ただいま ◆ ◆ ◆ ずっと我慢していたことがある―― あの巨神に打ち勝ち、巫女と皇子を救出して……私はタルシスの街に戻ってきた。 本当は真っ先に行きたい所があったのだけど、街に着くなり人間・ウロビト・イクサビトが入り乱れる大勢の人々が押し寄せたので、しばらく諦めざるを得ないようだった。 「ありがとう、タルシスを守ってくれて!」 「いえ……私はその」 「一人で本当によくやったよ!」 「お主は我らの