。
魔女を信仰する者だらけの街でなら、そういう人がいてもおかしくないと思う。
目の前で両親を殺され、そのまま連れ去られそうになるフランとその兄のレスター。
どうでもいいけど、この場面でのフランの悲鳴が子供とは思えないくらい艶めかしくないですか?何歳なんだろう。
フランは全てを拒絶するかの如く叫び続ける。
ところで、「遙か蒼穹の空へと撃ち鳴らすのは 虚構求め 揺れる心の警鐘か……?」という歌詞がある。
蒼穹の空と言えば、どうしても黎明ローレライが浮かんでくる。
黎明ローレライに登場する、痛みから逃げようと現実逃避していた唯一の少女と、全てを拒絶しようとするフランを重ねているのだろうか?だいぶこじつけ感あるけど。
そんなフランが鬱陶しいと思ったのか、アイリーンは「お前はもういいや」と言って殺そうとする。
だが、兄のレスターがその身を挺してフランを庇う。
後の歌詞を見る限り、手でアイリーンの刃を受けたようだ。
ここでアイリーンは声を失ったフランを連れ去らずに放置するんだけど、その理由は4曲目冒頭にあるように「気まぐれ」だ。
多分声が出せないと、「遊戯」をさせたときの反応が面白くない、とかじゃないかな。アイリーン的には。
7曲目は、しつこく追いかけ回すフランチェスカにルークとミリアが刃を差し向けるシーンを歌った曲。
まぁ、ルークとミリアの気持ちは分かる。
魔女の烙印を見られたら魔女の城に戻されかねないというのに、なんか無言でしつこく追いかけてくる奴がいるのだ。
「幾多の犠牲の上に 勝ち得た炎も潰えてしまう」という歌詞から、ルークとミリアは未だに残した仲間達の事が気がかりであり、自分達が逃げたせいで残った仲間が酷い事に遭っているかもと思っている。
3曲目の「残された者の処遇にどんな酷い影響を及ぼしてしまうだろう?」という歌詞にもある通りだ。
しかし、ルークとミリアは何処から調達してきたんだろう。そんな物騒なもの。
で、フランと刃を持った2人の間に割って入るルクセイン。
ルクセイン、何かと「子供が~」とか皆に言うんだけど、お前も大概子供だと思うぞ。
挿絵を見た感じ、同年代に見えるし。
勘の良いルクセインがフランが喋れない事を指摘、筆談でコミュニケーションを取る事で、ようやく誤解は解ける。
これまでの経緯を話すように促したりして、ルクセインがすっかりリーダー気取りである。流石年長(?)。
話の中で兄のレスターが居る可能性を示唆され、息を呑むフラン。
ルクセインも助力を申し出るのだけど、ただ3人に心打たれただけではなく、黒狼達を助けるうえで目的地が同じなので丁度良いという打算もあったのだと思う。
……さっきからルクセインの事あまりいいイメージで書いてないけど、これは愛だから!多分。
8曲目は、ラスダンに乗り込んだ冒険者達さながらにアイリーンの城へとやってきた4人の曲。
冒頭でアイリーンが何やら不気味な事を話している。
「あらかじめ約束されていた最期の夜。イレギュラーなき旋律の開演」……つまり、ここまで予定調和だったという事だ。
そうとも知らずに4人は行軍を続ける。
「奪っていいのはアイリーンの命だけ」という考えのもと、見張りの兵士すら殺さずに縛りおいておくだけにとどめる。
魔女の狂信者であろう見張りの兵士も、相手が子供とはいえそれなりの体格の4人相手では荷が重かったらしい。
ルクセインに至っては何処から出したのか黒いナイフまで持っているし、それで脅して兵士を無力化させたとか、色々考えられる。
仲間達の囚われた部屋の前まできたはいいものの、魔力によって硬く閉ざされている。
うーん、なんともRPGのような表現だ。
この魔力を解いて扉を開けるには、魔女を殺せばよい。分かりやすい!
魔女は不死なる存在だったはずだが……流石にそんな事知っているはずもなく、ルクセインが良い所を奪っていく形で眠っている魔女にナイフを突き刺した。
常識的に考えて完全に死ぬだろ、ってくらい深く刺したことが歌詞から伝わってくる。
魔女に常識で挑んだのが、彼らの敗因か。
そもそも、この勝負最初から負けていたという事が次の曲で明かされる事になるのだけど。
それにしても「手を汚すのは俺だけでいい」だなんて、創傷クロスラインで言われる事になるのだが、ヒーロー気取りもいいとこだな。
ぽっと出のルクセインに見せ場が持って行かれてしまっているんだが……。
年上(?)の義務感かっ!そうなのか!
9曲目は有り体に言えば種明かしをする話。
魔女を殺し、仲間達の鎖を外し、喜びを分かち合うミリアとルーク。
この時フランは兄を探しており、ルクセインは黒狼達を探しているのだと思う。
「不自然にしか笑顔を作れない」という歌詞があるが、単純にこの状況を素直に喜べない事を意味しているのか、それとも魔女によって動かされている事を自覚しているのか、よく分からない。
そうこうしているうちに黒狼達を解き放ったルクセインは、ルークとミリア達を羨みつつ無言で去って行く。
うーんどこまでもヒーロー気取りだ。
そもそもルクセインは、家族への不信感から単身家を出た身だ。
この時点ではまだ、「人と馴れ合う気はない」って事なんだろうか。
やはり4人のレギオンを組んだのは、目的地が一緒だったから、ってだけなのだと改めて感じる。
ルークとミリアは、逃げ出した時からずっと気にしていた「仲間を置いてきた」という事に対する後ろめたさについて吐露するも、それはあっさり受け入れられる。
ずっと気になっていた事だけに、抱き合って喜ぶ仲間達。
抱き合っているうちに気付いてしまう。ルークとミリアの身体が冷たいという事に。
「顔色が悪い」とは3曲目の時点で言っていた。
そして突然死んでいたはずのアイリーンが立ち上がり、種明かしをしていく。
アイリーンの胸のあたりがどことなく赤いような気がするけど、挿絵が全体的に赤みがかっているので、それが刺された跡かどうかは判断しにくい。
ルークとミリアが動きを止める刹那、救いを請うような視線を向けるのが痛烈。
フランはフランで我々に絶望的な表情を向けてくれていてサービス精神が旺盛だ。
そしてフランの兄レスターもとっくに死んでいる事をあっさり告げられ、更なる絶望の底へと叩きつけられるフラン、哀れ。あまりにも哀れ……。
アイリーンの、少年(少女)達の絶望する表情を見たいがための遊戯は、大成功という訳だ。
ところでこれ、よく見ると挿絵の右上の方にセクサリスらしき少女がいるんだよなあ。
お前を見ているぞ、ってか。
10曲目は、絶望のフランを歌った曲。
挿絵では筆談でコミュニケーションを取っている様子、過去の光景が描かれている。かわいい。
そんなフランだが、歌詞にまで「壊れモノの少女」扱いされている始末。
今までの出来事、友達がたくさんできた事を虚空へと無言で語りかけるフラン。
フランについては歌詞を読めば言わずもがなって感じだが、ルークやミリアと共に囚われていた人々は、この後どうなるんだろう。
今でこそ塔の端に立つフランの傍で慰めたりできているようだが、彼らは解放されたのだろうか。
アイリーン的には、絶望する表情が見れたのでもう十分って事か?
まあ、解放されたところで魔女の烙印があるわけで、普通に生きていくのは難しいんだろうな……とも思う。
唯一魔女の烙印を押されていない、フランを除いて。
11曲目は、初回盤のみのボーナストラックで、後半にフランの独白がある。
台詞は以下の通り。
「自失のままに、歩き続けていた。
何処に辿り着いた?
多分、どこにも辿り着いてはいないんだ。
声は戻った。
けれどそれは、いつかの私の声とはきっと違うもの。
受胎した絶望が生み出した声。
残響は消えない。
いつか強い旋律を伴って、表舞台に舞い戻る。
私は、アイリーンを、全ての魔女を。
そして、神を赦さない。
見ていて、セクサリス。」
まず、少なくともフランはアイリーンの城から解放された事が分かる。
それからどれだけの時間が経ったのかは不明だが、声は戻った。
声が戻った理由は絶望によるもので。
そして魔女への復讐を誓う。
「見ていて、セクサリス」という台詞が非常に気になるところ。
これに対して、初回盤特典の「セクサリスの見た風景」でセクサリスは以下のように答えている。
「私は全てを見届けるわ、フランチェスカ。ふふっ、私の姿を捉えられたのなら、いつか交わることもあるでしょう。けれどそれはまた、別のおはなし……」
この時点で、フランはセクサリスの存在を認識している。
セクサリスは世界が終わった時に生まれる存在のはず。
また、セクサリスはこうも言っている。
「ふふっ、血の飛沫をみると落ち着くの。それは私のいる場所と同じ色をしているから。――そして、きっと無数の死の上に私という存在が生まれたから」
物凄い拡大解釈をしてしまうと、人は死んだ時にセクサリスを認識できるようになる(セクサリスと同じ所に行くから?)のではないか。
創傷クロスラインにてフランが「私はきっと、あの時に一度死んだの」と言っているし、深い絶望を受胎して心が死んだ事によって、セクサリスの存在を認識できるようになった?
フランはもう、この時点で普通の人間をやめたのだと思う。
少女病の1stライブ音源。
DVD版とBD版の2種類がリリースされている。
選曲は、最初に残響レギオンを一通りやった後、今まで出した楽曲から人気の高そうな(?)曲をチョイスしている感じだ。
この時点では残響レギオンが最新盤なので、metaphor以降の楽曲は登場していない。
元々ライブ音源よりもCD音源派だったので敬遠していたのだけど、いざ買ってみるとただの食わず嫌いだったんだなーと思った。
昔の曲が今の演奏・歌唱力で蘇るというだけでも買う価値はあるのだが、ライブの臨場感もいいものである。
ボーカルの2人はもちろん、心底楽しそうに演奏するギターの面々とか映像的にも楽しかった。
語りは流石にCD音源のまま。テンポ重視で最後の語りが省略される曲もいくつかあった。
流石にそれは仕方ないけど。
でも次にライブをやるなら、語りも生でやってほしい……難しいか……。
ちなみにオープニングの曲が偽典セクサリスの星謡の詩人のアレンジで、エンディングの曲が同じく偽典セクサリスからAingealのアレンジとなっている。
以下は、セクサリスの声で語られた興味深い台詞。
「5人の魔女が一つの場所に集う時、その物語は終わりを告げる。
シスフェリア、アイリーン、メリクルベル、リフリディア、そして……。
フランチェスカは、変わり果てた姿で、枯れ果てた心で挑むのだろう。
ふふっ、結末はわかりきっているのに、ね。
誰一人として、幸せにはなれないよ。
その生が報われる事なんてないよ。
だって、世界は終わるんだから。ふふふっ。」
……どうやら魔女達とフランチェスカ(=アナスタシア)は、ろくな最後を迎えないらしい。
この時点では聖骸メロフォビアも創傷クロスラインも出ておらず、残響レギオン特典音源にてフランチェスカが復讐を誓うところまでしか描写されていないので、「フランチェスカ」と言っている。
5人目の魔女についてはぼかされているので、よっぽど特異な存在なのか、それとも単にまだまだ先になるよ(決まってないよ)って事なのか……。
5人目の魔女はフランチェスカかなーと思っていたけど、この語りを聴く限り違うかもしれない。断言はできないけど。
また、Lorelei後のMCで、次の曲に入る前に「それは、世界の終わりに向けた、一つ目の鍵、瓦礫の終音(ついおん)」と語っていた。
5人の魔女は集まった時に終わるので、魔女=世界の終わりへの鍵、って事なんだろう。
あとそれ「ついおん」って読むんですね。びっくりした。「おわりね」じゃなかったんだ。
メジャーデビュー後の3rdアルバム。
1曲目が聖痕のクェイサーというアニメの2期エンディングテーマとして使用されているようだ。
そのアニメについては知らないんだけど、この曲とにかくかっこいい。
最初から最後まで爆走しており、畳みかけるようなクサいメロディ(もちろん褒め言葉だ)で殺しに掛かってくる。
うちが少女病のCDを買おうと思ったきっかけになった曲の1つだったりする。
アニメで使用されているだけあってキャッチーで、殆どの人が気に入るのではないだろうか。
少なくとも、同人音楽に興味を持つような人なら。
対して2曲目は、恐らくアニメから入った人をどん引きさせる光景が容易に想像できるほどにいつもの少女病だ。
開始1秒で語りが入るだけでなく、歌詞の内容もなかなかえげつない事になっている。
少女病に登場するとあるキャラクターの過去話となっており、初見バイバイも甚だしい。
まあでもここから他の曲が気になって少女病を患う人もいたり……するのか?
ちなみに聖痕のクェイサーなる作品、ニコニコ大百科見たら凄い事になってた。
1曲目……は、歌詞カードの絵を見ても歌詞を読んでみてもどうにも抽象的で状況がよく分からない。
ただ、歌詞の端々から創傷クロスラインとの関係を臭わせるものがある。
metaphorは2011/5/25発売で、創傷クロスラインは2012/8/11発売である事、そもそもアニメタイアップ曲である事を考えると、流石に偶然かな……とも思うけど。
残響レギオンの後にできたアルバムなため、この時からフランチェスカ(アナスタシア)の構想を考えていた、と深読みできなくもないから困る。
「幽暗な虚構の深淵に いつか囚われた セカイを撃ち抜け」とか、フランチェスカがアイリーンに見せられた絶望(仲間達との絆が形の無い幻想だったということ)を現していたりしないだろうか。
「Break up the fake! Stand in the truth! and you will die in sins.」も、直訳すると「虚構を打ち破れ、真実の代役者となれ、そして罪のうちに死ぬ」となるんだけど、これも創傷クロスラインのアナスタシアを現しているように思える。
「罪のうちに死ぬ」の部分は、創傷クロスライン7曲目の「そして全てが終わったら――私を(殺して?)」に対応しているように思うのだ。
「殺して」と続く事自体が妄想なので、まぁ妄想の更に妄想だ。
その後に続く「十字を切れ 不在の神に」の十字はそれこそ「クロスライン」を思わせる。
「覚醒の詩を奏でし声は 冒涜の剣か?」の覚醒の詩を奏でし声だって、声が戻ったアナスタシア(=ギリシャ語で目覚めた/復活した女という意味)を現していると思えなくもない。
「Chain up the pain! Stand up to the sin! Let no one you lead astray.」は、直訳すると「痛みを繋げ、罪に立ち向かえ、誰にも貴方に道を違えさせない」となるんだけど、アナスタシアは道を違えているので一見「?」となる。
でも、創傷クロスライン7曲目のルクセインが言っていると思うとしっくりくる。
彼は道を違えてしまったアナスタシアに「自分殺して 創り上げた偽りの姿を 演じ続けるのを死者は望んじゃいない」と訴えているからだ。
「遮断された キミとの聖譚曲【oratorio】」は、もう道を違えたりしないと誓ったルクセインと、道を違えてしまったアナスタシアについて「遮断された」と言っているのではないかと。
ここから2番の歌詞に入る。
「嘘と理想の狭間に 揺蕩う渇きは致死量」は、カナリアとミリリの間で悩むシグを現しているような。
「互いに背を預けあうキミの手を取る」とかまさにカナリアとシグなのでは?
気になる所としては、ミリリが来た頃にはもうカナリアもミリリもシグと互いに背を預けあえる存在ではない(弓の実力的に考えて)という事だけど……。
「矛盾と虚栄で~」のあたりは、まあレジスタンス自体を現しているんだなって事で納得がいく。
「Break up the pale! Stand in the Cross! and you will live in your sins.」は、直訳すると「限界を破れ、十字架の代行者となれ、そして罪の中で生きる」となる。
罪の中で死ぬ事を選んだアナスタシアとは違う気がするので、これはルクセインがアナスタシアに投げかけている言葉と考えるべきだろう。
「さあ跪け 架空の神に~」のあたりだが、アナスタシアは残響レギオンの11曲目にて「神を赦さない」と発言しており、架空だろうと神に跪く事はないはず。
というわけで、ルクセインがアナスタシアに考えを改めてもらうべく投げかけている言葉なのだと思う。
「Shake up the fate! Stand up to the tale! Don't be afraid, only believe.」は、直訳すると「運命を揺るがせ、物語に立ち向かえ、心配するな、ただ信じろ」か。
世界が終わった後に生まれたセクサリスを認識するアナスタシアが、その既に終わった物語を書き換えていくと決心しているのではないかと。
「ここで終わるなら~」は歌詞そのままアナスタシアの思いって事で通じる。
「せめてもの餞を 最果てへと謡って 新たな複縦線記した――」だが、これはアナスタシアが魔女によって殺されたルークとミリア、そして兄を思いながら、復讐を決断した事を意味していそうだ。
「複縦線」というのは楽譜に描くものであり「曲の終わりではないが大きな区切りを現す線」の事。
つまりここから復讐劇が始まる、みたいな事を音楽に例えて言っているのではないかと。
「空を穿て~」のあたりは特に深く考えなくてもいいと思う。
「Chain up the pain! Stand up to the sin! and read the God's metaphor.」は、前半部分は1回目と同じだとして「read the God's metaphor」をどう訳せばいいかが問題だ。
直訳すると「神の象徴を読め」なんだけど、意味が分からない。
が、ここで神の象徴を聖骸メロフォビアに出てくる「神の聖遺骸」であると考えると、「神の聖遺骸の力を手に入れろ」とならないだろうか。
ちょっと拡大解釈過ぎるとは思うんだけど。
と、色々妄想してみたものの、肝心のアニメを観たことがないので、単に「アニメの内容に即したものだよ」と言われたらそれまでだ。
2曲目は、蒼白シスフェリアに登場したシスフェリアの従者、シルエラの過去話。
シルエラは、国が管理する孤児院で生活していた。
孤児院の子供達は、枢機卿(カーディナル)なる人物に順番に引き取られていくという。
シルエラは誕生日になったら引き取られる事になったわけだが、他の子供達がどうなのかについては不明だ。
生まれ変わったように生活が変わると言われていたものの、シルエラはいざ枢機卿に会ってみるとその変態的な視線が気になって仕方が無い。
多分、「この人が貴女を引き取って下さる方です」みたいな感じで紹介されたのだろう。
ある夜、意図せず使用人達の話を盗み聞きしていたシルエラは、引き取られた子供達の末路について知ってしまう。
枢機卿は瞳や手足など、身体のパーツを組み合わせて理想の愛玩人形を作るのが趣味という、マジモンの変質者であった。
そして、枢機卿はシルエラの美しい瞳が目的だという。
しかしそれを知ったところで、シルエラに何かできるはずもなく、時は流れていく。
そんな日々を過ごしていたある日、孤児院の教師達と枢機卿が惨殺されていたと、孤児院の義妹が泣きながら伝えてくる。
突然の死!!
それは蒼白の魔女シスフェリアの仕業であった。
シスフェリアは何故、この孤児院を襲撃したのだろうか。
蒼白シスフェリアにて、彼女はたびたび「どうして選ばれたのか」と自問自答している。
更に「無慈悲な魔女を演じた」「いつか選ばれたのが必然であるような錯覚に酔う」とあるように、魔女の力を得てしまうと、その力を定期的に使っていかないと力に呑み込まれてしまうみたいな事情がありそうだ。
でも蒼白シスフェリアを聴く限り、シスフェリアは本当は心優しい少女。
そんな少女が、望んで得たものでもない力をどうやって発散していけばいいのか。
せめて、罪の無い人々を傷つける事のない手段を選んだと、そんな感じではないだろうか。
だから、自分を追いかけてきたシルエラに「何かしら。あなたも死にたい?」と言うシスフェリアは無慈悲な魔女を演じるべく強がっているに過ぎないのだ。
そう考えるともうシスフェリアさんのかわいさが爆発しているシーンに思えてくる。
「確かに、あの日一度生まれ変わったのかもしれない」とは、シスフェリアとシルエラ、両方の台詞なんだと思う。
突然魔女に選ばれてしまったシスフェリア、シスフェリアについていく覚悟を決めたシルエラ。
まあ、こんな事があったならシルエラが偏愛を抱いてしまうのも無理はないよね!自然自然。
同人時代の9thアルバム。
平和な国ミラシュカを治める幼王カタリナの物語と、ある目的により力を求め奔走する少女アナスタシアの物語の2つが同時に語られる。
このアルバム、ひたすらメタラーの心にぶっ刺さる曲が多いと個人的には思っている。
ジャケ絵を飾る天使のようなカタリナ様に騙されてはいけない、少女病はこてこてのシンフォニックロックなのだ。
1曲目の「幾億の幸福論者がいたとしても~」あたりから最高に心躍る旋律の連続で、掴みはばっちり。
そして3曲目、うちがこの曲を試聴した瞬間に買おうと決めた曲だ。終始爆走するなか怒濤のクワイアが盛り上げるし、物語を歌うボーカルも負けていない。本当におすすめなので、是非試聴してほしい。
ちなみに挿絵として草原で歌う少女と仔犬が描かれているのだけど、曲の激しさとのギャップがまたいいのだ。
歌詞を読み込むとよりいっそう好きになれる事請け合いである。
他にも、最初は静かだけど途中から弾けるよう疾走し始める曲もあったり、10曲目のような前向きで明るい曲があったりして、曲のバランスが良くできている。
また、少女病の魔女関連の物語を追っていく上でも重要な要素が含まれており、必聴のアルバムと言えるだろう。
1曲目は、聖女アナスタシアが聖骸の力を得て人々に迎えられるまでのあらすじを語った曲。
このアルバムではアナスタシアの物語とカタリナ関連の物語が並行して進んでいくんだけど、そのうちアナスタシア関連の話は1, 5, 8, 9曲目。
で、時系列的には1→5→8→9→1の最後、といった感じだ。
この曲では、少女病世界の設定として「神の聖遺骸」というものが存在する事が分かる。
神の力を持つ道具の残骸、のようなものだろう。
さてこのアナスタシア、最初から書いてしまうと残響レギオンに登場していたフランチェスカと同一人物だ。
このアルバムの中だけでもそれを示唆する要素は沢山あるのだけど、それは後々書いていくとして。
「必死になってしがみつく必要がない、現実なんてもう、出来の悪い悪夢でしかないのだから……」と、現実に絶望したアナスタシアが呟く。
その直後に「どうかお救いください、神様……!」と言う歌詞もある。
同一人物が喋っているのにも関わらず、声が違う。
これは、前者が残響レギオンのシークレットトラックにて語られた、声が戻った後のアナスタシア。
後者は声が戻り名を変える前の、フランチェスカとしての声なき言葉を表しているんじゃないかなと考えている。
「神を赦さない」と言った彼女が、神に救いを求めるはずはないからだ。
この、フランチェスカとしての声で語る演出は、8曲目の最後にも存在する。
これは、本来の弱い彼女の本心なのだと思う。
残響レギオンのシークレットトラックにて、彼女は魔女と神への復讐を誓った。
それが「彼女には何を喪おうと 力を追い求める必要があった」という歌詞にこもっている。
だからこそ、アナスタシアはかつての弱い自分を捨て「決して真意はみせず 誰にも心開かず 日の下を避けるように生きて」きた。
慟哭ルクセイン→残響レギオンでのルクセインと同様、どうやって生きてきたのかは気になる所ではあるのだが。
あと、聖骸の事をどうやって知ったのかも気になる。放浪しているうちに、人づてにそういう話を耳にしたとか?
「一人きりでもいい 残響する音像だけを肯定しよう」とは、残響という言葉が使われている事から、冒頭に書いた通り残響レギオンとの関係性を臭わせる歌詞の一つである。
残響する音像だけを肯定するとはどういうことか。
残響レギオンの10曲目で「全て形のない幻想だったことは、受け入れないままに」と現実を受け入れていなかった事に対し、自分一人だけが生き残ったという事実を受け入れた事を現しているのだと思う。
そして最後の「いくよ、アナスタシア――」という台詞。
これは最初、「アナスタシアが自分自身に発破をかけるべく言っている言葉」だと思っていた。
でも残響レギオンの初回特典「セクサリスの見た風景」を知ってから、これはセクサリスの言葉だと考えを改めた。
セクサリス的には「アナスタシアとやらがどこまでやれるか、見てみるとしようぞ」みたいな気持ちなんだろうか。
……このネタ分かってくれる人どんだけいるの?
2曲目は、平和な国ミラシュカを治める幼王が抱える悩みについて歌った曲。
魔女の影響下にない、と敢えて表現されているのは、残響レギオンに登場するアイリーンの影響下にある街との対比だろうか。
「この国の将来は約束されたようなものだと笑いあった」とあるんだけど、幼い子供が政治なんてやっている時点で別の意味でこの国の未来は約束されたようなものだと思うんだけど大丈夫か?
もしかしてこれって皮肉で言ってるのかな。まあそれはいいとして。
幼王カタリナは、小鳥をも呼び寄せる優しい声であるにも関わらず、メロフォビア(音楽恐怖症)を患っている。
音楽を耳にするだけで酷い頭痛に襲われてしまうというものだ。
自分の誕生日を祝う歌すら聴けず、そんな王を思ってか城から音楽は消滅していった。
周りにそんな環境を強いる事になり、心を痛めるカタリナ。
これについて、侍従のアーニィは心の病気でないかと指摘し、音楽の素晴らしさをカタリナに届けられれば……と提案する。
発想がファンタジックで大変よろしい。
平和な国ミラシュカだからこそ、この発想ができる……みたいな……。
これに対し、カタリナはそれでメロフォビアを克服できるならと提案を受け入れる。
「そこに一筋でも光明があるのなら――」なんて言うんだけど、光明とか結構難しい言葉使うなあ、と。
カタリナ様何歳なんだろうか。
そして3曲目以降、アーニィが書物より集めたと思われる「音楽の素晴らしさを伝える為の歌」が続く事になる。
3曲目は、アーニィが集めた歌に関する物語の一つと思われるもの。
この曲については特に考察の必要がないくらい、一つの話として分かりやすくまとまっている。
物語の中の物語だし、カタリナ様に教えるような物語なんだから分かりづらかったら逆に困る。
せいぜい「大きな劇場」が告解エピグラムのDouble Castに登場する劇場と関係があるのかな?って思うくらいだ。
この物語では少女の歌が仔犬との絆を深め、それによって命を繋ぎ、最後には両親の心を動かした。
アーニィがカタリナ様に教えるに相応しい物語といえよう。
メロフォビアは治らなかったようだけど。
4曲目は、アーニィが集めた歌に関する物語の一つと思われるもの・その2。
こちらも特に考察は必要なさそうだ。
ただ恐らく6曲目の物語に関係するので、主人公の詩人についてまとめておく。
・十分な金銭を稼ぐ為、一人旅をしている
・守るべき家族がいる
・もう何年も家族とは会っていない
・家族とは血が繋がっていない
こんなところか。
そういえば、「魔女の切ない物語」って、シスフェリアの事なんだろうか。
5曲目は、聖遺骸を見つけたアナスタシアについての曲。
時系列的には1曲目の「痩せ細りくたびれたその手で 聖骸へと触れる」あたりからの続きだろう。
「暗示めいた稚拙な 言葉が自我を搦めとる」という歌詞がある。
これは聖骸に触れた時(or 意識を失っている間 or 意識が覚醒した後)に起きた現象のようだけど、一体どのような言葉なのか。
「”終末への時計を持ってその針を回し続ける者がいる”」が、それっぽい感じがする。
終末への時計が何なのかとか、文字通り暗示めいているので正直よく分からないのだけど、順当に考えれば世界の終わりを早める存在がいる、とかだろう。
これに対して「そう。なら、まずはそれに加担してみようか?」とあっさり加担するアナスタシア。
魔女や神への復讐さえ果たせれば、世界なんてどうでもいい、と思っているのだろうか?
「遺伝子がゼロから書き換えられたように錯覚するほど鮮明に覚醒した」との事だが、これはただ鮮明なだけでなくて性格まで変わってしまった事も表現しているんだと思う。
「心象風景に響いた」は、聖骸の力は触れた者の心に依存する事を暗に示しているのか?9曲目のオチに関わってくるポイントだ。
で、他人の感情を旋律として聞こえるようになったアナスタシア。
応用していくことで行動までも見通せてしまうすごい能力という扱いだけど、正直そこまでできるのか……?と思ってしまう。
だから多分、他にも細かく付随する能力がいくつかあるんじゃなかろうか。
それこそ頭の回転が速くなるとか。
「壊れた表情のそれは喜劇?」という歌詞が、そんな途方も無い力に溺れていくのを感じて何とも痛ましい。
「どんな所業に手を染めたとしても 彼女にはそれを咎めてくれる者は現れない」という歌詞もまた辛い。
残響レギオンで、ルクセインがさっさと帰らずフランのそばにいたならば、と思うと……。
ここまで道を踏み外してしまう事はなかったはずだ。
この日からアナスタシアは、他人の行動を見通す事で預言者となり、信奉者を従えるようになっていく。
省略されているけど、最初は適当な街とかで「私は未来が見える」みたいな事をふれて回ったのだろうか……涙ぐましい努力だ……。
アナスタシアは、魔女に対抗するべくより多くの人々を集める必要があった。
そこでメロフォビアを患う幼王カタリナ様の噂を聞きつけ、カタリナ様にもこの聖骸の力を宿す事を画策する。
……8曲目でも思う事なんだけど、予想通りの現象が発生しカタリナ様が発狂したとして、その後どうするんだろう。
牢屋にぶち込まれるのがオチじゃないのか。
6曲目は、アーニィが集めた歌に関する物語の一つと思われるもの・その3……いや、こんな話を聞かせてもらうカタリナ様は見たくない。
だって、まず、主人公が殺し屋(自称)って時点で、まだ幼い王に聞かせる話としては不適切でしょうに。
まぁそれ自体は一国を治める王として、教育の一環としてこういう人間もいるんだよって事で、聞かせるのは100歩譲って有りだと思う。
でも、オチの子供達の姿を見て、メロフォビアが治るとは到底思えない。
むしろトラウマになるんじゃないのか。
お前は音楽の素晴らしさを伝えたかったんじゃないのか、アーニィよ。
それにこれ、オチの子供達を描写しないにしても、セリルが自分の都合だけで詩人を殺害する描写が存在するのだ。
つまりこの話についてはアーニィが「まるでずっとそうであったかのように 家族の一員として馴染んでいった おわり」てな感じで区切ったか、後半を読み始めて「あ、この話やばいやつだ」と思うんだけどカタリナ様が最後まで聞かせてって言うから仕方なく聞かせたとか。
そんな光景が浮かんだ。
7曲目は、アーニィが集めた歌に関する物語の一つと思われるもの・その4。
これも他の物語と同様、歌詞がそのまま物語なので特に考察する点は無い。
少女が広場で歌うことで募金?的な事をして僅かながらお金を稼ぎ、忙しく働く母親の誕生日プレゼントとして、休日をプレゼントするという心温まる話だ。
この曲聞いてるとたまに泣きそうになる。
でも、メロフォビアは治らない。
8曲目は、アナスタシアがグラハドと密会を行う様子を歌った曲。
時系列的には5曲目の最後からの続き。
王の座を狙うグラハドと、王の排除を条件にミラシュカでの公的な身分を約束されるアナスタシア。
一見、両者の利害は一致しているように見えるが、他人の行動が見通せるアナスタシアからするとどうやらそうでもないらしく。
グラハドは憂国で王の座を奪おうとしていると豪語するが、実際のところ単に上に立ちたいだけだと。
ここで気になるのが、2人は王の排除について計画を練るべく密会を繰り返していたのだと思うんだけど、アナスタシアは排除の手段についてどのように話していたのかという事だ。
「メロフォビアを患う王に聖遺骸を触れさせて他人の感情が旋律として聞こえて来る力を宿す事で、正気でいられなくする」と馬鹿正直に言ってしまえば、アナスタシアがその聖遺骸を持っている=アナスタシアがその力を持っている可能性を示唆する事になる。
グラハドとしては、「自分が上に立ちたいだけ」であり「用が済んだら処分する」つもりな以上、それを見透かされてはまずいわけだ。
かといって王の処分方法について話さなければ、グラハドはアナスタシアに排除を任せるわけにもいかないだろう。うまくいく保証がないからだ。
一番考えられるのは、グラハドは「他人の感情が旋律として聞こえるようになる=行動が見通せるようになる」という発想に至らなかったという説。
多分、実際にその力を持ってみないと想像のつかない事なんだろう。
そんな感じでグラハドの思考を見透かし、「いいようには使われない 利用されるのはお前だ」と思うアナスタシア。
これは王の座を得たグラハドが、自分を処分してくる前に嵌めてやろう、と画策しての事だろうか。
「傀儡に堕ちた~」あたりの歌詞は、グラハドの傀儡となって人殺し(に限りなく近い)を働く事をアナスタシアが自嘲している様子だろう。
「罪がない事さえ大罪のように感じられる」という台詞は直前の「平和惚けした国には良い薬になる」という台詞にかかっていて、自分はむしろ良い事をしようとしているんだと感じているアナスタシアの狂気が垣間見える、良い台詞。
あとこの台詞凄くかっこいい。日常会話で使ってみたい。
「これは嫉妬?違う、きっと過去の自分への……」をどう捉えるかが非常に難しい。
自分の行動について、「平和な国への嫉妬でこんな事をしようとしているのか?」と考えるも、これを否定する。
そして、「過去の自分=兄のレスターがいないと何もできない自分」との対比で「今では一人で何でも出来るようになった」事を示したいと思っている……とか?
「きっと過去の自分への……決別」と言いたかったのかもしれない。
9曲目は、王との謁見の間での一幕を歌った曲。
グラハドが暗躍し拝謁の機会を作りだし、いよいよアナスタシアが聖骸を利用して幼王を排除しにかかる。
アーニィの常識的な判断がじわじわくる。
「どのような身分の者の拝謁でも~」という歌詞があるんだけど、これはアナスタシアが現時点では「地位なき怪しげな先導者」でしかないからか。
アーニィが「このような身分の低い者と謁見を~」とか文句をつける様子が浮かんでくるようだ。
圧倒的な重圧感のなか、幼王は聖骸に触れた瞬間、場は阿鼻叫喚となる。
「気分はどうかな?苦しい?」と聖女にあるまじき言葉を放つアナスタシア。
そして挿絵で歪んだ口元を隠し切れていないグラハド。
なんか色々面白くて困る。
「私が魔女?あはっ、本当の魔女の怖さを知らないらしい」とは、今更ながらアナスタシアが残響レギオンのフランチェスカである事を示唆するポイントの一つでもある。
自分は魔女ではなく、むしろ魔女の被害者である事の両方を同時に主張する台詞だ。
首元に剣を向けられても微動だにしないアナスタシアだが、本当にこの後計画通りにカタリナ様が発狂していたらどうするつもりだったのか、気になるところだ。
牢に入れられようと、聖骸の力をもってすれば、脱獄くらい容易とか?
アナスタシアの直近の目的は、この場所を手中に収めて礎とする事(8曲目より)のはずだ。
でもこんな事になった以上、国を手中に収めるなんて無理な話じゃないのか?
これにはちょっと疑問を持たずにはいられない。
聖骸を燃やされて「この力さえあれば目的は遂げられるだろう」とか余裕の表情で言ってる場合じゃないと思うんだけどな。
しかし事態は予想外の方向に動く。
カタリナ様があまりに純粋無垢だったせいで、聖骸の力は「メロフォビアを取り払った上で、(アーニィが聞かせてくれた)物語中の音楽を感じ取れる」ものとなったのだ。
これが、音楽の楽しさに光明を求めたカタリナ様と、強い旋律を伴って表舞台に舞い戻る(残響レギオン11曲目)為に力を求めたアナスタシアの差だったのだ。
「平和すぎる国~」と言って去るアナスタシアの声は、どこか羨望が混ざっているかのように聞こえた。
ところで、この一連の話の中で最も可哀想なのは、間違いなく色々奔走したわりに何も成果がなかったグラハドだろうな……。
10曲目は、メロフォビアを克服したカタリナ様が、ミラシュカの国を明るい地上の楽園へと導きましたとさ。
めでたし、めでたし、って曲。
考察になってないけど、この曲に関しては細かくあれこれ考える必要はないだろう。
この曲で締めておいて、後々のアルバムでミラシュカの国が魔女に狙われて崩壊……とかやらかしたら、辛いね。はい。
同人時代の10thアルバム。
Seirenに続く、語りなし・たまに英語曲ありの物語楽曲。
個人的にはSeirenの楽曲はイマイチだったので、少女病のCDをだいぶ揃えた後に折角だからとコレクターアイテム的な感じで購入したんだけど、突如トップクラスのお気に入りCDになった。
楽曲はSeirenを聴いた時に感じた「惜しい」という評価を見事に払拭した、正統進化といえるものである。
英語曲では2曲目の激しさが、日本語曲では5曲目の明るさが見事に刺さった。
特に英語曲は、メタラー的には必聴レベルの良曲だ。
物語としても他の少女病の曲とは完全に独立しているし、単体で完結している。
語りがなくややこしい設定なんかもないので、物語楽曲初心者にもおすすめできるものとなっている。
おすすめの2曲目は公式サイトで試聴できるので、是非聴いてみてほしい。
1曲目は、この物語の主人公である少女、クーデリカの境遇について語った歌。
クーデリカは生まれつき、霊の姿を見る事ができる。
また、見るだけでなく言葉も聞くことができる。
そんな特異な能力を持つ少女は、人々から「悪霊憑き」と忌み嫌われ、何か悪い事があるたびに少女のせいだと罵られる。
しかし少女は、幼い頃まだ誤解されるようになる前は普通に接してくれていたのを覚えているため、人々を恨んだりしないという。
天使かよ。
そんな少女は大きな館で一人、訪れる無害な霊達の話を聞いては冥界へと送り出してゆく日々を送る。
誰かと共に過ごす日々を思いながら。
と、そんな感じの曲だ。歌詞がほぼそのままなので分かりやすい。
少女クーデリカは大きな館に一人住んでいるわけだけど、両親についての描写がない。
恐らく「悪霊憑き」と誤解されるようになってから、両親は彼女を置いていなくなったとか、最悪の場合殺されたとかなんだろう。
2曲目は、少年の霊とクーデリカが会話している様子を描写した歌。
少女はいつものように、霊の話を聞く。
少年の霊は何気ない世間話から入り、僕と一緒に冥界に行こうよ!なんて言ってくる。
さり気なく少年の霊が「お姉ちゃんのママが今にもお姉ちゃんが来るって待ってるよ」と言っており、1曲目で気になっていた両親の行方のうち母の方が判明する。
片親なのは少女病ではよくある事なので、父親は物覚えつく前にいなくなったとかだろう、きっと。
少女は冥界に誘われるも、流石にまだ現世で生きていたいようで、断るのであった。
3曲目は、まだクーデリカの母が存命していた頃の過去話。
母も霊の話を聞いては優しく冥界へと送るという、クーデリカと同じような事をしていた。
というか、そんな母を見て育ったクーデリカが母を真似ているのだろう。
母も同じ能力があるという事は、霊が見える能力は遺伝か。
しかし、そんな母に恋い焦がれた男の霊がいた。
生者との恋は叶わないと知りながら男の霊の欲望はエスカレートしていき、最終的にはクーデリカの母を殺してしまう。
「契約を交わす」「悪魔へ魂を売り渡した」って具体的には何をしたんだろうか?
単に凶行に走った事を指しているのだろうか。
クーデリカの母は霊の物理的干渉を受けてしまうほどに強い霊的能力を持っていたのかもしれない。
男の霊が恋した相手が生者だから一緒に居られないというのであれば、殺してしまえばずっと一緒に居れるというわけだ。
それから村は荒れていく。この表現がクーデリカ視点のものだとするなら、母が霊によって変死してから、人々から気味悪がられるようになったのだろう。
4曲目は、クーデリカの日常生活について描写した歌。
時系列的には3曲目の後あたりか。
少女は街の人から避けられ、消えて欲しいという素振りすらされるという酷い扱いを受けている。
この暗い歌詞のせいで挿絵の笑顔がまぶしくて困る。
幼い霊(2曲目の少年の霊とは別と思われる)にすら「どうして笑っていられるの?辛くないの?」と心配される始末。
少女は母の遺言を思い出して、笑っていればいつか幸せな日々がくるから、と言って笑うのだった。
つらい。
5曲目は、2曲目に登場した少年霊とクーデリカが再び、館で再会するという話。
雷雨の降りしきるある日、少年霊は扉を叩き、彼女の館に訪れる。
霊なのに扉叩けるのかよ!という突っ込みはさておき。
前回、直球で「一緒に冥界へ行かないか」と誘った少年霊は、「人間らしい生活がしたい」と少女に懇願する。
1曲目にて「誰かと共に暮らす生活」を夢見ていた少女は、彼と一緒に暮らすことを受け入れる。
この少年霊、扉は叩けるけど鏡には映らないらしい。そのあたりはきちんと霊のようだ。
少年霊の名前はセスというらしい。
彼の笑顔が見たくて本を読み聞かせる日々。
物理干渉できるなら一人でも読めるでしょ、と思うけど少女は誰かと一緒に過ごしたいのだから仕方ない。
ある日、セスに依存していくクーデリカを心配して少女霊が現れる。
少女霊は、騙されては駄目、いつか帰ってこれなくなるよと少女に囁く。
少女霊は、生者が死者に依存するのはよくない事だ、と伝えたかったのだろう。
しかしクーデリカは、どうしてそんな酷い事を言うのだと逆上する。
今まで孤独に過ごしてきた分の裏返しだ。
クーデリカはもし彼に嫌われて、また独りに戻ってしまうのが怖い、と思うようになってしまう。
そして更に依存していくという悪循環。
少女病的にはこの時点でバッドエンドしか見えないのだが……。
6曲目は、5曲目から時を経たある日のこと。
街の人々の心は、前例のない死の病の流行によって次第に荒廃していく。
こういう時にやり玉に挙げられるのは、悪霊憑きと言われるクーデリカだった。
人々は余程憔悴していたのか、悪霊憑きどころかクーデリカの事を悪魔そのものだと騒ぎ立て、殺意を持って近付いてくる。
そんな状況でクーデリカにとって味方は少年霊のセスだけだった、というお話。
歌詞そのままなので、これといって考察するポイントはないだろう。
7曲目は、街の人々がクーデリカの館に火を放つ様子を歌ったもの。
もはや何故今まで生かしておいたのか疑問に思うほどの酷い仕打ちだ。
訳文の「悪夢に飲み込まれ、彼の男の霊による嫉妬の呪いのうちで見失ってしまった」が気になる。
これは3曲目の事を指しているような気がするんだけど、どういうことだろうか。
8曲目は、7曲目で燃やされた館を背に歩くクーデリカとセスの一幕。
一応、街の人々の目を逃れる事には成功したらしい。
共に歩くセスは、どういうわけか唇を歪ませ笑っていた。
実はセスこそが、3曲目で男の霊が「契約」した悪魔であり、男の霊がクーデリカの母を殺す呪いの力を与えた張本人だったのだ。
呪いの力は「クーデリカの母親の全てを壊すもの」であり、その中にはクーデリカ本人も含まれていた。
しかしすぐに殺しはせず、じっくりと暗闇に突き落としていく。
セスは少年霊ではなく悪魔で、クーデリカをおもちゃにして遊んでいるだけだったのだ、というお話。
清々しい程に救いがないな!
メジャーデビュー後の4thアルバム。
星葬ドラグニルというゲームとのタイアップ作品である。
1曲目と2曲目は語りなし、3曲目は「いつもの」少女病だ。
何と3曲とも格好いい疾走曲。
非の打ち所がない、死角無しのアルバムなので万人におすすめできるアルバムだ。
メジャーデビュー作品なので入手も容易だし、是非とも手に入れてほしい。
ちなみに3曲目は、曲名で勘付いた人もいるかもしれないが偽典セクサリス3曲目「蒼を受け継ぎし者」の直接的な続編だ。
知っている人は更に楽しめるだろう。
1曲目は……こういう歌詞を見ると少女病的にはどうしてもアナスタシアを連想してしまうんだけど、それはmetaphorでやったから多分偶然だと思う。
普通にゲームの内容に合った曲なんじゃなかろうか?
ゲームやってないから分からないけど……。
2曲目も語りがないのでゲーム向けの曲……のはずである。
だが、いくつか3曲目に関連していそうな言葉が出て来るのが気になるところだ。
・「雷鳴の華が罪過の月を切り裂いた」は3曲目の終盤の光景っぽい。
・「偽典の観測者」という言葉が偽典セクサリスを彷彿とさせる。
・「救済という名の それは只死を纏って」という歌詞、3曲目のライザにとっては死こそが救済である。
まあこじつけに過ぎない。ゲームの内容かもしれないし。
3曲目は、偽典セクサリスの登場人物である、蒼を受け継ぎし者・ライザのその後の話。
地方領主の息子だったライザも、今では亡国の王。
流石にあれだけ虐殺してたら国くらい滅びるか。
そんな、国を滅ぼした王に未だに従い続ける弱い民は、ライザによるバベルの塔ごっこに付き合わされていた……。
ただの息子から王になるまでの間に、当初の目的だった不死は手に入れたようだ。
しかし「本当に欲しいモノは 何一つ手に入らずに」と言っている。
何しろライザと妹達の本当の願いは「蒼を永遠に見ていたい」だったのだから。
蒼は紅蓮に堕ちたし、妹達を殺してしまっては意味がない。
そして「ルールとレーレ 幼き双子の殉教者」という歌詞で、唐突に妹達の名前が明かされる。
偽典セクサリス時代には出てきていなかった名前だ。
そんな2人の名前を刻んだ塔を、星に手が届くほどの高さ目指して建設している理由は、神との対話なんかではなく妹達のいる場所に辿り着く為だという。
正直なところ、妹達も不死を得る為にライザの殺戮に加担していた可能性があり、だったら上(天国)じゃなくて下(地獄)にいるのでは?と思うのだがそれはさておき。
「偽りを奏でよう 血の呪いをここで終えるために」という歌詞は、「偽典セクサリスでの(まだ海が青かった)頃のように戻りたい」的な意味がこもっていそうな気がする。言葉遊びレベルではあるが。
終盤の語りでは、さり気なく「塔が落成し」と言っているんだけどこれって凄い事では?
ほんの一時とはいえ星に手が届くほどの塔が完成するとは。
しかし局地的な天変地異によって塔は崩壊、ライザは光と共に消滅……したかのように思えた。
が、無情なるセクサリスの語りによって、まさかの生死不明END。
今後の作品にも出て来そうな気がしてならない。
歌詞カードの次のページには蒼を取り戻した地でライザの手を取るルール・レーレ、という幸せな3人の構図が描かれているのだけど、個人的にはこれはあくまであったかもしれない可能性の一つだと考えている。もしくは過去作のキャラを描くというファンサービス。
だって偽典セクサリス時代に散々人々を殺してきておいて今更、ハッピーエンドなんてあり得ないでしょう?
同人時代の11thアルバム。
聖女が旗を掲げ結成されたレジスタンスによる、対魔女戦線の物語である。
……かと思いきや、別の所に焦点が当たっていたりするのだが。
どの曲も完成度は高いのだが、物語に重点を置いている曲が大半である。
話の内容は残響レギオン並に分かりやすく、単体でも十分楽しめる。
だが過去作と話が繋がっている為、物語をフルに楽しもうと思うなら残響レギオン・聖骸メロフォビアあたりは必聴レベルと言える。
また、そこまで重要ではないが出来れば慟哭ルクセイン・告解エピグラムあたりも聴いておくと良いだろう。
と、初めて聴く人にはやや厳しいアルバムに感じるかもしれないが、うちはそもそもこのアルバムを聴いて少女病の物語に魅力を感じ、他のアルバムの物語も追い始めたクチである。
そのため、最初に買っても楽しめる事は保証できる。
爽やかでかつ熱い1曲目で掴みはばっちり。ここから物語に引き込まれる。
そして何と言っても9曲目。
これがもう、個人的に少女病最強の曲だ。
公式サイトの試聴曲になっているので是非聴いて欲しい。
アルバムの最後を飾る曲として、哀メロ好きを全力で殴りに来ているぞ。
1曲目は、聖女が旗を掲げて結成されたレジスタンスについての説明?みたいな話。
この曲、最初は意味が分からないのだけど、冒頭から若干のネタバレをかましている。
8曲目あたりを聴いた後だと、「夕闇に処方箋を銜えて」いる鴉がどんな薬を持っているのか察する事ができるし、魔女の使命を受けて嘘を吐いてくる少女がレジスタンスに加わっている事が分かってしまう。
挿絵を見れば一目で分かるが、告解エピグラムに登場した遠い血縁の女だ。
この女の名前もまた、8曲目で判明する事になる。
「廃都苦悩燻るこのセカイに」とあるように、やはりこの少女病の世界は優しくなんてないようだ。
蒼白シスフェリアでは挿絵でシスフェリアがどこかの建物を燃やしてたし。
慟哭ルクセインでも村がよく燃えていた。
残響レギオンのように魔女が幅を利かせている都市すら存在するし。
metaphorの灰色のトランジェントでは、妙な孤児院があった(過去形)。
聖骸メロフォビアでは「魔女の影響下にないこの国で」という表現があるため、国単位で魔女の影響下にある地域が複数存在することを示唆している。
この通り、随分と荒れた世界である事が分かる。
そこに目を付けた聖女は、魔女に対するレジスタンスを結成し、戦災孤児を中心に発展させていく。
残響レギオンでアイリーンが「扇動して巻き起こした戦争を眺め」たりしていたのを考えれば、戦災孤児くらい居てもおかしくない。
そんな魔女に対抗するため立ち上がったレジスタンスではあるが、必ずしも人々に受け入れられるわけではないようだ。
「背徳と糾弾されて 救う対象であるはずの人々に飛礫投げられても」という歌詞がある。
魔女を信仰する人々や、「魔女に逆らわない方が良い」と考える人々なんかを指しているのだろう。
それでも信念を貫き戦い続けるのがレジスタンス。
その中心人物は、大剣使いのシグと、弓使いのカナリア。
この曲の真ん中あたりの歌詞は、ジャケ絵で背中合わせになっている2人が歌ったものなんだろう。
ところで聖女様は何をしているんだろうか。管理職?
でも、8曲目の事を考えると、本当に管理してるのか危ういもんだ。
挿絵を見る限りほんの小さな集まりに思えるが、これは各地に存在する組織の1つに過ぎず、全体で見るとかなり大きい組織になっているのかもしれない。
それこそ管理しきれない程の。
2曲目は、レジスタンスでの日常を描いた物語。
レジスタンスの日常はどうやら随分と穏やかなもののようだ。
決して慣れることのない緊張感を伴う、という歌詞があるものの、あまり説得力がない。
だがそういう状況だからこそ、恋愛も発展しやすいというものなのか。
それにしても、服を着たまま水遊びって、このレジスタンス浮かれすぎじゃないですかね?
「空から降り注ぐのが、この瞬間みたいに優しい光ばかりだったらいいのにね」という歌詞は、残響レギオン1曲目の「希望と絶望を司る二つの光彩。この世界では決して等量に降り注ぐことのない光の雨。」にかけていそうな言い回しだ。
案の定、優しい光ばかりではなく、カナリアは原因不明の高熱に倒れる事になる。
で、意識を取り戻したかと思ったら、5年間の記憶を完全に喪失していた。
これも魔女の仕業で片付いてしまうのがこの世界の凄いところだが、魔女の力って絶大だなぁと改めて思う。
遠隔でこんな致命的な術をかける事ができるのだから、その気になればいつでもお前達なんて倒せるんだぜ、っていう魔女の意思表示でもあるかもしれない。
3曲目は、眠り姫と呼ばれる少女ミリリの話。
レジスタンスとは所変わって、5年もの間意識不明のミリリという少女について。
2曲目で5年間の記憶を喪失したカナリアと、5年間意識不明だったミリリが対照的だ。
これは、魔女によってカナリアの5年間の記憶がミリリに植え付けられたという感じだろうか。
しかし意識不明になったのはミリリが先だから、むしろミリリが意識不明になっていた分にカナリアの記憶を持っていったと表現した方がいいのかもしれない。
もっとも、ミリリの意識不明が魔女と関係するかは不明。丁度意識不明だったのを魔女が利用しただけという可能性もある。
魔女の力でもないと、5年間も意識不明のまま生きているのはおかしいと思うが、現代的な医療技術があればずっと病院で生き続けるのも出来なくはないんじゃないか?とも思うわけで。
目覚めたミリリは家族に5年間についての事を話すと「夢を見ていたの」と諭される。
ということは、レジスタンスが結成してから少なくとも5年以上は経っている。
そしてカナリアとシグはその古参メンバーで、5年もの間一緒に戦ってきた、と考えられる。
6曲目で「少年との5年間の思い出」という歌詞がある事からも、それは明らかである。
それにしても、挿絵の両親が「何してんだろうこの子……」みたいな目で見ており、戦いとは無縁の環境にいた事が窺える。
で、妙な記憶に戸惑いつつも日々過ごしていると、レジスタンスが実在するという事を耳にしてしまう。
それで記憶が現実にあった事だというのを確信したミリリは、何の手がかりもないまま今いる場所を飛び出すのだった。
「試しに弓を射てみても カナリアと違い上手くは飛ばない」とある事から、手続き記憶ではなくエピソード記憶だけが植え付けられたものと考えられる。
つまり、カナリアはああ見えてしっかり弓で戦っていた事があるのだ。すごいな。
ミリリにはそれができない。もう戦えない。でもシグのそばには居たい。恋愛感情ってエピソード記憶に入るのだろうか。
これ、冷静に考えると、レジスタンスのメンバーとしてはたまったものではない気がする。
戦力外のよく分からない子が集団の中核を担うシグのもとにやってくるのって、正直な所邪魔なんじゃないかと……。
ちなみに、挿絵の左端を見ると鴉が写っている。メイメイの使いの鴉とみて良いだろう。
4曲目は、シグが記憶喪失になったカナリアとの接し方について苦悩する話。
5年分記憶喪失になったカナリアは、幼さも5年前に戻っていた。
なんだかだいぶ幼くなっているように思えるのだが。
「その頃はシグとも出会っていない」とある。
シグとカナリアが出会ったのは、丁度5年前という事になるか。
そうじゃないと、6曲目の「少年との5年間の思い出」という歌詞と矛盾する。
というわけでカナリアの記憶は、ちょうどシグに出会う直前まで戻ったと考えることにする。
そんなカナリアに対して、シグは複雑な心境を抱いていた。
姿や仕草、クセといったものは紛れもなく自分の知っているカナリアなのに、共に背中を預け戦うどころか自分の事を兄扱いしてくるんだから、当然だろう。
シグは、もし2人の立場が逆だったらと考える。
シグの中でのカナリアは、笑ってごまかしたり、リセットされたならまたやり直せばいいと言ったりしている。サバサバとした性格だったんだろうか。
でも恋心を確かめ合う時になると後出しばっかりで。どっちなんだ。
仲良くしていく分にはまたやり直せばいいけど、一線を越えるとなると話は別!みたいな?
また、カナリアはどういうわけか一切の睡眠を取らなくなった模様。
まあ十中八九魔女の仕業なんだけども、記憶喪失と絡めると「ミリリが5年間眠っていた分をまとめて眠ったので、しばらく眠る必要がなくなった」とも考えられる。
記憶を失った代わりに、睡眠時間を手に入れたわけだ。睡眠時間の先取り現象。
うらやましいような、そうでもないような……。
5曲目は、あてもなく飛び出したミリリが黒衣を纏った放浪者に出会う話。
黒衣っていうのはもちろんルクセインの事だ。
彼が黒衣と呼ばれるようになるのは、残響レギオン5曲目のタイトル「黒衣の放浪者」で定着した感がある。
ミリリは案の定、激しい疲労と空腹に襲われていた。
何処に行けばいいのかも分からないのに飛び出したら、無理もない。
服装も3曲目のままだし、本当に何の準備もせずその身一つで飛び出したのだろう。
「穏やかな明滅にセカイは廻って」「少女の視界はいつか ブラックアウトを繰り返した」「絡む脚笑って笑って」と、ミリリが朦朧としたままよろめいている様子がこれでもかというくらい描写される。
脚が笑うっていう表現は、脚に力が入らずプルプル震えている時とかに使うやつだ。
そして今にも倒れる瞬間、ルクセインによってその腕を救い上げられる。
倒れる瞬間に「嗚呼、倒れる手折られる」って歌詞があるんだけど、「手折られる」の意味は「道具を使わずに手で花や枝を折る」の他に「女性をわがものにする」という意味がある。
「ミリリを花に例え、誰が手を下すまでもなく勝手に自滅していく様子」と、「ルクセインにわがものにされる」のダブルミーニングっぽくて何か面白い。
まあでも、ルクセインにその気はなくとも死にそうな時に支えられてパンまで与えられたら惚れたりもするんじゃなかろうか。
「猫の楽団は幻想~」あたりからは、意味ありげな抽象的な言葉がひたすら続く。
曲名の「浮遊黒猫と楽団装置」も合わせて予想してみると「猫=黒猫=ミリリ」「猫の楽団=ミリリの環境」「置き場所=ミリリのいるべき場所」「楽団装置=(猫の)楽団を支えるもの=ルクセイン」「蓄積した音=5年間の記憶」「感情のない喝采=?」「散々耳元で鳴っていた言葉=誘うような声音=音=?」となり、結局後半がよく分からない言葉だらけだ。
感情のない喝采はともかく、耳元で鳴っていた言葉は……「こんな事をしていてもどうせシグには会えない」のような自分自身の弱音の事を指している……?妄想を重ねてどうにか考えられるのはそれくらいだ。
その後、ルクセインは女の子を探している事、ミリリがその子に似ていた事を伝えてくる。
でも、探している子に似ていなくてもルクセインなら助けたんだろうなーって感じする。
何だかんだでお人好しだし。残響レギオンで仲裁役になったり助力を申し出たりしてるし。
ルクセインはあの頃のように放浪しているのではなく、女の子を探すという明確な目的を持って行動している。
パンを食べ会話を交わし、活力を取り戻したミリリ。
ルクセインから「(人としての)道を間違ってはいけない」と言われ、再び歩き始める。
ルクセインと探している女の子、二重の意味で説得力のある言葉だ。
「二人の目指す場所が同一であることには、最後まで気付かないままに」という歌詞についてだが、この場所というのはあくまでも「レジスタンス」を指しており、「シグのいる場所」ではないのがポイントだ。
ミリリはシグの元へ、ルクセインは女の子……レジスタンスを率いる聖女の元へ辿り着くのを目指しているのが、それぞれ6曲目・7曲目で語られる。
6曲目は、記憶喪失から半年後のカナリアとシグ、そして遂に辿り着くミリリの話。
ぎこちないながらも少しずつ前のような関係性を取り戻しつつあったカナリアとシグ。
レジスタンスって何やってる集団なんだろうと思わずにはいられない。
昼夜問わず好奇心旺盛に走り回るカナリアの保護者役を務めるシグ。
対魔女戦線どころじゃねえ!
「保護者役はキミだろう?」なんて同じレジスタンスのメンバーにからかわれる程度には、2人の関係は周囲に認められているようだし、きっと平和なんだろう。
そんな平穏な日々は、ミリリがやってきた事によって大きく変わる。
「魔法のように靄を消し払った」とあるが、これは「カナリアの記憶はどこにいってしまったのか」というシグ(と、他のメンバー達)の疑問を解消した事を現しているのだろう。
5年間の記憶を話す事で、自分がもともとシグの隣にいたカナリアである事をアピールしてみせるミリリ。
だが、半年かけて以前までの関係性を少しずつ取り戻しつつあったシグとカナリア。
そこに今更5年間の思い出を共有するミリリが来たところで、お互い気まずいだけなのであった。
7曲目は、数年ぶりの邂逅を果たしたフランチェスカ……もとい、聖女アナスタシアとルクセインの話。
聖骸メロフォビアに出てきた聖女アナスタシア=残響レギオンに出てきたフランチェスカ、という事はこの曲で明らかになる。
思えばルクセインが彼女の声を聞いたのはこれが初めてとなる。
しかし、ルクセインはどうやってこの事を知ったのだろうか。
聖骸メロフォビアの時点では「多くの信徒を集め、ミラシュカの国までその名前が伝わっている聖女」という表現があり、ミラシュカに限らず多くの国へとその名が伝わっているという事は予想できる。
だが、その聖女アナスタシアがフランチェスカと同一人物である事にどうやって気付いたのか。
顔で判断するにしても、この世界って写真とかあるのだろうか?
文化レベルはそんなに高くなさそうだけど……。
写真でないなら、最初期のアナスタシアを知る古参の信奉者あたりが流した噂が広まって……とか?
あとは、残響レギオンの初回特典版アナザージャケットをめくると書かれているセクサリスの台詞「不格好なダンスにしかみえないけれど、いつまで続けるのかしら?ふふっ――もしかしたら、自分が踊っていることにさえ気付いていないのかな」より、ルクセインは世界に(セクサリスに?)踊らされているから、なんやかんやあって(?)アナスタシアの事を知った?
「私はきっと、あの時一度死んだの。そんな顔をしないで?ルクス」というアナスタシアの台詞がある。
あの時というのは、やはり残響レギオンでの一件だろう。
ただ、「死んだ」後遺伝子がゼロから書き換わるように生まれ変わったのは聖骸メロフォビアで聖骸を見つけた時だ。
もっとも、聖骸の件を話していない状態で言うなら、前者を指すのだろう。
余談だけど、「ルクス」と呼んでいるあたりが地味に興奮ポイントだ。愛称だよねこれ。
「魂の色さえ書き換えられた偽装聖域 実像なき虚構空位に座って」という歌詞だが、前半はアナスタシア本人の事で、後半の実像なき虚構はアナスタシアの強がり・虚勢を現していると思う。
彼女は精一杯背伸びして、色々なものを犠牲にして、今の「各地の国々に知れ渡る聖女」というポジションを得たのだから。
その後も「面影はもうない」だの「狂気」だの散々な言われようだ。
「共鳴して 観測者を語る者よ」という歌詞だが、これって誰の事だろうか。
その後に続く歌詞は狂気に染まってしまった自分を糾弾するルクセインに対して言っていると考えられるので、「共鳴して観測者を語る者」とはルクセインの事か。
しかし問題は「観測者」とは誰だという事。
安直に考えるとセクサリス?となるが、「観測者を語る」以上はルクセインがセクサリスを知っていないとおかしい。
なので別の側面から考えてみる。
この曲の後半でルクセインは「偽りの姿を演じ続けるのを死者は望んじゃいない」と訴えている。
死者とはもちろん残響レギオンで仲間だったルークとミリア(と、兄のレスター)の事を指しているとして。
ルクセインは死者であるルークとミリアを引き合いに出して、アナスタシアに訴えている事になる。
また、残響レギオン10曲目に「そのレギオンは、死の残響で出来ていた」という表現があるのだが、この時点ではルクセインは去っているので「そのレギオン」とはフランチェスカを抜いて考えればルークとミリアの2人で構成されている事になり、「死の残響=ルークとミリア」と考えられる。
残響という事は「共鳴して」という単語がくっついても違和感はないので、「共鳴して観測者を語る者」=「ルークとミリアの事を語るルクセイン」になる。
すると観測者とはルークとミリア、というか「親しい関係にあった死者」を指す単語と言えるだろう。
死者なら、死後の世界でアナスタシアを観測していてもおかしくはないだろうし。
さて、その後は「この罪は五つの穢れた残骸と共に」という歌詞がある。
5といえば、蒼白シスフェリア1曲目にて「この世界には不死なる5人の魔女がいる」と言われているので、五つの穢れた残骸とは魔女の死体の事だろう。
不死だけど。
「枯渇した感情を憂いて セカイが変わるならそうするけど?」とはアナスタシアの言葉だろう。
恐らくルクセインは「道を踏み外すな」的な事を言っているのだろうが、その思いは届かない。
その後アナスタシアは、ルクセインが去った後に何があったのかを語り始める。
「後悔懺悔繰り返し」ているのはルクセインか。
何故あの時一緒に居てやれなかったのか、痛みを共有してやれなかったのか、等考えているのだと思う。
「出来損ないのヒーロー気取り」は無論ルクセインの事を指している。
これは本人が自嘲してそう思っているのかもしれないし、アナスタシアが内心思っている事なのかもしれない。
で、ルクセインは「よく考えろ、アイリーンの事件に囚われるな、お前のそんな姿を死者である彼らは望んでいない」的な事を訴える。
しかし闇は深い。ルクセインの言葉は届かない。
「思い遂げて散るまで 浮上することはない」はアナスタシアの覚悟だ。
刺し違えてでも、全ての魔女を倒すという覚悟。
これに対しルクセインは、アナスタシアのやり方には同調できないと言いつつも、アナスタシアの本心を見抜く。
アナスタシアは「なら、せめて今度は傍で見届けていて?」と返すのだが、これは地味に重い台詞だ。
「せめて今度は」から、アナスタシア(フランチェスカ)は残響レギオンの一件の時に最後まで傍に居て欲しかったという思いが伝わってくる。
「そして全てが終わったら――私を」(歌詞カードでは全てが終わった――私を、となっているが……)は、「殺してほしい」と続くのではないかと考えられる。
それは、まず「思い遂げて散るまで」という歌詞が入っている事から。
もう一つは完全に妄想なんだけど、アナスタシアは聖骸の力を得た時点で魔女と化しており、「五つの残骸と共に」には自分も含んでいるという説から。
蒼白シスフェリアにて魔女が神に選ばれ人から成る存在だと明言されている一方で、アナスタシアは神の聖遺骸から神の力を得た。
神が人を選んだか、人が神を選んだかの違いでしかなく、力は得ているわけだから、その時点で魔女と言ってもいいのではないかという暴論である。
同じく聖骸メロフォビアにて聖骸から力を得たカタリナ様は……純粋無垢な気持ちで得た力は魔女のものとは言わない、とかで無理矢理納得だ。
結局、お人好しのルクセインは同調できないとか言いつつも対魔女戦線に参加。
今後はアナスタシアと協力していく事になるのだろう。
でもやっぱり一番大事なのは亡き友、黒狼なあたり、ぶれないルクセインなのであった。
8曲目は、カナリアとミリリの間で苦悩するシグの話。
少し先の歌詞にある「どちらか一方を取ることなんてできない」、これに尽きる。
一夫多妻制ならよかっただろうが、少女病世界ではそんな事はないようだ。
「困らせるためにここまで来たわけじゃないから」とはミリリの台詞で、言い訳じみているとは思う反面本心から言っているのだとも思う。
何しろ本人からしたら、ただシグのそばに居たいからという思いだけでここまできたのだから。
また、3曲目で「じゃあカナリアは……?」とも言っているように、純粋にカナリアがどうなっているかが気になったというのもあるだろう。
その一方でお気楽なのか正妻の余裕なのか、カナリア(記憶喪失)は「みんなで仲良くすればいいよ」などと無邪気に笑う。
シグは悩んでいるうちに不眠に陥ってしまう。
「自家撞着の果てには何もなくて」の自家撞着とは、自分の言動が食い違っているという意味で「カナリア本人だから好きなのか、思い出を共有しているから好きなのか」について指しているんだと思う。
「それが最後の選択だっていうなら 分かたれた道を 選ばず繋ぐ新しいラインを描く」は、どうにも抽象的で分かりづらい。
これをシグとカナリアの関係が「分かたれた」と考えるのなら、「選ばず繋ぐ新しいラインを描く」とは「どちらか一方を取らず両方選び、2人と仲良くする」って事だろうか。
「傷だらけのクロスラインを 一つに結んでゆく」も、カナリアとミリリの2人の道を1つに繋ぐ、という意味に思える。
まぁ、自分では決められないのでなぁなぁで済ませようという事だろう。
だがそんな思いは、カナリアの不眠のせいで逆効果となる。
葛藤から不眠に陥ったシグは、同じく不眠のカナリアと長い時間を過ごす事になってしまい、それがミリリの嫉妬を買う。
ここで登場するのがメイメイという半裸の不気味な女。
この曲のほかに挿絵では1曲目と9曲目に登場しているし、ジャケ絵でも右上に堂々と顔を見せている。
初登場は告解エピグラム6曲目の「遠い血縁の女」、それがメイメイだ。
彼女は、カナリアが死ねば貴方が傍に居られる、と誘惑してくる。
どうでもいいけど歌詞カードでメイメイの台詞の鉤括弧が一つ多いな、ここ。
その後は必死にカナリアを殺すという誘惑に抗おうとするミリリの精神描写がある。
背中合わせになっているのを「裏切り」と表現しているのは……シグとあまりくっつかない協定でも結んだのか?
というのは冗談で、これは嫉妬に囚われたミリリの被害妄想のようなものだろう。
「無価値な線は消してしまうから」と言うミリリ、カナリアの事を冷酷にも無価値と表現している。
シグが繋ごうと思ったクロスラインは、ミリリの手によって繋がることはなくなってしまう。
そしてメイメイから受け取った、緩やかな死へと誘う都合のいいお薬をカナリアへと渡すミリリ。
しかし、ミリリにとって予想外だったのが、カナリアが自分と同じく不眠で悩んでいたシグにも同じ薬を分け与えてしまった事だ。
カナリアをどうやって排除するかばかりを気にしていて、シグの不眠から意識が逸れていたミリリ、迂闊。
最後の瞬間まで一緒だった2人をみたら、そりゃ闇に呑み込まれるってものだ。
9曲目は、メイメイがフィーナと自失のミリリを連れて歩いていく様子を歌ったもの。
この曲で、ようやくメイメイについて明確に「魔女の使いである女」と正体が明かされる。
一応1曲目でも「少女は魔女の使命を受けて」という歌詞があるけど。
「廃色に規定されたライン」とは、恐らくメイメイの主である第三の魔女・メリクルベルが定めた運命、と捉えるのが適当だ。
8曲目で何度か使われていた「ライン」と意味は同じだろう。
メイメイは、魔女の使命を受けて、廃人みたいな少女を集めていたのだろう。
フィーナとはもちろん、告解エピグラムに登場したあのフィーナだ。
フィーナとメイメイが出会っているのは同アルバム6曲目である。
同6曲目はフィーナの可能性の物語なので、結局フィーナが同10曲目で告解の館を出た後掴み取った自身の可能性は、同6曲目と同じか似たようなものだったという事になるのか。
メイメイに薬漬けにされ、その従者となるのがフィーナの結末だったと。
告解の館を経て得た希望を全力で否定していく凄惨な物語だ。
そんなフィーナとミリリは、メリクルベルの元へと連れて行かれるのであった。
この曲はなんだかそれっぽい単語を言葉遊びのごとく並べまくっていて非常に分かりづらい。
ただ、1番はフィーナ、2番はミリリについて歌っているような印象を受ける。
「虚構の繭 読み解いた少女に もうセカイは変えられない」の部分は、「虚構の繭=告解の館」で「読み解いた少女=フィーナ」、自分の可能性を知ってしまったフィーナに結末を変える事はできない、とメイメイが言っているのではないか。
告解エピグラムでのメイメイは、何か重要な事を知ってしまったフィーナの記憶を塗り替えようとしていた。
だからこそ、他の可能性に進まれては困るので、またしてもフィーナを薬漬けにした。
「さあ 罪悪の庭で」という歌詞があるが、「罪悪の庭」と「告解の館」は対照的な言葉と言える。
もっとも、これについては続く「患者の群れと踊り続けよう」の患者の群れが狂聲メリディエに登場する7人の少女を思わせる言葉のため、罪悪の庭はメリクルベルの世界を指しているとも考えられるが。
ちなみに、「夜に乱れた手負いの闇 それは玲瓏」という歌詞があるが、告解エピグラムにもメイメイが登場する6曲目にて「散漫な思考 玲瓏」という歌詞があり、玲瓏が共通している。
続いて2番の歌詞。
「なくさないように鳥篭の中 それは束縛?」は、ミリリの存在が実質的にシグを束縛した事を意味しているような感じがする。
「虚影を追い 走り出した少女に もうセカイは動かせない」の部分は、「虚影=5年間の思い出」で「走り出した少女=ミリリ」、ミリリがレジスタンスに来てシグとカナリアを殺してしまった時点でミリリの居場所はもうなく、「セカイを動かす=レジスタンスとして活動する」事はできないということか。
「遠い背中を探し続けても ほら、消えていった 砂礫に閉ざされて」とは、シグが死んでしまった事を現しているように思う。
「さあ 最愛の夢へ~」以降は狂聲メリディエでのミリリの結末を指していそうだ。
「透明な共鳴から 無数の言葉が生まれて あっさりと忘れられた 案外簡単にさ」という歌詞もまた分かりづらい。
敢えてこじつけるとするなら、この物語の中であっさりと忘れられたものといえば、ルクセインの「道を間違えるな」という言葉だ。
「透明な共鳴」はルクセインが自分との関係性が薄い(=透明な)ミリリに手を差し伸べた(=共鳴)事を指している、とか。
「無数の言葉が生まれて」は……正直苦しいが、ルクセインに支えられた時のミリリにとってはルクセインの数少ない言葉が無数の言葉に思えたとか……。
直後に「道を間違えるな、って言ってもらってたのに」と後悔している事から、やはり上の歌詞はルクセインからもらった言葉について言及しているんじゃないかな、と思ったのだ。
まあそんな感じで、狂聲メリディエの少女達が揃うのであった。
集団の中心人物を失ったレジスタンスは、一体どうなってしまうのか。
今後のアナスタシアと、仲間に加わったルクセインの活躍に期待したい。
同人時代の12thアルバム。
兄妹の歪な愛を描いた物語。
疾走曲2つ(1つは後から疾走)にバラードという、いつものパターンである。
このアルバムを一言で表すなら、世界一かっこいい近親相姦ソングだ。
曲はいいけどやってる事はなかなかにえげつない。
それ自体はいつもの少女病だけど、このアルバムは輪を掛けて凄まじい。
退廃を撃ち落としてとか言ってるけど、もはや退廃そのものである。
そういうのが大好きな人に特におすすめできる。
ちなみにこのアルバム、黎明ローレライを知っていると……逆に混乱する。
知らなくても全然問題ないようにできている。試聴で気に入ったら是非。
1曲目は、とある兄妹・アクトとキャミィ(とその母親)の話。
冒頭で「ローレライの亡霊」「昔話をしようか」と言っている通り、この兄妹は黎明ローレライ2曲目・meaning of deathに登場する兄妹だ。
もっと幼いかと思っていたのに、ジャケ絵の2人がこの兄妹だとするならそれなりに年齢いってそうだ。
ともあれ、このアルバムの物語はmeaning of deathの兄妹の過去話ということになる。
兄妹は毎日のように行為に及んでいた。
「ガラス細工のようなごっこ遊び」と称した茶番までやりながら。
演出家かよ。
しかしそんな日々を咎める母がいた。まあ、当然である。
「差異を咎め」とはどういう意味なんだろうか?よく分からない。
兄妹の中でも、特に娘のキャミィが重点的に怒られたのだと思う。
最後の語りで分かるのだけど、キャミィは母親から虐待まで受け、段々と精神が壊れていく。
それを見た兄のアクトは、ただでさえ妹を愛しているというのに、壊れていく様子を見て更に愛おしいと思うようになる。
へ、変態だ。
ところどころ抽象的な表現はあれど、基本的には語りの通りなので分かりやすい曲だと思う。
そして2曲目へと続く。
2曲目は、母親からの虐待を受ける妹・キャミィがそれでも健気に過ごす様子から始まる。
虐待してくる母親も、昔は優しかったらしい。
昔という単語が出てくるあたり、やっぱりこいつら結構歳いってるよ。
ローレライの幼い兄弟の事は忘れよう。うん。
この曲は歌詞の中に「ガラクタ」とか「玩具」という言葉が何度か出てくるんだけど、この2つはmeaning of deathの歌詞にも出てくる単語だったりする。
meaning of deathでは「しょうもない話」みたいな意味だったので、自分の事を将来的にそんな話の一つになるという事を表しているのかも。
「唯一の輝きが 傍にあるのなら この傷が消えなくても それだけが変わらぬまま守れるなら」とは、虐待を受けていても兄のアクトさえ傍にいるのなら(近親相姦エンジョイできれば)耐えられる、という意味だろう。
しかしそんな願いも、行為に及んでいる兄と母を偶然見てしまった事によって崩れ去った。
見知らぬ他人のように見えた母を、「アレは なぁに?薄汚れているわ」と斬り捨てるキャミィ。
「いらない玩具(おもちゃ)」とした母をその手で殺し、「良いコにしてるでしょ」と兄へ自慢げに言う妹、まさに退廃。
挿絵の右下の方を見ると、ナイフのようなものがぐっさり刺さっている。
挿絵の左で誇らしげにしている兄は何なんだ?と思うが、精神が壊れた妹を見て「堪らない愛おしさを感じた」なんていうあたり、兄も壊れているのだ。
兄は壊れた妹が見たいが為に、狙って母との行為に及んだのではないだろうか……。
3曲目は、母親を殺した兄妹のその後の話。
いきなり「繋がる兄妹」とかいう歌詞があり節操ないなと思うけれど、多分そっちの意味ではないというのは最後まで歌詞を読んでいくと分かる。
母親を殺したことで、もう平穏な生活には戻れないはずの兄妹だったが、お互いを見ているだけで何一つ失っていないと信じられるという。
冒頭の台詞でキャミィが「だって、私には、最初から、兄様しかいなかったのだから」と言っているが、アクトにとっても同じだったのだろう。
とにかく2人以外何も要らないという事を主張してくる。
2人に省みるものも思い当たらないし、後悔などする余地もない。
でも一応「壊れている」という自覚はあるようだ。もともと兄の方にはあったようだが妹はどうだか不明。
2人が望むのは裁きなどではなく、誰にも咎められない究極の最期。
要するに捕まる前に2人で心中しようというのだ。
人は生まれながらにして完全ではない。これは分かる。
寄り添うことで完成する。まあ分かる。
永遠に完成されたままでいるために手に握るナイフを2人で抱きしめて心中。ぜんぜんわからない。
抱きしめたまま、繋がり合ったまま死んだ兄妹の様子が挿絵である。
随分穏やかな死に顔だけど痛くはなかったんだろうか……。
そして最後に「兄と妹、似ているようで、決定的に異なる幸せの形」とあるのだけど、これはどういうことか。
1番の歌詞に『二人以外、他に何もいらない。それは、「完成(幸せ)」と呼ぶのでしょう?』、2番の歌詞には『いつしか、この決断が揺らいでも。今は、「理想(幸せ)」と呼ぶのだろう?』というのがあり、それぞれキャミィとアクトの言葉になっているのだと考えられる。
キャミィにとっての幸せの形は、2人だけの世界。
アクトにとっての幸せの形は、美しい存在が壊れていく事……なのか?
ちなみにmeaning of deathでは、キャミィは「私が好きなのは 甘く散る恋 二人の恋物語と 重ねてみてしまう」、アクトは「ボクの好みは 滅びの物語 そこへと至る 過程が美しい」と言っている。
こっちは、アクトはともかくキャミィの言っている事が矛盾しているような気がする。
「散る」というのが死ぬ事を指しているなら話は別だが……。
メジャーデビュー後の5thアルバム。
創傷クロスラインより続く、第三の魔女・メリクルベルの物語。
残響レギオンの記事にも書いている通り、うちが最初に買った少女病CDの一つであり、購入を決定付けた曲が入っている。
最初はそれほど物語に興味がなかったので、4曲目のPrimary periodに惚れて買ったようなものだった。
次点で8曲目。村を焼いて国を焼きたくなる名曲だ。
1曲目は、何というか「少女病とはかくあるべし」って感じの曲。言葉遊びに語り、台詞、メロディの全てがまさに少女病なのだ。
音質も今までのCDの中でも最高レベルなので、初めての人へ勧めるのにぴったり……とは大手を振って言えないのが、このアルバム唯一の欠点か。
サンホラで言うところのNeinのように、過去の登場人物やら曲に焦点が当たっているためだ。
創傷クロスライン同様、フルに楽しむためには他のCDを聴いておかないといけない。
登場人物を全員把握しようとすると、空導ノスタルジア、黎明ローレライ、告解エピグラム、創傷クロスラインを聴いている必要があり、これらは見事に全部同人時代のアルバムなのだ。
同人時代のアルバムは、今(2015年12月)でこそAmazon等で入手可能ではあるものの、いずれ入手困難になるのは見えている。
この点で、おすすめのしやすさなら残響レギオンに軍配が上がる。
ただ、楽曲はどれも良い出来なため、物語系が苦手な人には逆におすすめできるという考え方もできる。
まあ、迷ってる人はとりあえず4曲目のPrimary periodを試聴してみよう。
それで判断してもきっと損はしないはずだ。
1曲目は、五魔女会談の様子を歌ったもの。
魔女同士の関わりについて描写されるのは、この曲が初めてである。
まず、第4の魔女リフリディアは遅れている。早速、時間にルーズなキャラがついてしまった感がある。
「第5の魔女の着席を待たずして」とあるものの、これがリフリディアと同じく単に「遅れている」という意味なのか、それとも「第5の魔女は決まっていない」という意味なのか、はたまた「第5の魔女の存在は他の魔女に知られていない」という意味なのかは明らかになっていない。
個人的には第5の魔女=アナスタシア説を推しているので、「第5の魔女は存在するけど五魔女会談には出ていない」と解釈している。
それにしても五魔女会談とは、一体何が目的の会談なんだろうか?
「この場で 定められた 指針こそが 法となって」「帝政? 王政? そんな飾りは 意味為さず ここに 集う ”絶望”が真の最深淵」というあたりから、この会談は世界に対して絶大な影響力がある事は窺える。
「再始動へ集え」と言っている事から、魔女が全員集まって何かをやろうとしているようだが、よく分からないままだ。
「歓迎しようか 新しい魔女を」の新しい魔女とは誰を指すのかも、この後の魔女達のやりとりに出てくる「新参」の魔女シスフェリアに思えるが、実は遅れているリフリディアなのかもしれない。
この後は魔女達のやりとりについて歌っている。
挿絵の左にいるのがシスフェリア、真ん中がアイリーン、右が今アルバム初登場(厳密には違うのだが)のメリクルベルで、この時の会話の様子を描いたものだろう。
魔女達はお互いの行動について魔女的な不思議パワーで把握しているのか、それとも会談中に情報共有でもしたのかは定かではないが、メリクルベルはシスフェリアについて「人を捨てきれていない不幸ぶった娘」と評した。
この挑発にシスフェリアは動じず、逆に「命の灯を どれだけ消したとして 決して満たされない。わかっているでしょう?」と言い返す。
多分、「(metaphorから判断するに)相手を選んで人を殺しているシスフェリア」に対して、メリクルベルが「魔女がそんな(正義感にかられた)人間みたいな考えでどうするの」と挑発して。
それに対してシスフェリアは「無差別な殺戮を繰り返したところで満たされる事はない」と諭すように言うと。
「満たされる」とは何なのか。
蒼白シスフェリアの時から思っていたが、魔女になった事による心境に変化から生じる破壊衝動的なものが満たされる事はない、といったところか。
で、そんな事言っても結局お前も人殺してるじゃねえかとキレるメリクルベル。
どうやら煽り耐性はないみたいだ。
そんなメリクルベルを制するのは真ん中に座っているアイリーン。
残響レギオンで人間相手にあれだけ好き放題やっていたのに、同じ魔女達に対しては仲裁役に入るというギャップが面白い。(魔女の中では)常識人ポジションか?
魔女達の不和を気にしたというより、彼女達は前述の歌詞の通り何らかの目的で集結しているはずなので、争い事は避けておきたい打算もありそうだが、肝心の目的が明かされないので何とも言えない。
「撒き散らされた殺意」は、この流れだとメリクルベルのものだとして。
「不完全犯罪依存の 密教徒はその身を投げて叫ぶ」の、曲名にもなっている「不完全犯罪依存」と「密教徒」とは一体何を示すのか?
単体ではさっぱり分からないが、その後の「救いを……!救いを……!」と「世界像を描き変える物語」に注目したい。
このアルバムにて、救いを求めているのは7人の少女達だ。
そして「世界像を描き変える物語」とは、10曲目でもう一度出てくる言葉なんだけど、まさにこのアルバムでメリクルベルがやっている事を指している。
ということは、「不完全犯罪依存の密教徒」というのは、「このアルバム中でメリクルベルが行った行為を求めている人々」を指すんじゃないかと思う。
メリクルベルによる「救済」を求めている人々は、きっと他にも大勢いるのだ。
「ふふっ、ようこそ、暗色しかないセカイへ~」の台詞は、遅刻した第4の魔女リフリディアに向けた言葉だと思う。
で、2曲目以降は「自分が魔女としてどのような事を行ってきたのか」を、揃った魔女達に発表しているという感じじゃなかろうか。
つまり、時系列的には2~10曲目が過去の出来事で、1曲目が一番最後に位置する事になる。
2曲目は、創傷クロスラインのラストから続くメイメイに連れられているミリリとフィーナの様子を、ミリリの視点で描写した歌だ。
廃色に規定されたラインとやらを歩き続けた彼女達は、いつしか幻想の世界まで辿り着いていた。
「ようこそ、新入りさん~」のあたりはメリクルベルの台詞だろう。
来た者をとにかく幸せにしようとする。怖い。
ここに住まう5人の乙女達が、メリクルベルに対して負の感情を向けていない事を疑問に思うミリリ。
少女病世界では周知の事実なのか、ミリリは魔女に対して良いイメージを持っていないようだ(一応、一時的にレジスタンスに居たくらいだし)。
5人の乙女とは後に登場する娘達の、ディー、ウィー、ロシェル、イヴリィまでは分かる。
その中にフィーナかメイメイのどちらかが入るはずなんだけど、そもそもメイメイがフィーナとミリリを連れてここまで来たのだ。
「住まう」という事は前からここに居たわけで、メイメイが普段ここでメリクルベルと共に暮らしていると考えるならば、5人の乙女のうち最後の1人はメイメイという事になるだろう。
もっとも、その中でもメイメイは特別な存在であるという事は8曲目にて語られる。
フィーナとミリリを誘うメリクルベルは、「真白の姿、美しいまま此処で……死んでいきましょうね。」と言う。
美しいものを自分の手で壊すのが好きなアイリーンと、美しいものを集めてとっておくメリクルベルが対照的だ。
フィーナは恐らくメイメイに薬漬け(告解エピグラム6曲目)にされたせいか、あっさりメリクルベルに従う。
まだ(乙女達がメリクルベルに負の感情を向けていない事に疑問を抱く程度には)正気を保っているミリリは抵抗するも、メイメイに後頭部を殴られる(?)。
もうここから逃がすつもりはない、ってところか。
3曲目は、双子の少女ディーとウィーの物語を歌ったもの。
挿絵と歌詞を見ても、2人の少女のどっちがディーでウィーなのかは分からない。
2人の物語は、要約すると「幸せに暮らしていたけど父が酒クズで借金を重ねて一家離散、3年後にまた会おうと別れそれぞれ引き取られた家でその時を待ちながら懸命に生きるんだけど、いざ3年後に約束の場所へ向かってみたら父も母も来なかった。」という、誰が見てもバッドエンドなものだ。
内容は分かりやすく特別考察するところはない。
挿絵は丁度、2人の双子が3年後に出会ったところだろう。
そこにカラスを連れた少女……メイメイが現れる。
メイメイといえばカラスを連れているのは、創傷クロスラインで明らかだ。
甘い言葉で双子の少女を誘うのであった。
ちなみに、挿絵を見る限り雪が降っているのだけど、メイメイは相変わらずいつもの格好で2人の前に現れたんだろうか……?
絶対寒いと思うよ。
4曲目は、母と子で暮らす少女、ロシェルの物語を歌ったもの。
内容を要約すると、「母と子2人で貧しいながらも幸せに暮らしていたが、ある日母が病気で倒れてしまう。ロシェルは泣き虫で甘えん坊であるにも関わらず、行かなければ後悔が残るからと、一晩中駆けて薬を求めて遠い町まで行き、どうにか薬を手に入れて帰って来る。しかし彼女を迎えたのは誰が立てたか母の墓標だけであった。」と、これまたバッドエンド。
そもそも丁寧に墓まで立てたのは誰だ。
恐らく、ロシェルの前に現れたメイメイの仕業に違いない。
誰がロシェルに声をかけたのか歌詞上では記述がないが、まあ3曲目と同じだと察するべきだろう。
5曲目は、空導ノスタルジアに登場する少女イヴリィの過去話。
空導は2008年のアルバムなので、実に7年ぶりのネタばらしという事になる。
そんなイヴリィの物語は、時系列的にはこの曲の方が前になる。
「深窓から焦がれた 一片の理想は唯遠く」は、「両親と国政を支える事が夢だが、身体が病弱故それは叶わない」様子を現している。挿絵の場面だろう。
身体が病弱なのは曲の中盤で語られる。空導ノスタルジアを知っていると「あの大剣振るっていた少女が」と思うのだけど、かつては病弱だったのだ。
ちなみに「粉雪(ゆき)のように溶けて 悲しき歌声(アリオ)を奏で続けていた」という歌詞だが、実は空導ノスタルジアの1曲目にも「ひとひらの粉雪(ゆき)消えゆく想い纏って 透明な感覚(おと) 美しく奏でる 歌声のように(アリオ)」という歌詞があったりする。
イヴリィは自分の病弱な身体に苦悩しつつも、「まだ、抗ってみせる」と生き続ける。
「運命を超えて 斬り裂く為に~」のあたりは、彼女が自分の理想の在り方について歌っている。
大剣という言葉が出てくるが、これは立ちはだかる障害を斬り裂くための手段を例えて言っているのだろう。
大剣を纏えるくらい強い身体になりたいという願望も入っているかもしれない。
「とある大国の姫君、イヴリィ~」から、ようやく彼女の境遇について語られる。
いつか病弱な身体を治して国政を支えようと思っていたのだが、クーデターの襲撃に遭い追われる身となる。
そして彼女の目に映ったものは「凄惨な赤」。
少女病で「凄惨な赤」といえば、告解エピグラム6曲目にも出てきた表現で、恐らく「血」を指す言葉だ。
後の歌詞から察するに、イヴリィは両親が殺される様子、あるいは両親の死体を見てしまったのだ。
その光景は「もう……洗い流せない」とあるように、彼女の頭に刻みついて離れない。
「寂滅の大剣(つるぎ)を与えて」と「過去も未来も 葬る劫火(ほのお)」という言葉が出て来るのだけど、空導ノスタルジアの2曲目は「寂滅フレアー」という曲名なので、これにかけているんだと思う。
それから、どうにか逃げ切ったであろうイヴリィが己の無力さを呪っているところに、メイメイが現れてそそのかす。
「貴方が求めた復讐(ちから)は此処に」と言いつつメリクルベルがイヴリィに与えたのは、力なんかではなく、終わらない悪夢だった。
以降の歌詞は、空導ノスタルジアと強く結びついている。
「毒牙に堕ちて」=「メリクルベルの手に堕ちる」、「生かされながら」=「夢を見せられ続けながら」。
「幻想の大剣(つるぎ)を振るって 無数の死を積み重ねては 終わらない悪夢を視る」は、終わらない罪に耐えかねた彼女が自害を選ぶも死ねず永久に同じ事を繰り返すという、空導ノスタルジアの2曲目~3曲目の様子を指している。
「砂礫の夜空に響く咆哮」と、「何れ過去も自己も喪い 無(ゼロ)を刻む終の姫君(イヴリィ)」の部分は、空導ノスタルジア1曲目の「砂礫混じりの風 運ぶは終の少女(イヴリィ)」という歌詞にかけていそうだ。
「何れ過去も自己も喪い」は、自害するたび記憶が失われる事を指しているか。
「空導の箱庭に 救済(しあわせ)を捜して」の「空導の箱庭」は、イヴリィが見させられている悪夢の事を指すのだろう。それは「身に覚えの無い罪を大剣で斬り、空へと導く」という悪夢なのだから。
「ずっと私が救ってあげる~」というのはメリクルベルの台詞だ。
「美しいわよ、憎らしいほどに」で、つい本心が出ているメリクルベル。
空導ノスタルジア3曲目の最後に「若く美しい姫に嫉妬した魔女による呪い」とある通り、メリクルベルはイヴリィの事をお世辞でなく憎らしいと思っているのだ。
そして最後に「あなたが斬り裂きたいのは、見知らぬ敵?それとも、あなた自身?」と問いかけるメリクルベル。
空導ノスタルジアでは、イヴリィは最終的に自分自身を斬り裂いているので、いずれそうなる事を示唆しているのだろう。
空導ノスタルジア3曲目の終盤に「囚われた姫は、静かな森の奥深く眠り続ける」という歌詞があるのだが、これはこのアルバムの2曲目に出てくる「真白国」、要するにメリクルベルの住む場所を指しているのだ。
ここまで考察して分かったのは、曲名の「空導ノ果テ」は別に果てでもなんでもなく、「ここから空導が始まるんだよ」の間違いなんじゃないかと。
6曲目は、フィーナとメイメイのやりとりを描写した歌。
さて、フィーナといえば1枚まるごとフィーナについての物語になっている告解エピグラムだろう。
「貴女に見せてあげる。”今”の貴女が、これからどんな運命を辿るはずだったのかを」とメイメイは言う。
告解エピグラムは、自殺を図ったフィーナが、生と死の狭間である告解の館で自分がこれから辿る可能性のある運命を見ることで、また再び生きる事を選んだという話だった。
にもかかわらず、メイメイは再びフィーナにどんな運命を辿るかを見せようとしている。
「”今”の貴女」と強調しているのがポイントだ。
で、その後「メイメイは語りかける。かつて語られなかった、最も最悪の可能性。」という歌詞がある。
「かつて語られなかった」は、「告解の館」では語られなかったという事を意味している。
よって、この曲に出てくるフィーナは、告解の館を経た後のフィーナとなる。
そんなフィーナに、告解エピグラムの6曲目とは若干シチュエーションが違うものの、メイメイが姿を現したわけだ。
告解エピグラムの6曲目で見せられた可能性と全く同じではないという事は、フィーナの服装を見れば分かる。
告解エピグラムの6曲目ではいかにも病人といった感じの服装だが、この曲では告解の館を扉を開けている時の服装になっているからだ。
で、メイメイはフィーナに小さな鏡を使って「かつて語られなかった、最も最悪の可能性」の光景を見せてくる。
さり気なく出てくる小さな鏡とかいうのは、メリクルベルの魔法でもかかっているんだろう、多分。
そしてその鏡に映し出されていたのは、見慣れぬ誰かが何かを抱いて泣いている様子。
「醜い魂に価値などないと吐き棄てて」いるのは、メイメイだろう。鏡に映し出された光景を見ながら言っている。
最初の方で「メイメイは語りかける。その美しい魂の色、損なわれぬよう」とフィーナに向かって言っている事への対比だろう。
鏡に映るその姿は、見てはならない凄惨な赤……血に染まっていて。
……一体何があったんだ?完全に想像に任せるということか。
叫んでいる「我が子の名前」とはもちろん告解エピグラム9曲目の曲名にもなっているエフティヒアに他ならない。
鏡に映る姿……というかフィーナは、壊れかけの機械のようにその名を呼び続ける。
告解の館を経たフィーナは、その光景が何を意味しているのかが理解できる。
「いくつもの世界を 垣間見選んだ筈の現実(せかい)」は、「告解の館でいくつもの可能性を見た上で選択した、今の自分がいる世界」という事。
そこで更にこんな光景を見せられたら、確かにショックを受けはするだろう。
ただ、あくまでもこれはメイメイが見せているに過ぎない光景で、フィーナはこれを否定する事もできるはずなのだが……。
まあ、フィーナは告解エピグラム8曲目にて年老いて老婆と化した自分に「思い出せよお前はすぐ騙されるぞ」などと言われるほど人に騙されやすい頭をしている。
「響く無為な羽音が明日を呆気なく壊して」の部分は、告解エピグラム6曲目の曲名「無為な羽音が壊した明日」から来ているのだろう。
「無為な羽音」は十中八九メイメイを例えたものなんだろうけど、何で「無為な羽音」なのかはよく分からない。
「まだ碌に抱きしめてもいなかったのに……」と言っている事から、本当に生まれて間もなくエフティヒアは死んでしまった事が分かる。
尚更、何があったのか気になる所だ。
鏡の中に映るフィーナは、こんな未来に何の意味があるのかと自問し続けて……そんな光景を眺めるフィーナもまた狂っていく。
「放棄せよ ただ嫌悪せよ~」のあたりから「その一切から目を逸らしても」までは、告解エピグラム8曲目の老婆の言葉に近いものを感じる。
倒れ伏すフィーナを見てメイメイが語りかける。「ねえもういいでしょう?」と語り始める。
「死なせたくないなら最初から産まなければ良い」と。
言葉巧みに誘導しているように見えるが、単にフィーナの心が脆弱なだけだ。
告解の館であれだけ可能性を見てきたはずなのに……。
「現実は虚ろ 告解の果てに 全て否定する 薬を一つ」と歌詞にあるように、告解エピグラムでの出来事をクスリ一つで台無しにしようとしている、恐ろしい女、メイメイ。
そして「さあ、目を覚ましなさい、フィーナ」である。
この直前に飲ませたな。
告解エピグラム6曲目と同じように、改めて遠い血縁を名乗る。
遠い血縁というのもどこまで本当なのか疑わしいものだが……遠い血縁なんて言われると、嘘とも言い切れない。
で、更に薬漬けにしていく。全てを上書きしていくメイメイ。
最後は「そうしてあるときを境に、彼女の行方は誰も知ることはなかった――」で締められている。
この曲から、創傷クロスライン9曲目→このアルバムの2曲目へと繋がっていくのだろう。
創傷クロスライン9曲目からフィーナの服装が異なっているので、ある程度時間が経過している事が分かる。
ちなみに、このアルバムの2曲目の挿絵が分かりやすいんだけど、恐らくメイメイが選んであげたであろうフィーナの服装、何となく雰囲気がメリクルベル似だ。
7曲目は、ミリリとメイメイのやりとりを描写した歌。
時系列的には、2曲目でメイメイに殴打された(?)ミリリが気がついてからの話になるのだろうか。
冒頭は創傷クロスラインのミリリ関連のエピソードのまとめみたいなものだ。
「元を正せば貴女のせいよ」と笑うメイメイに対し、「笑ってないでなんとか言ってみたら!?」とミリリ。
レジスタンスでの出来事を思い出して後悔するミリリの前で薄く笑うメイメイ、みたいな構図だろうか。
メイメイは「貴女は何も分かっていない。損なわれるべきでなかった色。救われた色。貴女の魂の本当の色というものを」と意味深な事を言ってくる。
創傷クロスライン9曲目にて、「これがあなたの辿るべき道。他ならぬメリクルベル様がそう決めたのだもの」と言っているのをそのまま受け止めるなら、ミリリは前もってメリクルベルに選ばれていた事になる。
そしてミリリは「損なわれるべきではなかった」=「メリクルベルに選ばれた」から、「(メリクルベルに)救われた」と。
「魂の色」というのは本性とかを指すのだろうか?
「救われた」と過去形で言っている事から、やはり時系列的には本アルバム2曲目後になるのだろう。
文句を言うミリリに、恐らく6曲目でフィーナに使ったもの(小さな鏡)と同じものを使い、ミリリのもう一つの可能性を見せてくる。
最初に書いておくと、このもう一つの可能性とはカナリアの5年間の記憶がミリリに植え付けられないまま、ミリリがレジスタンスに辿り着いた可能性だと考えている。
「あの幸せそうな影~」の部分は、ごく普通にカナリアとシグが戦っている様子の事。
この光景を見ているのはミリリだがそれを「私達は」と表現しているのは、ミリリはこの頃のカナリアの記憶を持っているから、だろう。
「そうして辿り着いた 運命の交錯する街【crossline】」は、ミリリがなんやかんやあってレジスタンスまで辿り着いた事を意味している。
創傷クロスライン3曲目に「人づてに聖女様が率いるレジスタンスのことを耳にしてしまう」とあるため、5年間の記憶の有無とは関係なくレジスタンスに辿り着く事は考えられる。
で、レジスタンスに辿り着いた「可憐で淑やか」なミリリと、シグは惹かれ合っていく。
シグとカナリアは互いに恋心を抱いていたはずなのだが、シグは一体どうしてしまったのか。ミリリはそんなに良かったのか?
「私じゃない それは 私だけど そうじゃない」と鏡の光景を見ながら呟くミリリ。
確かに鏡の光景ではミリリとシグが結ばれている。
でもその光景を見ているミリリはカナリアの記憶を持っている。
だから「私だけどそうじゃない」と思ってしまう。
「私(カナリア)といえばただ独りぼっちに」と言う所では、記憶の中のカナリアとしての自分を「私」と表現している。
「己を殺し戦い続ける」とあるため、改めて鏡の光景のカナリアに「記憶の巻き戻し現象が起きていない」=「5年間の記憶が映っていない」事が分かる。
鏡の光景に映るカナリアは、「シグが幸せなら」とは言うものの、内心では嫉妬で燃え上がっており「誰かに取られる位なら、いっそ、貴方ごと……」という結論に至る。
メイメイの「そう、聞こえるでしょう?~」の部分は要するに「お前は滅茶苦茶嫉妬深いんだから早くそれを認めろ」という事だ。
こういう心を持つのがメリクルベルにとっては「美しい」のだろうか?
結局、自分の「内なる欲望の聲」=「本性」を知らされたミリリ。
もちろん、殺してしまうほど嫉妬深い心を持つのはミリリではなくカナリアなんだけど、今のミリリにはカナリアの記憶があり心があるわけで。
だから、この醜い本性を否定したくても出来ない。カナリアはもはや自分の一部であるから、本性を認めるしかない。
「沈黙。それはきっと、何よりも雄弁な回答」と勝ち誇ったようにメイメイが言い放ったところで締められる。
どうでもいいけど、この最後の台詞、一度は言ってみたいよね。
8曲目は、魔女メリクルベルと、その従者メイメイについての歌。
黎明ローレライを聴いた人にとっては覚えのあるメロディから始まる。
同アルバム3曲目の「黒雪姫」である。
歌詞や挿絵から、メリクルベル=黒雪姫という事が明らかになっていくんだけど、まずは順番に最初から歌詞を読んでいく事にする。
「ねぇ メリディエ」から始まっているのだけど、歌詞全体から察するにメリディエとはメリクルベルが魔女と呼ばれるようになる前の名前、またはメリクルベルの愛称のようなものだと考えられる。
メイメイについては「生まれながらにして、王女の友人であることを運命付けられていた貴族の娘」である事が明らかになる。
今までメイメイ本人については告解エピグラムにて「フィーナと遠い血縁を持つ女」程度の事しか明らかになっていなかっただけに、大躍進である。
メリクルベルについては「光を通さぬ漆黒の髪、感情を閉じ込めた昏い瞳、国の唯一の跡継ぎとされた」とあり、この歌詞は黎明ローレライ3曲目冒頭の「光を通さぬ漆黒の髪。感情を閉じ込めた昏い瞳。国の唯一の後継ぎとして寵愛を受けた少女」とほぼ同じであり、メリクルベル=黒雪姫だという事を示している。
そしてメイメイとメリクルベルの2人は、友人を越えた関係へと至る。
まだ2人がただの人だった頃からそうなったのか、それとも魔女と化してからそうなったのかは、何とも言えない。
「突き刺さる 違和感~」では、メリクルベルは人が年老いて醜くなっていく事に違和感を覚えながら日々を過ごしていたと。
「この身以上の 美など~」では、黎明ローレライでの黒雪姫の行動原理である「自分より綺麗な存在はあってはならない」を表しているのだけど、同時に「人が年老いて汚れていく」事を疎ましく思っている。
「心のどこか その声は~」は地味に重要な部分だ。「内に宿した神の囁き」とあるのだけど、これは神によって選ばれた事によって生まれた魔女の力を指しているように思う。
蒼白シスフェリアで語られているように、魔女は神に選ばれて人から成るものだからだ。
「憎悪【odio】~」からは、黒雪姫の「時と共に汚れていく事」=「全ての堕落」を憎む思いが、「全ての堕落を汚れさせない為に」彼女の魔女の力を覚醒させた、という事を描写しているものと考えられる。
「あの日、私の心に舞い降りたのはなんだったのか」と本人が言っているのだが、これは魔女の力が覚醒した事を「舞い降りた」と表現しているのだろう。
もちろん、神に選ばれた事を「舞い降りた」と表現している事も考えられるが、その前に「内に宿した神の囁き」という歌詞があるため、魔女の力自体は以前から存在したのだと思う。
また、「これは私の意志」とも言っており、最終的に自分の意志によって内に秘めた魔女の力を覚醒させたといえるだろう。
神に選ばれるのと自分の意志が関係ないのは、蒼白シスフェリアで語られている通りだ。
「ねぇ、貴女はどうするの?」とは、前のままの自分ではなくなってしまった事を友人であるメイメイに伝える、メリクルベルの言葉だ。
メイメイの選択はその後の歌詞で語られる。
「浸潤(しんじゅん)する 価値観~」のあたりは、メリクルベルが魔女になった事によって生じる心境の変化等を表しているのではないかと。
蒼白シスフェリアでもシスフェリアが同じ悩みを抱えていた。
でも、メイメイはメリクルベルが自分の意志でその力を望んだことを分かっていて。
「全てを撃ち棄てても~」「その幸せを 思うなら~」では、メリクルベルの願いが叶わない事を呪わしく思うようになる程に、メイメイはメリクルベルに心酔しているのが分かる。
「憤怒【ira】~」の部分も、メイメイがいかにメリクルベルが大好きかを表している。
2番の歌詞はとにかくメイメイはメリクルベル大好きって事しか書いてないぞ。
「村を焼いて~」のあたりは、いかにメリクルベルが好き放題やってきたかを表しているんだけど、メリクルベルの被害者である少女達を指していると解釈できなくもない。
「村を焼いて」→「平穏な生活を破壊して」→「ディー、ウィー、ロシェル」
「国を焼いた」→「クーデターを起こした」→「イヴリィ」
「欺瞞を塗し」→「人を騙した」→「フィーナ」
「虚偽を被せた」→「人を騙した」→「ミリリ」
こんな感じで。まあ、ちょっと無理があるか。
続く歌詞も相変わらずメリクルベル大好きなんだけど、「あなたの心の何よりも 美しいことを私は 誰より知っているのだからと」については説明がつく。
メリクルベルが「美しいものが穢れないようにする為に」力を得たのを知っているのはメイメイだけだからこそ、「心が美しい」事を「誰より知っている」のだから。
最後に、「メイメイ。魔女とともに歩むその命。人を殺めるときも、人を破滅に堕すときも。終ぞ変わらぬ誓いだけが、その胸に。」と言って綺麗にまとめようとしているんだけど、ちょっと待って欲しい。
確かにメイメイが人を破滅に堕す光景は何度も描写されていたが、人を殺めたのはいつなのか。
一応、それらしき描写は告解エピグラム6曲目に存在する。
同曲において、メイメイが何かしたのをフィーナが目撃しており、メイメイはその記憶を消そうとしていた。
そしてフィーナが奪われた記憶は、見てはならない凄惨な赤。
これは、「メイメイが殺人を犯している所を目撃したフィーナを口封じしようとしていた」と考えられるのではないだろうか。
「メリディエ、哀れな人。世界の全てに傷付いて」という言葉については、メリクルベルが「汚れていく全てのモノ達を疎ましく」思っていた事を考えれば納得だ。
それこそ普通なら時を経て劣化していかないものの方が少ないわけで、それを見て傷付くのであれば「世界の全てに傷付く」という表現も大袈裟では無いだろう。
メリクルベルは、厄介な感性を持って生まれてしまったものだ……。
9曲目は、7人の少女達とメリクルベルによって行われる、晩餐会の様子を歌ったもの。
7人目の少女である、ミリリにスポットが当てられている。
「みなどこか空ろな目をしていて」と歌詞にあるように、挿絵を見ても表情が死んでいる少女ばかりだ。
ディーとウィーに至っては軽蔑するような表情で、向かいの席に座るミリリを眺めている……。
ミリリはこんなの絶対おかしいと言わんばかりに、メリクルベルに反感をぶつける。
それは「論戦にも成り得ない拙い感情の吐露」と評される程度のもので。
「ねえ貴女 その両手がどれほどの血に塗れているのか 省みることはないの その蛮行(おこない)を」とミリリが言う。
ミリリは、この場に居る少女達がここに来た経緯は知らないはずなのだが、自分の場合(メイメイにそそのかされて人を殺してしまった)と似たような手口で来たのだと思っているのだろう。
対するメリクルベルは「この手がどれほど穢れようとも この美は欠片ほども損なわれない」と言ってのける。
8曲目でも言っていたように、メリクルベルはとにかく美しさが損なわれなければそれでいい、と行動原理が一貫している。
更にミリリは「ねえ貴女 この娘達が貴女にどれほど傷つけられたか 何も言うことはないの その陵辱(おこない)に」とも言う。
しかしメリクルベルはやはり一貫して「美しさが失われるよりはこの方が幸福である」と言うだけである。
更に「神に見出された私の正義(ことば)の前には お前の偽善(ことば)など児戯に等しいと知れ」と言うあたり、持つ者の余裕というべきか。
ミリリの言う事は偽善であると評したメリクルベル。
そもそもメリクルベルがミリリを除いた少女達に行ってきたのは、「世界像を描き変える」という行為。
要は、幸せな幻を見せ続けるという事だろう。
それは第三者から見れば虚しいだけの行為かもしれないが、本人達にとってはその方が幸せであるわけで。
悲惨な現実に心を打ち砕かれた少女達が縋った幸福、それを咎める権利がミリリにはあるのか?ということだ。
まあ、その悲惨な現実にメリクルベル&メイメイが加担しているのも事実なんだけど。少なくともフィーナに関しては明らかだ。
そんな感じでまくし立てられるミリリだが、「負けるな 己を保て~」と懸命に抗う。
メリクルベルとの応酬を続けているうちに、少女達から次々と負の感情を向けられ、ただ立ち尽くすしかない。
「朽ちた眼窩は 何も語らず 宴の一席に据え置かれた亡骸」という部分だが、確かに挿絵を見ると謎の亡骸が置かれている。
この2人の亡骸が何者かは明らかになっていないんだけど、予想するとしたらこれはディーとウィーの両親だと思う。
根拠は3曲目でメイメイが「あなたたちが、大好きな家族とずっと一緒にいられる場所へ連れていってあげる」と言っている所から。
ディーとウィーの両親はメリクルベル(またはメイメイ)によって殺されており、その亡骸の場所へ連れて行くから「ずっと一緒にいられる」と表現したのではないかと。ひどい話だが。
こんな状況に置かれたミリリは、徐々に自分が正しいのかどうかが分からなくなっていく……。
ところで、この時点ではイヴリィは幸せそうにしているんだけど、空導ノスタルジアの内容を考えると、この後イヴリィはろくな目に遭わないはずだ。
まぁイヴリィの場合はその美しさにメリクルベルが嫉妬したが為に、延々と悪夢を見せられる羽目になったわけだけど。
他の少女達が見る幻も、途中から悪夢に変わる可能性は十分にある。全てはメリクルベルの機嫌次第というわけだ。
10曲目は、メリクルベルとミリリのやりとりを歌った曲。
まず、晩餐会の象徴のように大きな写し鏡が置かれているのが描写されるんだけど、これは挿絵でいうところのメリクルベルの真後ろにあるものを指しているんだろう。
で、映っているものが問題だ。
磔にされている少女は、髪型とベルトから予想するに、恐らくカナリアだろう。
「その鏡には、7人の少女達がこの場所を訪れなかったケースの映像が映し出されて」いる。
今映っているのは、恐らくミリリの場合だろう。
ミリリのもう一つの可能性については、「カナリアの5年間の記憶がミリリに植え付けられないまま、ミリリがレジスタンスに辿り着いた可能性」だと7曲目で考察した。
その場合、最終的に嫉妬に狂ったカナリアがシグとミリリを殺してしまう事になるんだけど、「レジスタンスの中核を殺した罪人」としてカナリアが処刑される事は十分考えられる。
「壊死は進み~」あたりの歌詞は曖昧で分かりづらい。結局どういう状況なのか。
「居並ぶ 嬲る 奈落少女」は、メリクルベルがもてあそぶ不幸な少女達が並んでいる様子=晩餐会?
「glow 愚弄 苦楽殺傷」は正直ただの言葉遊びっぽいんだけど、glowには幸福感という意味もあるので、幸福感を愚弄して何かする(?)みたいな意味がありそうだ。苦楽殺傷は何なのかちょっと分からない……。
「最高の偽幸者になりたい~」のあたりは、幻を見せられている少女達の言葉か。
その幻も、幸せかと思ったらただの悪夢だった、といった感じの呪詛を吐いている?
そんな光景を見てミリリは「みんな錯覚だったんだ!」と騒ぐ。
悪夢を見せられている少女達が今、どんな様子なのかは挿絵で確認する事はできないが、ミリリが見て分かるくらい酷いものなんだろう。
晩餐会と書いてある事から、時系列的には9曲目の直後だと思うんだけど、随分とネタばらしが早いな、メリクルベル。
「薬効のない 不具合~」のあたり、本気で分からない。
何となく「もう手遅れだ、今更遅い、楽になりたい」みたいな雰囲気は伝わってくるんだけど、何とも言えない……。
「網膜は 確かに映した~」のあたりは、メリクルベルが少女達に行った「世界像を描き変える」という術(?)に嵌まっていく少女達の心情か。
そんな様子を見たミリリは悲痛な叫びを上げる。
「もっと尊くて……どこまでも純粋なっ……」って、何を指しているのだろうか。
それはメリクルベル曰く「一過性のもので、すぐに儚く終わってしまう」ようなものだから、少女達に起こった悲劇に対する「慰め」とかになるか。
それは根本的な解決にはならないし、一過性のものだと言えるだろう。
そしてメリクルベルは改めて、リンゴを食べるかどうか(=世界像を描き変えられたいのか?)を問う。
「入っているのが毒かは知らない」というのは、3曲目でメイメイも「これは甘い毒」と表現しているように、永遠の幸福を与えるものだからだろう。
毒かどうかは、「永遠の幸福」を幸せに感じるかどうか、人によって異なるという事か。
「最高の 偽幸者に為りたい~」のくだりは1番でもあったものだが、最後が「光は奪われた」となっており、ミリリ視点での表現になっている。
「たった一人の観客」は、メリクルベルか、或いはメタ的視点で「この曲を聴いている人」を指しているように思う。
ついに屈したミリリに、メリクルベルが優しく語りかける。
「何も劣化なんてさせはしない」とは、8曲目で言っていたように劣化を嫌うメリクルベルならではの台詞だ。
「生きて、いたいのなら……」は、黎明ローレライ3曲目の黒雪姫と全く同じ台詞だ。
ここにきて同一人物アピール、というかファンサービス、とも言うか、まあメリクルベルの口癖なんだろう。
こうして、ミリリもメリクルベルによって「世界像を描き変えられて」しまったのであった。
「魔女と七人の美しい少女は、森の奥深くでいつまでも幸せに暮らしましたとさ……。多分、ね。」で締められる。
少女達のうち、イヴリィについてはここから空導ノスタルジアにて悪夢を見続ける事になるのが確定している。
他の少女も、メリクルベル次第で同じような事になる可能性が無きにしも非ずだ。
「七人」にはメイメイも含まれているはずなんだけど、メイメイはどうなるのだろうか?
仮にも人間だった頃から惹かれ合っていた仲だ。
今後もメリクルベルの右腕として活躍し続けるのか、それともメイメイすら少女達を集めるために利用された手駒に過ぎないのか。
この時点では謎に包まれたままだ。
メジャーデビュー後の6thアルバム。
狂聲メリディエ1曲目にて名前だけ登場した第四の魔女・リフリディアの物語である。
公式サイトに公開された試聴曲の時点で凄まじい破壊力を誇っていたが、蓋を開けてみればこれが期待を裏切らない玲瓏なアルバムだった。
1曲目はいつもの語りから疾走は正義と言わんばかりに盛り上がる。
2曲目は語りメインのバラードであり、ツインボーカルのハモリが大変美しい。
そしてリフリディア誕生の真相が明かされる3曲目で再び疾走、しかも1曲目よりも力強さがある。
どの曲も文句の付けようがない出来となっている。
曲がキャッチーで話も分かりやすいため、少女病というか物語楽曲入門に最適な作品と言える。
初めての人はいきなり第四の魔女?と思うかも知れないが、別にこのアルバムから入っても話の理解にほぼ支障は無く、強いて言うなら「魔女は神に選ばれて人から成りし存在である」という事だけ覚えておけば十分だ。
迷ったらまずは公式の試聴曲を聴いてみよう!
1曲目は、リフリディアが魔女になった後の話であり、魔女となった彼女の性質について歌った曲。
時系列的にはアルバム中の曲の中で最後にあたる。
彼女は底なしの悪意で世界を呪っているわけだけど、その理由に関しては2曲目、3曲目で語られる。
さて、まずこの曲で気になる所といえば歌詞カードに載っていない0:58~の声と黒で塗り潰されている歌詞の部分だろう。
聞き取ってみたところこんな感じなった。
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リフル「双子だから呪われているだなんて、そんなのおかしいよ」
リディア「神様はいるのです」
リフル「誰も助けてなんて……」
リディア「いつまでも、ずっと一緒よ」
リディア「結局役立たずじゃない!」
リディア「リフルーーー!!」
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黒で塗り潰されている部分はこんな感じ。
(「焼けろ世界を」のあたりは自信なし。でもこういう風に聞こえる……)
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叫べ 燃やすはその異形の魂
その身のみが ただ麗しい
叩きつけるは 目覚めの言葉
焼けろ世界を
彷徨 彷徨い来たれ
横行 許せはせぬ邪悪よ
暁光 空より光差すよう
さあ 天よ巡れ巡れよ!
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台詞部分には、2曲目や3曲目で使われている台詞もあればここでしか使われていないものもある。
直前に「孤独な少女は回想する」という歌詞があることから、この部分はリディアの回想なのだろう。
「結局役立たずじゃない!」は誰に向かって言ったものなのか。2曲目と3曲目の内容から予想するに「神」に言っているのか?
塗り潰されている歌詞の部分は、3曲目でリフリディアを選んだ「神」がリフリディアに向かって言っている言葉だと思う。
リフリディアは黒紫の影を纏っているので「叫べ 燃やすはその異形の魂」という歌詞と合っている。
「異形の魂」というのが魔女(=異形?)と化した自分自身の事を指しているのかもしれないし、リフリディアが纏う無数の魂を指しているのかもしれない。
後は黒く塗り潰されている所以降の歌詞を順番に考察していこう。
「響き渡る~」の部分だが、欷歔(ききょ)とは「すすり泣く・むせび泣く」といった意味。
続く「身に纏う~」の部分も合わせて考えると、3曲目の終盤でリフルの前でむせび泣くリディアが神に選ばれた時の様子を表していると言えるだろう。
「何を愛し~」のあたりは3曲目まで聴いていれば答えは明白で、
何を愛し→リフル
何を呪う→世界
何を許し→リフル
何を憎む→世界
で、その後「全てその内に」と続く。
リフルがリディアの内に(精神的な意味で)ある事はもちろんのこと、3曲目で「私こそが世界だったなら」と言っている事から、リディアは世界をも内に取り込もうとしているのだと考えられる。
ただ、3曲目でリフルを(物理的に)失った以上、リディアの心が満たされる事はないので「未だ不完全な魔女(riflydia)」となっている。
「その声は空虚なほどに~」の部分だが、「無貌無尽――”己”は誰かいつか喪う定めでも」が非常に気になる。
「無貌」は造語っぽいけど「貌」が容姿である事から異形の存在?で、無尽は不尽が変化したものと考えると「尽きる事がない=不死身」で、要するに魔女である事を表している?
そして問題はその次の歌詞。魔女になったものはいつか己を喪う(=正気を失う?別人のようになる?)という魔女関係の設定がここで明らかになった。
現に、魔女となったシスフェリアは魔女になった事で自身の心境の変化を感じているわけで、何らかの変化はあるのだ。
もっともそれがいずれ「己を喪う」と表現するのような事態になるとは、今までの曲にはなかった設定である。
「その無数の命もて その無限の命もて 天の巡るまで」の部分は、不死身の魔女がその他無数の命を弄ぶ、ただし天の巡るまで(=世界が終わるまで=セクサリスが夢を見終えるまで)……といういつもの魔女の様子を表している。
その後「許しを乞い続ける声~」以降は、リフリディアが纏う黒紫の影に飲まれた(?)人々の声か。
黒紫の影に飲まれた人々は一体どんな悪い事をやらかしたのか。
「許しを乞い続ける声」「犯した罪を嘆く声」という歌詞ある事から、リフリディアはシスフェリアのように何らかの悪い事をした人を襲っていたのかもしれない。
かと思えば「その運命に涙する声」という歌詞もある。リフリディアは世界を呪う存在なので、周囲の人間を無差別に襲って自分の一部にしていると考えてもおかしくはない。
罪を犯した者もそれ以外の人も等しく襲っていると考えるべきか。
で、リフリディアに襲われた者は「終わらぬ生獄呪う声 この影の中で私の一部となって生きよと」とある事から黒紫の影に取り込まれてしまうようだ。
飲み込まれた人々からしたら、とんだとばっちりである。
この人々の命を「黒紫の影」に取り込む行為は「全て愛しき片割(リフル)の為にと」とリフリディアは言っているが……。
「愛する者を求めて代償として他の命を得る」という発想に至るのは葬月エクレシアの青年と似たものを感じる。特にあの話とは関係ないと思うけど。
その次の「愚直なまでに~」は、リフリディアがただ片割(リフル)の事を思って人の命を取り込んでいくけれど、2人一緒にいる世界(=理想郷)が完成する事はない、といった感じだろう。
その後の「無暁無屈――”己”は誰かいつか喪う覚悟でも」だが、「無暁無屈」という言葉は存在しないものの「不撓不屈」なら存在する。意味は「強い意志をもってどんな苦労や困難にもくじけないさま」のようだ。
片割を取り戻すためならどんな困難にも挫けないというリフリディアの覚悟を識る事が出来る。
そして最後の語りで、後に第四の魔女”リディア”と伝わる事になるリフリディア。
これ、今はリフルと2人で1つであるという意味合いでリフリディアと名乗ってはいるものの、リフルが帰って来る事はなくていつしか「リディア」と名を変える事になるんだろうなぁ。
その様子が描写される日は果たして来るのだろうか。
2曲目は、リフリディア誕生までの過去話。
だいぶ分かりやすい話なので考察するポイントはほぼないだろう。まとめるとこんな感じだ。
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小さな村で良い人だと評判の夫婦がなかなか子供を授かれなかった。
で、遂に双子として生を受ける姉のリディアと妹のリフル。
しかし、双子が禁忌の子・呪いの子と見なされている村で、2人が村人に受け入れられる事はなく。
2人は村人達から異物だの怪物だの云われも無い非難を受けながら、それでもお互い支えながら生きていく。
ある日妹のリフルは、いつかこの村を出て行くので一緒に来ないかと姉に提案する。
姉のリディアはそれにはっきり答える事なく、ただずっと一緒にいようと約束をした。
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この曲で気になったポイントが2つある。
・リフルは神を信じていなかった?
これは、台詞のところでリディアがリフルに神の存在を説いていた所から察する事ができるが、更に「全てが平等 されど敬虔さだけが不揃い。――神との距離」という歌詞からも推測できる。
双子だから全てが平等だけど、敬虔さ(神仏を深くうやまい仕えるということ)だけが異なる、ということを表しているのだ。
そしてリディアとリフルのいる村の人々は「神を深く信仰」しているので、リフルが嫌われるのは必然。
それを少しでもマシにしようと、リディアは神の存在を信じるよう説いていたのだろう。
・リディアは村人達に嫌われていない?
これは「そうすれば、あなたも皆に嫌われずに、寂しい思いをせずにすむの」という台詞から。
「あなたも」という事は、少なくともリディアは村人達には嫌われていないという事になる。
でも、後半の歌詞で「あらゆる権利を持てず けれどきっと二人にも 夢を抱く権利くらいは与えられて」とも書かれていて、リディアとリフルにあらゆる権利は無かった(=村人達から嫌われていた)ようにも思える。
まあ、リディア自身が村人達から嫌われていなかったとしても、リディアが大好きなリフルが嫌われているんだったら、それを自分の事のように感じ「あらゆる権利はなかった」と言うのも無理はないか……?
3曲目は、時系列的には2曲目の続きで魔女となる瞬間を歌った物語。
「許されない命がある~」の、許されない命とはリフル(と、リディアも含むかも?)の事だ。
「天の巡り」はこの場合「運命」を指すのだろう。
村人に嫌われ、二人だけの世界を築いていたわけだけど……リフルが病に倒れる。
「村で孤立していた彼女に手を差し伸べる者は―――」と言うけれど、両親はどうしたんだ?
2曲目より、まるで味方がリディアしかいないかのような表現をしていたこの物語、両親は一体何をしているのかと気になって仕方が無い。
その直後の歌詞でも「味方など何処にも居ない」とか言ってるし。
医者すら相手にしてくれないリフルの前で、リディアは神に祈るしかない。
リディアは「この子の命に庇護があるように」「あの子の分までさえ私がどうか背負いますから」と神に祈るんだけど、これは歪な形で後者が叶うことになる。
で、毎日健気に神に祈っているんだけど、いっこうにリフルが良くならない事から「次第に募る 疑念が薄黒く」と歌詞にあるように神に疑念を抱くようになるリディア。
その後に続く歌詞も「世界が害さぬよう護ってあげたい」と神頼みではなく自分の意志でリフルを護るよう思考が変化している。
しかしリディアの努力も虚しく、リフルは病で命を落とす。
その後は「私こそが世界だったなら」だったり神に向かって「こんな世界は決して認めない」と、世界や神に対して否定的な発言をし始める。
「人よ聞け 無窮の誓い~」の部分に至っては、もう天(=神?世界?)に言うのをやめている。
ちなみに「無窮」とは「永遠」という意味なので、無窮の誓いとは永遠の誓いという事になる。
リディアは自ら命を絶ち永遠にリフルの傍に居ようとする。
この時リディアがどうやって自殺を図ろうとしたのかは謎。挿絵を見てもよく分からない。
とにかくリディアが命を手放す瞬間、一度は否定した神から魔女として選ばれてしまう。
魔女とは不死の存在なので、リディアはついにリフルのいる場所へ行く事ができなくなってしまったのだった。
3曲目まで聴いたうえで改めて1曲目を聴くと何とも言えない気分になる。
「共に産まれ されど倦まれ(飽きられる、みたいな意味) 戯れに選ばれたのは 下らぬ神の悪戯で終わらせない」のあたりとかリフリディアとなったリディアの決意が伝わってくる。
この時点では、リフルのために多くの命を捧げていけばリフルが帰って来ると思い込んでおり、リフル以外の事なら見境もなさそうだしでリフリディアは全魔女中一番やばいんじゃないか?と思ってしまうな……。
そりゃ狂聲メリディエの五魔女会談でメリクルベルに「ようこそ」とか歓迎されるわけだ。人を捨て切れていないシスフェリアとは違うのだよ。
また、天巡メルクマールは今までありそうになかった「神が人を選び魔女にした瞬間」を描写した話だったりする。
神様ったら「お前こそ そう、相応しい」とか言っちゃって。お前、思考回路がメリクルベルと大差無いぞ。
同人13thアルバムにしてセクサリス・サーガのラストアルバム。
第五の魔女が登場し、五人の魔女の物語はフィナーレへ。
一作目である偽典セクサリスと唯一同じセクサリスを冠するアルバムである。
CFのページに「過去最大規模のスケールでお届けしたい」と書いてあった通り、終わりに相応しい素晴らしい出来で……有終の美を飾るという言葉はたぶんこのアルバムの為にあるのだろう、と思った。
このアルバムは、楽曲が素晴らしいのは勿論だが、その内容がとにかく今までの物語(セクサリス・サーガ)物語を閉じるということに重点を置いている。
早い話がこれまでのCDのすべてを追ってきた人向けの、ファンサービスの塊だ。
なので、このアルバムだけを聴く事はおすすめできない……とはいえ今から全てのアルバムを追うのは難しい。
そこですべてとまでは言わなくとも、とりあえず聴いておいた方がいいアルバムを列挙しておく。
・偽典セクサリス
・蒼白シスフェリア
・慟哭ルクセイン
・残響レギオン
・聖骸メロフォビア
・創傷クロスライン
・狂聲メリディエ
・天巡メルクマール
こんなところだろう。……それでも多いなあ。
1曲目のexistenceは、これで掴みはOKとばかりの実に少女病らしい疾走曲。試聴もある。御高説ならいらない、とにかくこれを聴け!という力強いメッセージが伝わってくるかのようだ。
2曲目の不可逆性クロックワイズは、蒼白の魔女シスフェリアのキャラソン。ここからしばらくキャラソンが続く。魔女の中で最も人間らしい彼女の葛藤と決意が、彼女らしい優しげな旋律によって描かれる。サビがとても頭に残る。
3曲目の有形悲劇を与えたまえは、深紅の魔女アイリーンのキャラソン。"暴虐の魔女"の名に恥じぬ、魔女としての生を満喫している彼女のぶれない様子が描かれる。出身アルバムである残響レギオンの「深紅のエヴェイユ」メロディが使われていたりする。
4曲目のsacred answerは、真白の魔女メリクルベルのキャラソン。彼女の行動原理、そして出身アルバムである狂聲メリディエに登場した七人の乙女達、あるいは更に多くの人々から称賛される様子が描かれる。こちらも「最終楽章:魔女と七人の美しい少女」のメロディが使われていたりする。
5曲目の因果律を灼け少女は、紫翠の魔女リフリディアのキャラソン。タイトルから抱く印象とはまるで乖離した曲調で始まり、彼女の欲望、嘆き、哀しみ、そして諦めに至るまでが描かれる。天巡メルクマールの「黒紫のオーンブレ」のメロディが使われている部分は鳥肌ものだ。
6曲目の筋書き通りの運命劇詩は、慟哭ルクセインで登場し様々な曲に顔を出してきた少年ルクセインのキャラソン。開始0秒でガッツポーズするレベルの、このアルバムの中でも随一の疾走曲で描かれるのは、道を違えてしまった少女を救ってみせると少年が決心する様子。やたらと格好いいのだが、その実……?
7曲目のラストピースは、聖骸メロフォビアから登場する聖女アナスタシアが長い旅を終え一つの到達点に至るまでの曲。荘厳なメロディと共に始まり、物語の展開と共に一気に盛り上がる構成は「偽装聖女に因る潜在的幻想」に近いものを感じる。
8曲目の魔女と神の輪廻は、ついに揃った五魔女による大プレゼン会場の様子が描かれる。これまでの魔女達のキャラソンの内容をまとめつつ、第五の魔女の願いが告げられる。
9曲目のto youは、偽典セクサリスで提示されたセクサリス・サーガ世界の根底に関わるような設定が明かされる。サビのメロディと、ツインボーカルによる歌唱がとても美しい名曲。
10曲目はネタバレ。聞いてのお楽しみ。
11曲目のgenesisについては、もはや多くを語る必要はない。少女病が好きな人ほど強めに殴られて死ぬ、そんな曲。
物語が終わるのはいつだって寂しい。
それでも、長い沈黙を破ってこのアルバムを出し、ひとつの物語をきちんと終わらせた少女病に感謝を捧げたい。
まず最初に。
天巡メルクマールの考察を書いた時点で5年以上が経過していることと、真典セクサリスで明かされた情報に世界設定の根幹部分を揺るがすものがあることから、いままでの考察と矛盾した部分が書かれている可能性が高い事を断っておく。
1曲目のexistenceについて。
まず最初に日本語ではない歌唱部分があるが、言語にはさっぱり明るくないので、これが既存の言語なのか、造語なのか、天使語なのかは分からない。ので一旦無視しておく。
次にセクサリスの台詞が入る。セクサリスは謂わばメタ的な側面を持つキャラクターなので、曲を聴いている「我々」に語りかけてきてもおかしくはなく、ここの台詞はまさにそれだ。我々をワクワクさせるのが上手い。
原罪~のあたりは、少女病お得意の意味ありげな単語を並べた言葉遊びパート。charadeという単語について調べてみたところ、フランス語で「謎言葉」「言葉当て遊び」といった意味があるようなので、多分そう捉えていいはずだ。「品種改良」という言葉は、少女病がチュウニズムに提供した楽曲の「Philosopher」にも出てくるのだが、好きなのだろうか。セクサリス・サーガとの関連性はちょっと分からなかったので、とりあえず考えない事にしておく。
流れた涙~のあたりは、アナスタシアの心境が書かれている。聖骸メロフォビアで未遂に終わった国乗っ取りのような事を他にも繰り返してきたのか、創傷クロスラインで結成した対魔女戦線を通して多くの争いを経験してきたのか。とにかく、各地で自分の信念を成し遂げる為に手を汚してきたのだろうという事が分かる。その過程の物語も気になるが、患者達の想像にお任せするということか。
世界記憶と書いてアカシックレコードと読むところ。好きだ……。世界記憶というのは、偽典セクサリスの内容を考えれば、滅びた星々が人の形を持った存在・セクサリスを指しているのだと分かる。終盤の曲で判明することだが、セクサリスは「面白い」(恐らく愉悦的な意味で)物語を続ける為の「神と魔女の理」によって心が擦り切れ、絶望している。「巣食う病理」というのはその事を指しているのではないかと思う。
existenceにはMVが存在するのだが(Mitsukiさんが作ったそうな)、それを見るに
"歯向かって"=シスフェリア
"抱き寄せて"=リディア
"切り裂いて"=アイリーン
"口づけて"=メリクルベル
が対応しているようだ。人を捨てきれず、魔女達の蛮行に"歯向かう"シスフェリア、愛しい妹リフルを求め"抱き寄せ"るリディア、自らの楽しみの為に人々を"切り裂く"アイリーン、美しい少女達を劣化しないよう保護し"口づけ"るメリクルベル、と考えるとだいたいイメージ通りに思えてくる。
望んで焦がれた~のあたりは、なんだか妙に変わった表現だ。失望の浪費だなんて初めて見る言い回しだが、要するに「転んでもただでは起きない」という事なんじゃないかと。
その後は(省略された)アナスタシアが辿ってきた道の話が続く。やっぱりこの辺の話でCD一枚欲しかったなと思わなくもない。
そしてそんな様子を、滅びた星々の記憶として見届けてきたセクサリスの台詞が入る。「汚れてから初めて~」のあたりは、聖骸メロフォビアの「偽装聖女に因る潜在的幻想」でカタリナを見たアナスタシアが「私はどこまでも穢れて」と言ったところに対応していそうだ。
「パレード」という言葉を使っているのは、飛躍した推測になるが残響レギオン初回特典盤についてくる「セクサリスの見た風景」でルーク・ミリア・フランチェスカ・ルクセインの四人がアイリーンの居る塔を進む様子を見たセクサリスが「無様な道化が群れをなすよ。みんな、笑うフリだけでもしてあげて。ふふっ」と言って道化に喩えているところから、アナスタシアが仲間を失って一人になった事を「パレードは終わり」と表現しているのではないか?と。
その後の歌詞でも、アナスタシアが辿ってきた道が綴られている。
"受け入れろ"、"吐いてでも"、"倒れるな"、"叶うまで"は、先程は各魔女に対応していたのに対し、すべてアナスタシアが自身を鼓舞するための言葉のように思える。
最後には連続ボイスパートがある。このアルバムには偽典セクサリスの「星謡の詩人」要素が色々あるが、恐らくここはその一つ。星謡の詩人でも、最後に連続ボイスパートが存在するのだ。
まずシスフェリアの台詞。十字架といえば死の象徴、そして黎明ローレライのジャケットイラストに沢山あるものだが、何より少女病のロゴにも十字架は含まれている。つまり、今までの楽曲すべてを指しているのだと思う。物語がたくさんあったなあと振り返るシスフェリア。
次にアイリーンの台詞。これは恐らく、真典セクサリスというCDがラストアルバムであることについて言っているのか?
次のメリクルベルの台詞はもっとよく分からない。一体何の事を言っているんだ。genesisについてか……?
続くリディアの台詞は、神の声を聞く曲(to you)や生まれ変わったばかりの世界の曲(genesis)があったりするので、それを指しているのかもしれない。
アナスタシアの台詞は比較的分かりやすい。なにしろ「最期の扉のその先にあるもの」=創世を、彼女は見事示してみせたのだから。
そして、締めのセクサリスの台詞。これはまあ、聞いたままだろう。
2曲目の不可逆性クロックワイズについて。
早速ボイスパートで「神からの招集」なるものがあるらしい事が判明する。
この「神からの招集」とやらが、狂聲メリディエの「不完全犯罪依存症」に出てきた「五魔女会談」と同一かどうかが気になるところだが、ブックレットの「不完全犯罪依存症」のイラストを見る限りシスフェリアの言う「魔女の庭」ではなさそうに見える。何しろ、真典セクサリスのブックレットで魔女達が集まっている光景とまったく異なるからだ。
だが、「不完全犯罪依存症」には「セカイの行く末が決定づけられる」「新たな魔女を歓迎する」といった旨の歌詞があり、前者は8曲目の魔女と神の輪廻で行われる「神の選定」だし、後者は第五の魔女が誕生する事を指しているとも言える。
つまり、五魔女会談が定期的に行われていて「不完全犯罪依存症」の時はリディアがたまたま遅刻してきているのか、それとも魔女の会合は真典セクサリスでただの一度しか行われていないのかは、定かでは無いということになる。
この曲終盤の台詞で「五魔女会談」という言葉が使われているあたり、「神からの招集」によって行われる事もまた「五魔女会談」と呼ばれているのは間違いなさそうではあるが。
シスフェリアの台詞は続き、人を捨てきれない事は自分の弱さである、と定義しているのだが、この台詞は後の展開に繋がってくる。
自身が魔女になった理由について【呪われた遺骸】が関係している、と言及しているのが興味深い。蒼白シスフェリアの「瓦礫の終音」によると、
・シスフェリアがどうして選ばれたのかは不明
・魔女とは、異なる神に見出され人から成るもの
とされている。このあとの有形悲劇を与えたまえやsacred answerでも、各魔女は何らかの形で【骸】と関わったことが示唆されている(ただしリディアは例外)。
【呪われた遺骸】から発せられる聲は、シスフェリアの存在を取り込もうとするものらしい。これは「瓦礫の終音」でも「選ばれたのが必然であるような錯覚に酔う」「消えゆく感情」などの表現で同じような事が語られている。そういう設定は蒼白シスフェリアの頃からあったのだろう。
【骸】については他の曲でも表現を変えて少しずつ触れられているので、ここでは一旦置いておく。
その後の歌詞では、シスフェリアが自身の望みについて語っている。
「瓦礫の終音」で語られているように、シスフェリアはかつて少年に小さな恋をしていた。その穏やかだった日々に、つまり魔女になる前の世界に戻りたい、巻き戻したいというのが、彼女の望みである。
それは魔女といえども、「神の選定」で神に選ばれなければ実現できないこと。だから神となろう、ということだ。
そう心に決めて、「魔女の庭」への最期の扉を開けようとしたとき。
此処にきて~からの歌詞で、蒼白シスフェリア全曲に登場する「シスフェリアが恋をしていた少年」が彼女の目の前に現れ、口づけをした事が語られている。
蒼白シスフェリアの「Celestial Blue」で少年は「今度は自分から再会の口づけをする」と心に誓っていたが、彼はそれをこの曲で果たしたのだ。
シスフェリアは「絶対的永続的」と言っている通り、自身が「Celestial Blue」で少年にかけた魔法(シスフェリアとの思い出を消す。少年は幸せに生きる)は絶対だと思っていたようだが、同曲で言われているようにその魔法は相反し無効化されていた事に気付かなかった。
シスフェリアとしては魔女となった自分とはもう会って欲しくなかったので、ここで「人を捨てきれない」という弱さをついに振り払ってしまう。
それは人を捨てるということであり、つまり「少年をこの手で殺すこと」となる。あーあ。
そんなことがあって、だからこそ、シスフェリアは世界を巻き戻すことを強く望むのだ。
後は、何度繰り返してでも今、つまり自分が魔女になることのない、そして少年を殺してしまう事の無い未来を探し当ててみせるという覚悟が綴られて、この曲は終わる。
ここだけ聞くともうループものの主人公であり、少女病じゃなかったらシスフェリアはかなり主人公の器だったと言えるだろう。
3曲目の有形悲劇を与えたまえについて。
開始早々にアイリーンのボイスパートで早速、2曲目でも触れた【骸】についての言及がある。
アイリーンが一瞬で魅入られたという【魔女の残骸】の正体。シスフェリアのそれはよく分からないが、アイリーンについてはいくつかの材料から正体についてこじつける事ができる。
偽典セクサリス3曲目「蒼を受け継ぎし者」、unleash3曲目「紅蓮に穢れしモノ」に登場した、ライザだ。
・「蒼を受け継ぎし者」でライザは血の犠牲を伴う禁断の儀式に手を染め、多くの人々を殺すという「暴虐」を働く。アイリーンの行動原理は、ライザの影響を受けている可能性がある。
・「遠い遠い昔」に【魔女の残骸】に出会ったとの事だが、偽典セクサリスはまさに「遠い遠い昔」のアルバムである。
・この曲の歌詞にわざわざ「紅蓮」という単語が使われている。
・アイリーンが出てくる残響レギオンのいくつかの曲(深紅のエヴェイユ、十三月の不確定なドール、黒衣の放浪者、recollection、Legion)の歌詞に、「漢字【単語】」のような表記が登場するが、「紅蓮に穢れしモノ」の歌詞にも同様の表記が登場する。もっとも、この表記自体は「偽りなき聲」など他の曲にも平然と存在する。
・「紅蓮に穢れしモノ」でライザは、セクサリスから「本当に死ねたのかなぁ」と言われている。【魔女の残骸】として世界に残り続けているからではないか。
・ライザは男だが、「魔女」という言葉に性別は関係ない。
以上を踏まえて【魔女の残骸】=ライザであると考えているが、さほど重要な事ではないし、そういう考えもできる、ということで。
いきなり長くなったが、次のボイスパートを読んでいくと、アイリーンはまるでこの世界(少女病の世界)について正しく理解しているかのような台詞がある。
それは「このセカイは最初から狂っている」というものだ。おそらくアイリーンは、自身の居る世界が「遥か遠い昔に滅びた星々」であり、かつ9曲目のto youで分かる事だが「読み手が面白い御伽噺を求め、代わる代わる綴られ続ける絶望の物語」であることを知っている。
この曲の歌詞に「滅びを繰り返そう」「刹那の夜を繰り返せ」など、ループしている事を示唆するような言葉が使われている事からも、アイリーンは世界について正しく理解していると推測できる。
知っているからこそ、暴虐の魔女としてどこまでも自由に、或いは【魔女の残骸】に魅入られた事で本来の自分を塗りつぶされ、衝動のままに振る舞っているのかもしれない。
ボイスパートが終わり、歌に入ってからはだいたい残響レギオンでやってきた所業について語っている。
人々が神を呪い魔女を崇める事について無様と言っているが、これは9曲目のto youで明かされる「神とは魔女の中から選ばれて成るもの」という真実を知っているが故に、人々が滑稽に思えるためだろう。
魔女は基本的に恐れられるものなので、ここで言う魔女を崇める人々というのはアイリーンが作った信者だと思われる。小説版天巡メルクマールで、アイリーンがそういった事をしている描写がある。
その後の歌詞で、アイリーンはシスフェリアがそうしたのと同じように、自らの望みを語る。
何かに突き動かされるかのように(恐らく【魔女の残骸】によって)混沌を求めるアイリーン内面がこの曲で明らかになったからこそ、余計に狂聲メリディエで喧嘩の仲裁をするところが面白く感じられるようになったなあと思う。
4曲目のsacred answerについて。
最初のボイスパートでメイメイを愛称で呼ぶが、残念ながら以降にメイメイは出てこない。
ここの台詞はきっとメリクルベルが「神からの招集」を受けるより前に、メイメイと話した場面のもの、といったところだろう。
メリクルベルは「不変」を望む。自分こそが「最も美しい存在」であり、それでも「他の美しい存在」を好んでいる。
この辺りの話は、狂聲メリディエ8曲目「偽りなき聲」の歌詞を読むと結構あからさまに書かれていたりする。
狂聲メリディエで彼女は森の中に作り出した自らの領域である真白国で、七人の乙女達に幸せな夢を見せる事で永遠のものとしたが、魔女の身とて手の届く範囲には限界があるようで。
歯車、すなわち時間が経過していく外の世界のことを疎ましいと思っているのだ。
その後の歌詞ではだいたい狂聲メリディエでやってきた事やメリクルベル自身の思想について語っている。
気になるのは、「何かを問う 胸の奥に宿る意思」「そっと優しく握り潰すように」のあたりだ。
これは恐らくだが、この後に出てくる【骸】について言及しているものなのではないかと思われる。
【骸】によって魔女になった者は【骸】の影響を受ける事になるが、狂聲メリディエ8曲目「偽りなき聲」では、それについて「内に宿した神の囁き」「神の声」と表現されている。更に同曲で、「もう、前のままの自分ではないかもしれない」とも。その後、「それは私の意志」と続くわけだが。
この曲でも「偽りなき聲」のその部分を反復しているのだと思う。「何かを問う」のが「前のままの自分ではないかも」という疑問。しかし、それはあくまで「私の意志」だ、と疑問を「そっと優しく握り潰し」ているのだ。
このことは、次に挟まれるボイスパートでもメリクルベル自身が語っている。
「【骸】は美を希求する」「その聲こそは、私の聲」と。
3曲目ではアイリーンが影響を受けたと思われる【骸】について考えたが、メリクルベルについては【骸】の正体は明らかだ。
【この国で一番美しいのは、だあれ――?】という特徴的な台詞から考えられるのはもちろん一つだけ。黎明ローレライ3曲目「黒雪姫」に登場する、黒雪姫の【骸】だろう。
黒雪姫は曲中で今のメリクルベルと同じ思想を持っていたが、凄惨な事故を装われて森で殺されている。
それから新しく生まれたメリクルベル(=白雪姫)は家族で森へ散策に出かけ、黒雪姫の墓標の近くに来た時、何らかの形で【骸】に触れ、魔女となったのだ。
ボイスパートが終わった後の歌詞で、≪魔女よ!魔女よ!≫という喝采の聲は、狂聲メリディエの七人の乙女達によるものか。
あるいは、同じような少女達か、アイリーンが作るような信者達が他にもいるかもしれないが。
その後に「全てを肯ずる」という、あまり聞かない言い回しがある。「肯(がえん)ずる」という言葉は、受け入れる、引き受ける等の意味を持つが、同時に「本来は承諾しないが」という意味も持っている。
恐らくこれは、8曲目の魔女と神の輪廻で行われる「神の選定」で選ばれた時に、(対立相手である)魔女達にも幸せな夢を見せてあげる、という事なのではないかと思う。
本来であれば対立相手に良い思いをさせる義理はないが、「全てを肯ずる」のであれば対立相手も含まれるだろう……と。やや深読み感はあるが。もしかしたら単に語呂で選んだのかも。
それに9曲目のto youによると「選ばれし者は選ばれざる魔女を喰らい」とあるので、メリクルベルが選ばれたら他の魔女は結局みんな死ぬ事になるのだが。それでも死ぬ前に優しい夢は見せてあげるのかもしれない。
後はこれまでの魔女と同様、自らの望みを語る。
アイリーンとメリクルベルは、シスフェリアとこの後のリディアとは違い、揺れることなく強い意志を持って望みを実現しようとしているように思える。恐らくこの二人はもう自身を魔女にした【骸】によって、(シスフェリアが言うところの)「存在を取り込まれ」ているのだろう。
5曲目の因果律を灼け少女について。
かけ離れても再び巡り合うまで、という歌詞で開幕から天巡メルクマール感を出してくる。
タイトルから受ける印象と曲調が合ってないなと思うのも束の間、ボイスパート直前あたりから少女病らしい不穏を醸し出してくる。
その次のリディアの台詞は、後半の歌詞で明らかになるが彼女が「死別した妹・リフルの紛い物に出会い続けるループを繰り返している」事を示唆している。
それにしても少女病は天巡メルクマールから引き続き、茅野愛衣に絶叫させるのが好きなのだろうか?
それはさておき。ボイスパート後の歌詞では、天巡メルクマール3曲目で神に「相応しい」と選ばれてからの日々が語られている。
「形のない肢体」というのは、彼女が無数の影を操り、全てを呑み込む力を持つところから来ているものと思われる。
魔女になってからのリディアについては、小説版天巡メルクマールを読むと分かるようになっている。ここでは、小説版天巡メルクマールがパラレルワールドなどではなく少女病世界として地続きになっている事を前提に考えていく事にする。
魔女になってからのリディアは、妹と再び出会う事を求めて過ごしている。
小説版天巡メルクマールでは、リディアは「魔の村」と呼ばれる村で過ごしていて、エシュヴァルクという村から「魔の村」の真実を確かめるべくやってきた少女ジーナと出逢い、なんやかんやあって最終的にジーナをリフルと認定してひとつになるまでの話が描かれている。
小説の中では満足げにしていたが、その実リフル認定したはずの存在がリフルではない紛い物である、と心のどこかで思ってしまって苦しんでいる……というのが、この曲の歌詞から分かる。
「何度迎えただろう」と言っている通り、小説版天巡メルクマールでの出来事は恐らく初めてではない。これまでも何人もの「リフル」と出逢い、自らの影に取り込んできたのだ。
それでも次こそはと思いながら「リフル」を見出した存在を取り込むという、新たな不幸(ループ)を繰り返している。
天巡メルクマール3曲目で神に選ばれ魔女となり、無限の命を得たリディアだが、それまでただの少女だった彼女にとっては余りに永く。
死んだ妹と永久に傍に居たいという、死ななければ叶うことのない願いを抱きながら魔女に選ばれ、不死となり。
リディアを選んだ神が刻んだ定めは「妹との再会という叶わない願いを抱きながら生き続ける」に他ならない。
天巡メルクマール1曲目で、リフリディアではなく「第四の魔女"リディア"」と伝えられているのはそういうこと(=本物のリフルとひとつになり、"リフリディア"となる事は決して叶わない)だったわけだ。何て悪趣味な。
そうして不幸(ループ)を繰り返しながら、失いたくない、諦めたくないと思っていたリディアだが、いつしか考えるのをやめた。
ボイスパートでは、リディアの何もかもどうでもよくなってしまった様子が迫真の演技で描かれており、なんとも痛ましい。
その後は今までの魔女同様、自らの望みを語る。
妹との再会という「願い」は終わったので、今のリディアの「望み」は、神の在り方を否定……つまり世界を灼くこと。「みんな灼けてしまえばいい」という、どこか偽典セクサリス10曲目最後の天使の末裔ラフィルの台詞「みんな死ねばいい」を思わせるボイスパートでこの曲は終わる。
ところで、この曲にはいくつか天巡メルクマールからメロディを引用している部分があるのだが、他にも偶然かもしれないが既存の曲とよく似ている部分が存在する。
それは、黎明ローレライ6曲目の「I」だ。「嗚呼 止まらない 止まらない」以降のメロディが、「I」の「離さない…離れない…」以降とよく似ているように聞こえる。
もちろんただの偶然に過ぎないかもしれない。仮にメロディ以外に関連性をこじつけるとするなら、「I」に登場する少女もまた、リディアと同様に苦しみを繰り返していたということくらいか。
「I」の少女=ローレライの少女でもあるので、黎明ローレライ10曲目の最後で生ではなく死を選び【骸】と化した少女が、リディアを魔女として選んだ……と考えてみるのも面白い?
6曲目の筋書き通りの運命劇詩について。
みんな大好きルクセイン、まさかの一曲丸々参戦。
開幕ボイスパートでは、ルクセインという男の心がここにきて未だに慟哭ルクセインで助けられた黒狼に囚われているという事が分かる。
創傷クロスライン7曲目で、アナスタシアとなったフランチェスカと再会を果たし、行動を共にするようになったというのに。まあ、その時から「ただ亡き友を想って」はいたが……。ぶれない奴だ。
「壊れかけた夜空」というのは、慟哭ルクセイン1曲目からの引用だ。その時は「そこに意味などなく」と続いていたが、この曲では「いつか灯った小さな星」と続く。ルクセインが黒狼に身を挺して助けられてから、道を違える事なく生きる事に決めた事から来ているのだろう。
「寡黙の仮面の下」以降は、運命交差(クロスライン)とあるように、創傷クロスラインで再会を果たしてからについて語られている。
ルクセインはずっと旅を続けてきた。フランチェスカと再会する前から、そして再会して対魔女戦線に加わるうちに多くの事を見てきた。
魔女による災いは(おそらく主にアイリーンの手によって)激化しており、創傷クロスライン1曲目の時点では、戦災孤児なんかが出てくるほどになっているので、そのことを指しているのだと思われる。
同曲によると「"背徳"と糾弾されて救う対象の人々から礫を投げられる」ような事もあって、世界は下らない、信じる価値もないと思っているルクセインだが、それでも心の奥底では黒狼のようなヒーロー……希望に自分がなるということを信じている。
清々しい程に主人公思考だが、少女病の男キャラクターは……。
途中に挟まれるボイスパートの「最後の傷付くのは俺一人だけでいい」のところは、残響レギオン8曲目で「手を汚すのは自分だけでいい」と言ってアイリーンにナイフを突き刺す役目を買って出たところを思い出させる。
ルクセインはそういうことを言う性格なのだ。
「世界は病みを抱え~」や「そうだ さしずめ君は~」のあたりは、ルクセインが世界の構造やフランチェスカについて考えているところだが……ここは9曲目のto youの内容を踏まえると、少女病世界についてだいぶ的確に捉えていると言える。
「何も変えられはしない」とルクセインを嘲笑う声は、それこそメタ的な話になるが「少女病」からの声か。
それでもルクセインは諦める事なく問いかける。
孤独に消える物語(フェアリーテイル)はもちろん、ルクセイン出身曲の名前である慟哭ルクセイン1曲目「虚空に消えるFairy tale」から。虚空が孤独になっているのは、黒狼を失ったためか。
その後は自らを鼓舞するような強い言葉が続く。それにしても「あれがお前の星」って、そこまで言わなくても……。
創傷クロスラインの時点で、ルクセインはフランチェスカについて「道を誤ってしまった」と思っているので、「その道 きっと正して見せる」と決意している。それは……思い上がりではないのか?と思えるのは彼らの物語を観測する我々だけだ。
「繋いだ命」というのは、自分が黒狼によって窮地を救われたことを指しているのだと思われる。
再びのボイスパート。ルクセインの台詞から、自分がやろうとしていること(=道を正そうとしていること)がフランチェスカの意志とは異なると理解しているのが伝わってくる。
特に根拠もなく「これでいい筈なんだ」と言うあたりから、「黒狼のようにヒーローになってみせる」という思いのあまり視野が狭くなっているのを感じる。
「君を救ってみせる。かつて俺が(黒狼から)そうされたように」という全力で青臭い台詞をしらふで言い放つのがこのルクセインという男なのだが、それがただの自己欺瞞である事はフランチェスカに見透かされていることが7曲目のラストピースで明かされる。
「嘘を吐くのは慣れている」というのは、慟哭ルクセインで黒狼に嘘をついてきた事についての自嘲か。
そんな自身の罪を、フランチェスカの道を正す事で「贖罪」としようとしている……という思いを吐露したところでこの曲は終わる。
ところでフランチェスカというかアナスタシアは聖骸メロフォビア5曲目で聖骸の力を手にした事で、他人の行動を見通せるようになっており……つまり嘘は全てお見通し。この事が次の曲での悲劇に繋がってくる。
7曲目のラストピースについて。
まず最初のボイスパートで、ルクセインがアナスタシア(=フランチェスカ)の従者になっているという事に驚かされる。
創傷クロスライン7曲目で対魔女戦線の一員に加わってから、なんやかんやあってそういうポジションに収まったのだろうか。
更に、神のキューブなるものが出てくる。これは、ブックレットのexistence右側のページに描かれているものだと思われる。キューブっぽいのこれしかないし。
「聖女は恭しく頭を垂れた」は、聖骸メロフォビア9曲目の同じくボイスパートで、摂政グラハドが恭しく頷くところとかけていそうだ。この動作をする人物は、何かを企んでいるという点で共通している。
「此処にいる誰もが内なる願いを秘め」という台詞から、この神のキューブの近くには他にも魔女がいる、つまり2曲目でシスフェリアから「魔女の庭」と呼ばれている場所であるという事が分かる。招集した神(=8曲目で存在が明かされる「至上神」)は、わざわざそういう場所を選んだのだ。
ボイスパートが終わると、「かつての敗者達(ルーザー)」という言葉が出てくる。これは単純に考えると敗者というのは残響レギオンで見事なまでに敗北し、今まさに五人目の魔女となることで次の神になろうとしているフランチェスカを指していそうだが、そうなると「敗者達」と複数形になっているのが気になる。
なので、「神に近付くは」の方から考えてみることにする。そうすると、今、内なる願いを秘めて神になろうとしているのは四魔女+フランチェスカという事になるが、では何故彼女達は「敗者達」と呼ばれているのか?
ここに、2曲目~5曲目でたびたび触れてきた【骸】という概念が関わってくるものだと考えられる。
聖骸メロフォビア1曲目の冒頭で、フランチェスカが触れた「神の聖遺骸」について「同じ領域に立つモノとの争いに敗れたのか」という表現がある。
9曲目のto youで分かることだが、少女病の世界は神に選ばれた一人の魔女が次の神となり次の世界を作っていく事の繰り返しで成り立っている。つまり、同じ領域に立つ者(=魔女であること)同士の争い(=選ばれるかどうか)が行われているのだ。
神に選ばれなかった魔女が次の世界で特別な力の根源を持った【骸】となり、各地に点在する事になるのだとしたら、「かつての敗者達」という表現がしっくりくる。
もちろん、神に選ばれなかった魔女が【骸】となるというのは予想に過ぎないのだが……聖骸メロフォビア1曲目冒頭の「セカイを否定するように眠り続ける、神の聖遺骸」という歌詞からこの考えを補強することができる。
魔女達はそれぞれ自分が描きたい世界を望んだが、選ばれず【骸】となり次の世界に残されたのだとしたら、当然その世界を否定するのではないか……と。
長くなったが、続きを読んでいく。
聖女アナスタシアが神のキューブを使って(どんな風に使うかは不明)五人目の魔女として覚醒しようとした時、ルクセインが反逆を試みた。でもルクセインは一歩遅く、アナスタシアの肢体は閃光に穿たれる……つまり五人目の魔女として覚醒する。
この男はいつも最後の詰めが甘いのだが、これに関してはルクセインが悪いというよりは、6曲目の考察でも書いた通り相手の行動が見通せるアナスタシアが上だったとしか。
それでもルクセインは血塗れになりながら(ブックレットのイラスト参照)「戻ってこい」と告げる。アナスタシアは形だけの感謝を告げ、にべもなくルクセインを否定する。
ここのボイスパート、一見アナスタシアが思い込みでルクセインに対して文句を言っているように見えるが、感情が旋律となって聞こえてくるアナスタシアにとって、これは思い込みなのではなく真実なのだ。要するにルクセインはアナスタシアに対して「何も知らない少女の頃が『正しかった』」と間違いなく思っていたことになる。
いままで、苦しむ少女達に本当の意味で寄り添うことのできなかったルクセインらしい考え方だが、アナスタシアはそれを全否定する。
続く台詞の「最期まで見届けていて」は、創傷クロスライン7曲目の台詞……とは厳密には違うのだが、「今度は傍で見届けていて?そして全てが終わったら――私を」なので、意味的にはほとんど合っている。
もしかしたらアナスタシアは、この曲でルクセインに横やりを入れられることがなかったとしたら、別の方法を選んだのかもしれない。何しろ今からアナスタシアがやろうとしている事は、全てが終わったらルクセインは消滅してしまうので。
続くボイスパートで「あなたが救ったのは、あなただけ」とルクセインに対する痛烈な批判をした後、アナスタシアは思いの丈をぶちまける。
「あなたは私の奥に誰の影を見ていたの」と言われればそれは「黒狼」だし、「あなたが背負う原罪 あなたの為だけの贖罪 私の絶望に重ねないで」と言われれば全くもってその通りですねとしか言いようがない。
でもそんな自己欺瞞に満ちているヒーロー気取りが、(今の自分と違って)人間らしくて愛おしかった、と思っているアナスタシア……ここで倒れた患者諸君は多いのではないだろうか?
何かこいついつも黒狼の事ばっか見てるけどなんだかんだで一緒にいるのは嫌いじゃなかったよ、という告白。
でも、そんな関係も第五の魔女となった今、もう終わり。
『光だけでは少女は少女のまま~』の、ボイスパートではないが『』で囲まれている部分。これは恐らく「至上神(メサイア)」の台詞だと思われる。
至上神は、少女が酷い目に遭う、絶望する……深淵に堕とされる事を「病を患う」と呼び、そうでもしなければ少女は少女のままであるという、世界を象った。……あれっ、もしかして至上神って少女病(代表)のことでは?
それはさておき、次の「敗者の残滓が~」という歌詞は重要だ。聖骸とは敗者の残滓であり、それが誘えば少女は魔女として目覚める。そういうことが書いてある。これは、今までしてきた【骸】に関する考察に対する答えといえる。
・敗者とは、前の世界で選ばれなかった魔女である。
→これは世界が繰り返している事からの予想。
・聖骸(要するに【骸】)には、敗者の残滓が宿っている。
→だから魔女になった者には、敗者の聲が聞こえるようになる(=シスフェリア、メリクルベル)。
・【骸】に触れたものは、それに誘われて魔女になる。
→魅入られたり(=アイリーン、メリクルベル)、旅の果てに神のキューブへと導かれたり(=アナスタシア)する。
至上神の台詞の後は、アナスタシアが第五の魔女として覚醒していく様子が語られている。
「頭に響く生者と死者の聲」というのは、聖骸によって得た能力(=感情が旋律となって聞こえる)によって、今から成ろうとしている存在……星の記憶であるセクサリスの感情を聞いている、といったところか。
セクサリスにとっては死者の聲の方が圧倒的に多いだろうから「闇を飼い慣らせ」であり、それでもこれからやること……この世界のループに終止符を打つべく、至上神に興味を惹いてもらう為に「神をも欺くなら微笑んでみせろ」と。
そして、いよいよ第五の魔女へと覚醒するボイスパート。「この罪は、五つの穢れた残骸と共に」は、創傷クロスライン7曲目の歌詞の引用だ。
覚醒の瞬間、最初はCV中恵光城の「聖女アナスタシア」だったのが、だんだんとCV沢城みゆきの「第五の魔女セクサリス」に変化していくのが印象深い。
「嗚呼、この世の果てを願い~」あたりから、偽典セクサリス1曲目冒頭の歌詞とメロディに意図的に寄せられている。
ここでセクサリスの真の望みが明かされる。「綴じ逝く物語を望む者」だったのだ。「無限に連なる物語」ではなく。
そうして、その名を継ぐどころか姿までセクサリスとなり、アナスタシアの面影は左目が金色になっているところだけとなった。ブックレットの、ラストピースが載っているページの次のページを見ると分かる。アナスタシアが被っていた帽子も飛んでいってしまっているのが分かる。
「そう、この世の果ての先に~」もまた、星謡の詩人の冒頭に寄せている。
今度はアナスタシアの望みが明かされる。それは8曲目でも改めて出てくるが「終わりの先に未来を与える」というもの。
アナスタシアは、失われる星、つまり今の世界……「セクサリス」という名こそ、最期の神となる自分が名乗るのに相応しいと思ったわけだ。
神になる気満々でなかなかの自信だが、まあそこは主人公補正というか……。
そして、聖女アナスタシア→第五の魔女セクサリスとなってからの初めての台詞は、「行くよ、セクサリス」。
これは、聖骸メロフォビア1曲目最後の「いくよ、アナスタシア――」と対になっているもの思われる。
「いくよ、アナスタシア――」は当時の考察だとセクサリスが言ったものだと思っていたが、ここと対になっていると考えるならば恐らくアナスタシア自身の言葉であり、「行くよ、セクサリス」はセクサリス自身の言葉になるのかなと思った。要するにどちらも同一人物ということになる。
続く歌詞の「在りし日の誓い 虚構へと沈みゆく中 自らに科した枷」は、残響レギオンボーナストラックでフランチェスカが絶望の中で誓った「いつか強い旋律を伴って、表舞台に舞い戻る」「神を赦さない」のあたりを指しているのかなと思う。
「神の傀儡を演じ続けてみせる」は……この時点のフランチェスカがどれだけ世界の仕組みを理解しているのかは知る由もないが、至上神に選ばれるその瞬間まで、至上神の望む面白そうな物語を描けるよう演じてみせる……という事なのではないだろうか。完全に9曲目to youの内容に突っ込んでいるが。
次の「真の解放」という歌詞は、残響レギオン9曲目「真実の解放」とかけているのかもしれない。「真実の解放」でもたらされたのは絶望だった。だが残響レギオンボーナストラックで星の記憶セクサリスを認識したフランチェスカの、星の記憶セクサリスとの「遠い約束」である「真の解放」は、(絶望の物語のループを終わらせて)終わりの先に未来を与えるという、謂わば星の記憶セクサリスにとっての希望だ。なので対比にしているのだと思われる。
終盤のボイスパートの2つの台詞。「神堕ろしの儀」というのは8曲目の魔女と神の輪廻で行われる事を指すのだろうが、できるだけ優しく殺そうとしているのが誰なのかについては、疑問の余地がある。
シンプルに考えれば他の四魔女を指しているのだろうが、そもそも魔女セクサリス(以後、魔女に覚醒したアナスタシアをこう表現する)は他の魔女を赦さないとはっきり残響レギオンボーナストラックで言っているので、できるだけ優しく殺してあげる筋合いはない。
となると、この場面でできるだけ優しく殺してあげられそうな人物というと……ちょうどそこに血塗れになったルクセインがいるな……。
ルクセインの生死についてこの後語られる事はない。この後世界が終わるので、最終的に死んではいるのだろうが。
今この場で死んだかどうかは……これは完全に場外の話だし与太度合いが強いのだが、少女病ラストライブが配信で見られる最後の日に同時視聴会を兼ねてYoutube中恵光城チャンネルにて行われたRDさんとのトーク内で、ルクセインについて「ワンパンされた」とお二人が話していた事を書くに留めておくとする。
8曲目の魔女と神の輪廻について。
最初に、足音と扉を開ける音が入る。魔女達が一堂に会するという演出なのだろう。
開闢(世界の始まりの時)だったり、御阿礼(神の来臨)といった単語で、これから始まる事を示唆している。
五つの魂達……五魔女が揃う様子が、ブックレットの魔女と神の輪廻が載っているページの前のページで描かれている。
魔女セクサリスを見た他の魔女達が「誰だこいつ?」みたいな顔で見ているのが印象的だ。メリクルベルとシスフェリアの間に、さりげなく星の記憶セクサリスも居る。両目が灰色であることから判断できる。
至上神的には、魔女の願いというのは「絶望の果て願う詩」であるようだが、約一名特に絶望していない魔女がいる。そう、アイリーンだ。
ボイスパートでは、まず星の記憶セクサリスの台詞から。CVの沢城みゆきさんは真典で「星の記憶セクサリス」「魔女セクサリス」「genesisでの新生セクサリス」をしっかり演じ分けており、凄い。
魔女たちは己の願いを叶えるため……つまり新たな神に選ばれるべく、「魔女の庭」に集ったわけだが。
その為には至上神の興味を引く必要がある。おもしろければ何でもいいということだ。
続く台詞は、メリクルベル。この人、自分が選ばれる気満々で何か面白い。
続いてアイリーン。メリクルベルの話をしていて余裕だ。
その次はリディア。この人は例えるなら面接官に「お前を殺したい」と言っており、選ばれる気がまるで感じられない。
最後にシスフェリアが自分以外狂人しかいない事を嘆いている。魔女にしては最後まで常識を持ちすぎていて、かわいい。
ボイスパート後の「永き時代を護りて~」の部分は、この後に出てくる至上神なる存在について。
要するに現・世界の神であり、五魔女の中から次世代の神を選ぶ存在だ。
神なので当然偉く、歌詞もやたらと偉そうにしている。
次の歌詞は、四魔女が2曲目~5曲目でそれぞれ語った願いを要約したものだ。蒼白(あお)の魔女シスフェリア、深紅(あか)の魔女アイリーン、真白(ましろ)の魔女メリクルベル、紫翠(しすい)の魔女リディア。リディアの色の表現だけはここで初めて出てくるものだ。
そして、『残るは最後の魔女だけ』。これは鉤括弧の種類から至上神の台詞だと思われる。
魔女セクサリスは、自身の中の星の記憶セクサリスに問いかけ、二人の願いが違わないことを確認し……その願いを告げる。
灰金(くろがね)の魔女セクサリス。さっき生まれたばかりの概念なので、当然初めて出てくる表現だ。この呼び方は瞳の色(魔女セクサリスとなり、灰と金のオッドアイになった)から来ているのか、それともセクサリスお馴染みの金髪と黒白基調の服から来ているのか。
魔女セクサリスは、己の願いを『この世界に未来を与えたい』と告げる。絶妙に至上神の興味を惹きつつ、その"真意"……終わりの先に未来を作る、というところまでは隠しつつ。
わざわざ"真意"を隠す必要があるということは、至上神の望みはあくまで「新しい何らかの絶望の物語」なのであって、そこから希望のある未来を作るというのなら、その魔女は選ばないのだろう。
次の歌詞で、この願いに至るまでに「聖女アナスタシア」の導きと、「星のセクサリス」の願い、「フランチェスカ」の祈りがあった事が分かり、ひっくり返った患者は多いだろう。
聖骸メロフォビアで過去を捨て、名を捨てたはずのフランチェスカだったが、ちゃんとフランチェスカに「私」というルビを振るくらい自分を持っていたのだ。聖骸の力を得た事で遺伝子が本当にゼロから書き換えられたわけじゃなかったんだ。良かった……。
あとは、至上神(メサイア)が誰を選ぶか……という引きでこの曲は終わる。賽は投げられた、とあるが流石に本当に賽を投げて決めたということは無いだろう。
9曲目のto youについて。
冒頭のボイスパートから、いきなり意味深な台詞が出てくる。
魔女セクサリスが、初めて星の記憶セクサリスを見て、それがどのような存在であるかを知った時の事を語っているが……。
続けて語られているので少し分かりにくいが「星の記憶セクサリスを見た」時と、「アナスタシアの力を継承して彼女の聲を聞いた」時は、同じではない。
前者は、残響レギオンボーナストラックの時だ。「見ていて、セクサリス」という台詞から、星の記憶セクサリスを認識している事が分かる。
後者は、「(聖骸によって得た)アナスタシアの力」によるものなので聖骸メロフォビア5曲目の時だ。「滅びの幻想を堕胎して 両手で柄杓を模り感情を掬った」の部分が、星の記憶セクサリスと繋がった事を示唆しているように思える。星の記憶セクサリスとは滅びた星々の記憶が人の形をとったものなので、彼女と繋がるということは「滅びの幻想を堕胎」するということであり、彼女の感情が旋律として聞くことを「感情を掬った」と表現しているのではないかと。
そして、それを聞いた魔女セクサリスは……星の記憶セクサリスが絶望している事を知った。
これには正直、いち患者として驚いた。星の記憶セクサリスって悲劇の物語について「どうせセカイは終わるのに……」と達観しているようなイメージがあったので。
ただ、星の記憶セクサリスが実は絶望していたというのは、唐突というわけではない。残響レギオン初回盤特典の「セクサリスの見た風景」でフランチェスカが真実の解放をされているページを開くと、星の記憶セクサリスが「どんな言葉の羅列にも心動くことなんてないけれど。その光景は少しだけ――」と、悲劇に心を痛めている事を示唆しているのが分かる。
まあ……それ以外のところで星の記憶セクサリスが出てくる時はだいたいわるいロリみたいな事を喋っているのだが……そもそも星の記憶セクサリスが初登場したのは偽典セクサリスだ。
つまり、今までのわるいロリみたいな言動をする星の記憶セクサリスとは「偽」の姿であり、「真」の姿は絶望の物語を終わらせて欲しがっている存在である……のかもしれない。
魔女セクサリスのボイスパート後、星の記憶セクサリスのボイスパートに入る。
至上神に選ばれたのは、第五の魔女……つまり灰金の魔女セクサリスということが判明する。まあここで選ばれなかったら嘘でしょう。
「私の聲を聴いてくれたのは、あなたで二人目」という台詞が気になるところ。二人目が魔女セクサリスだとして、一人目は誰か?ということだ。
順当に考えるならば、偽典セクサリス1曲目に登場する詩人ミルリーナだ。ミルリーナは時と時の狭間の彼方に在り、星の記憶セクサリスの見た夢、つまり滅びた星々の記憶を詠う。
ミルリーナは偽典からの古参なので一人目としても全く問題ないはずなのだが、小説版天巡メルクマールが出たことでちょっと話が変わってきた。
小説版天巡メルクマールは、時系列的には残響レギオンの前。つまりフランチェスカが星の記憶セクサリスを認識する前の出来事なのだが、主人公であるジーナと星の記憶セクサリスが会話しているシーンが存在するのだ。
ジーナを含めたところでミルリーナが一人目というのは変わらないのではないか?と思うかもしれないが、それは星の記憶セクサリスがミルリーナを一人目とカウントしていればの話だ。
ミルリーナは、星の記憶セクサリスが見る絶望の物語の数々を詠いはすれども、魔女セクサリスのように星の記憶セクサリスの望み(=この星を終わらせる)を叶えようとはしなかった。だから、「私の聲を聴いてくれた」には含まれていない、とも考えられるのだ。
もっとも、それを言うならジーナも星の記憶セクサリスの言葉を聞き入れようとしなかったので……どっちが一人目になるのかは正直、なんとも言えない。
続く台詞に「(二人目となる魔女セクサリスは)私の願いを叶えてくれる、最初で最後の神になる」とあるので、一人目が「私の願いを叶えてくれなかったミルリーナ」だったとしても特におかしくはないし、小説版のみ登場のジーナはノーカウントなのかもしれない。
ボイスパートの後は、次の神を選んだ至上神についての歌詞が続く。
前の曲でシスフェリアが不条理にも程があると言った矢先に歌詞にも不条理が出てくるのがちょっと面白い。
可撓性(かとうせい)というあまり聞かない単語が出てくるが、これは物質に力を加えた時の変化のしやすさを意味する単語のようで、要は次の世界が魔女の選択一つで簡単に変化するということを現しているのだろう。
『至りて愉快だ』とは至上神の台詞。すごく偉そうだ。
姿は見えないので、きっと脳に直接語りかけるような感じで喋っているのだろう。
枯れ果てんとしている割に本当に偉そうだ。
「代わる代わる神が綴り~」という歌詞の通り、少女病の世界は神が作り上げ、神によって選ばれた魔女が次の神となり次の世界を作り上げていく事の繰り返しで成立している。「パンタシア」はラテン語で「空想」、ここでは物語……つまり「世界」といったような意味で使われているものと思われる。
至上神は自身が選んだ魔女セクサリスに対し、「お前が言う絶望の果てに願う未来っていうのはどれくらい面白いのか描いてみせよ」とやや挑発的に告げる。やはり偉そうだ。
「全てが無へと~」のあたりは、魔女セクサリスが願う次の世界について部分的に語られている。11曲目のgenesisの内容に近い。
《物語は困難を通って天へ》は、ラテン語の格言"Per aspera ad astra fabula"(困難を通じて天へ)に「物語(fabula)」を追加したもの。(魔女セクサリスの)物語は困難を経て栄光を得る、くらいの意味で使われているのだと思われる。
次のボイスパートは星の記憶セクサリスの台詞。星が、世界がどのように存続されてきたかを説明している。
ここから分かるのは、今まで代わる代わる神が綴ってきた世界というのは、決まって絶望の物語であるということ。
星の記憶セクサリスは世界が絶望の物語によって作り替えられるたびに生き続け、その心は死に続ける。
いい加減絶望の物語のループを終わらせてほしいと思っている。
次は至上神の台詞。世代交代で自分が殺されるというのに、妙に元気である。「怨嗟の聲を響かせる敗残者」とは、選ばれなかった四魔女を指しているのだろう。ただ、これは四魔女がいま怨嗟の聲を響かせているというよりは、至上神が前の世界で勝った時の経験談を語っているのではないか?という気がする。
「世界を繋げよ 全ては星の為」と言うが、星(=星の記憶セクサリス)の為には全くなっていない。これは星を存続させていくために必要な行為なのだと至上神は言う。
魔女セクサリスのボイスパートが挟まる。星の記憶セクサリスの聲を聞いた魔女セクサリスは、この「神が魔女を選び次の世界を綴らせる」という「神と魔女の理」が、捻じ曲げられていった事を知る。何が捻じ曲げられたのかというと、綴る世界の内容だ。少女が絶望を抱く……「病を患う」ような内容へと。つまり、少女病がよく作る物語へと。それを「読み手」……少女病の物語を聴いている「我々」はそれを楽しんでいる。だから、神は「読み手」が望むような絶望の物語を綴っていくようになっていった……と。
魔女セクサリスは、まさにこのCDを聴いている我々の方に向かって言う。「どこに本当の幸せがあるのでしょうね」と。面白いメタ構造だ……。
ボイスパートが終わって歌詞パート。
災禍……「読み手」が求めるような刺激的な物語は、次々と広がっていく。
因習が世代を越えて続いている村の如く、間違えているかなど誰にも解りはしないまま、神々は「刺激的な物語」を綴っていく。
でもそれも、魔女セクサリスの世代で終わり。彼女は此処が最終章とし、「神と魔女の理」を終わらせる事を宣言する。
「お生憎様」という言葉を使うあたりが、実に彼女らしいなと思う。
「此処まで見てくれていたあなた」とは、星の記憶セクサリスの事だし、いまCDを聴いている我々を指していそうな気もする。あなたといえば曲名の「to you」だが、このyouは星の記憶セクサリスでもあるし、たぶん、我々でもあるのだ。
「あなたも無へと還りゆく~」以降のあなたも、星の記憶セクサリスを指している。偽典セクサリス1曲目にある通り、星の記憶セクサリスは夢を見ているので、その夢がどうか幸せなものになるように、と歌っているのだ。
「最果てから始まる」からも、あなたが星の記憶セクサリスを指していることが分かる。偽典セクサリス1曲目は「この世の果てでまた 夢が語られる」で始まっているし、加えて同アルバムの11曲目にも「夢から覚めるとき この世の果てにある ここからあたらしい 世界が生まれ 終わりの先へ繋がる」という歌詞がある。15年越しの伏線回収だ。
最後のボイスパートは、魔女セクサリスによるもの。ここの「さよなら」は、終焉を迎える世界に向けてのものか、選ばれなかった魔女たちに向けているのか、星の記憶セクサリスなのか、「CDを聴いている我々」なのか……或いはそのすべてか。
「終焉の歌」にわざわざ「これが本当の」と付けているのは、偽典セクサリス10曲目で天使の末裔ラフィルが終焉の歌を詠っている(偽典セクサリス8曲目にて「天上の言語で、終焉を紡ぎゆく」とある)事とかけているのだと思われる。ラフィルの歌はあくまで少年少女達を死に導くものに過ぎなかった(最後に貴族達の前で歌を披露するような歌詞があるが、どうなったかは描かれていない)。しかし、魔女セクサリスによる終焉の歌は世界の終わりで詠われる、といったところか。
ボイスパートが終わると造語による歌唱が始まり、この曲は終わる。
造語部分の聞き取りは一切できないが、ラストライブ同時視聴会トークでの情報によると、
・ここの歌詞だけは少女病の主催が書いた。
・天使語ではない。
とのことだ。
10曲目の■■■■■■■について。
ブックレットのトラックリストで塗りつぶされているので、とりあえずこの記事に書くうえでこういう表記にしている。
星の記憶セクサリスによるボイスパートのみの曲。
9曲目のto youと11曲目のgenesisの狭間、次の世界が作られるまでに星の記憶セクサリスは今までの世界を振り返っている……というシチュエーションなのだろうか。
「(沢山の大切な物語の)全てを犠牲にして、私が生まれた」というのは、星の記憶セクサリスという存在が「滅びた星々の記憶が人の形を持ったもの」という所から来ているのだろう。犠牲にして、という表現がやや自虐的だが。
「未来を私に託し」たのは、もちろん魔女セクサリス。
「私がこの記憶を思い出すこと」がどういう事なのかについては判断が難しく、偽典セクサリス1曲目の歌詞からの推測でしかないが、今まで夢を見ていた星の記憶セクサリスが起きるという事か?
それは「あなたがたは望んでいなかった」こと。ここのあなたがたは恐らく「CDを聴いている我々」を指している。星の記憶セクサリスが起きるということは、彼女の見た夢から紡がれていた少女病の物語が、終わるということで、それを望んでいなかったのでしょうと言いたいのだろう。
いや……確かに望んでなかったけど……でもこの終わりならまあいいかなって……(いち患者としての感想)。
彼女が新しいこの星にどう向き合っていくかは、11曲目のgenesisで明らかになる。
11曲目のgenesisについて。
光と希望に溢れるメロディと共に、星の記憶セクサリスともまた違った……謂わば「新生セクサリス」とでも言うべき明るいボイスパートから始まる。
「願うものがいないから、神さえ存在しない」世界になるよう、作りかえられた後の話。
「感情が生まれる音が聞こえた」や、この後の歌詞の「このセカイにまだ線はない 国境も常識さえも」から推測するに、世界をそれこそ原始時代からやり直しているのかもしれない。
「記号(sinew・シニュー)の海」という言葉がさっそくよく分からないのだが、これ時代は偽典セクサリス1曲目から登場している。
sinewは調べてみると、腱(けん)、筋肉、力の根源などといった意味になるらしいので、単純に考えると「記号」とはまるで合致しない。
なので飛躍した考え方をしてみると……。
少女病といえば、物語音楽。音楽といえば楽譜。楽譜といえば……音楽記号。楽譜には音楽記号が沢山あるので、「記号の海」と言える。音楽記号は楽譜において音楽を形作るもので、すなわち力の根源(sinew)。
……こんな感じになるのではないか。無理矢理意味を見出すとするなら、だが。
これ以降、歌詞の様々な部分が偽典セクサリス1曲目・星謡の詩人、或いは11曲目・セクサリスと対応している。
・genesis「欠片は満ちた」⇔星謡の詩人「夜の来ないこの場所でゆっくりと欠片を集めて」
・genesis「永遠に続く幻想(ゆめ)はない」⇔セクサリス「今はまだ、永い夢の中に眠って」
・genesis「目を開けて」⇔星謡の詩人「そっと目を閉じて」
・genesis「喪失感は潰えた」⇔星謡の詩人「全ての断片が揃ったら、この喪失感も消える?」
・genesis「遠くずっと遠く 滅びた場所で 無数に光る 物語の欠片を探しだしたよ」⇔星謡の詩人「遠くずっと遠く まだ見ぬ場所へ 無数に光る 物語の欠片を探しだすんだ」
・genesis「幾つの死 幾つの夢 越えてきただろう」⇔セクサリス「幾つの夢 越えていくのだろう 幾つの死、越えていくのだろう?」
・genesis「また残光が――煌めく」⇔セクサリス「それは淡く眩い 生命の 遠い残光」
こうしてみると遊び心満載の歌詞であり、このアルバムが「偽典」に対する「真典」なのだなというのが感じられる。
いままでの曲にもあったが、歌詞だけでなく、メロディも対応している部分がある。
genesisの「めくるめく物語が~」は、星謡の詩人の「仮象の魂~」のアレンジになっていたり。
genesisの「遠くずっと遠く~」も、星謡の詩人の「遠くずっと遠く~」のアレンジだ。
続いて、歌詞を読んでいく。
「ここから視えるものが全てじゃない」「"想像以上"が溢れる」あたりは、物語音楽に色々な解釈の仕方がある……というのを言っているのだろうか。このサイトで、あれこれ創造を膨らませているように。
「あなたにはもう会えないけど~」は、このCDで最後だけど今まで出してきた物語は「あなた=CDを聴いている我々」に残り続ける……という意味にとれる。うーん……。
その通り、患者達はきっとこれからも「とめどない物語を飽きることなく糧にする」だろうし、「いつかまた観測される日」を楽しみにしたくなっちゃうんだよな……。少女病の代表の手のひらで患者の群れが踊っている。
「全てを覆うような暗闇も 眩く視界を奪うような輝きもいらない」は、おそらく9曲目のto youで言うところの「面白い御伽噺」はもう要らない、ということを言っている。そういう物語を追い求めたが故に、今までの世界があったわけで、魔女セクサリスはその世界を変えたのだから。
面白い御伽噺の為に少女が不幸になる、病を患うような物語じゃなくていい、ただ「あなたと繋がれれば」。新生セクサリスの願い。
「喪失感は潰えた」は、上でも挙げた通り星謡の詩人と対応している歌詞であり、「全ての断片が揃った」ことを指す。つまりこのラストアルバムが出たこと。
でも、充足感があるわけではない。何故なら、答えはこれから未来の中から探すから。
何の答えを探しているのかは、恐らくだが星謡の詩人終盤のボイスパートに「なんのために生まれてきたの?なんのために死んでいったの?」「その答えは、歌の中に」「その答えは、幻想の果てに」というのがあるので、新生セクサリスが未来、つまり「幻想の果て」で探すとしたら、「(物語が)(その中の人々が)何の為に生まれ、死んでいったか」ではないだろうか。
「遠くずっと遠く~」も、上で挙げた通り星謡の詩人と対応している歌詞であり、ラストアルバムでようやく辿り着いた答えである。
手にしてきた真実は今までの物語達のことで……忘れないでねと言うが、忘れられるか!
「今視えるものが全てじゃない~」あたりはだいぶ抽象的だが、「この曲で少女病の物語は終わっちゃうけど、それでもいままで聴いてきた物語はあなたの中にこれからも残り続けるから」って言われているように思えた。このあとのボイスパートでもだいたい同じような事を言っている。
これだけいいものを作り続けてきて……それは……ずるいぞ(褒め言葉)。
最後の新生セクサリスによるボイスパート。
「空から降り注ぐものは光だけ」の部分だが、この世界で空から降り注ぐものについては複数の曲で言及がある。
残響レギオン1曲目では「この世界では決して等量に降り注ぐことのない光の雨」という定義があり、創傷クロスライン2曲目では「空から降り注ぐのが、この瞬間みたいに優しい光ばかりだったらいいのにね」という祈りがある。これらを経て、ついに「空から降り注ぐものは光だけ」となったのだ。
まさにこのgenesisのような光溢れる物語が続いていくのだろう。それが何であれ、旋律は心に居座り在り続ける。
最後の「ありがとう、忘れないよ」はきっと、「世界に未来を与えてくれた魔女セクサリス」「今まであった全ての物語」、そして「CDを聴いている我々」にあてたメッセージだ。
いち患者として、そうであったら嬉しいなと思うし、この素晴らしい作品を生み出してくれた少女病の代表やあらゆる関係者全員に同じ事を伝えたい。
ありがとう、忘れないよ。
同人時代の記念すべき1stアルバム。
まずこのアルバムに関してよく言われるのは、サンホラのパクリであるという事。
ただの言い掛かりだろう、と思って聴いてみるとこれがびっくりするほどパクリなので逆に面白い。
サンホラで例えるなら「ThanatosやLostのノリでRomanとChronicle 2ndの間みたいな雰囲気のCDを作りました」って感じ。
曲単体でサンホラに似ているのもあるが、全体的に雰囲気が同人時代のサンホラとよく似ているのだ。
まず1曲目、最後に次々と声が入って終わるという演出がRomanの「朝と夜の物語」そっくり。
2曲目は開幕からサンホラ1期でお馴染みのAramaryさん似の語りが入る。
例えるなら、Elysionの「エルの絵本【魔女とラフレンツェ】」冒頭の声をやや低くした感じだ。
3曲目も開幕から以下略。
4曲目は0:18~からのメロディがRomanの「緋色の風車」に酷似している。
6曲目もAramaryさん似の語り全開。
7曲目ともなると語りについてはもはや言うまでもないんだけど、裏で鳴っているピアノのメロディがThanatosの「壊れたマリオネット」によく似ている。
10曲目は歌詞カードに「天使語による歌唱のため、表記不可能。」とだけ書かれている異例の曲。独自言語による歌唱といえばサンホラならLostの「失われし詩」なんかが挙げられる。
確かにサンホラのパクリだとケチをつけようと思えばいくらでも出来るのだけど、それを踏まえた上で魅力ある作品だ。
1曲目はまさに少女病の原点と言うに相応しく、(Seiren, Visionのような例外を除いた)全てのアルバムに繋がってくる独自の世界観を作る事に成功している。
疾走曲とバラードのバランスも良い。
3曲目はキャッチーなメロディが印象的で、個人的にはアルバム中で2番目に好きな曲だ。
7曲目は最もサンホラ1期感のある曲で、アルバムの中では一番好みだ。何回でもリピート再生したくなってしまう魅力がある。
何度も聴いているうちに(一部の露骨なパクリを除いて)これはサンホラのパクリではなくリスペクトだ、という感想に落ち着いた。
サンホラ1期をより退廃的に進化させたものが好きな人に、是非おすすめしたい。
たまーに音割れしている部分があるのが最大の難点。
そこは1st故に致し方なしか。素晴らしいCDなので、是非ともリマスター盤が欲しいところ。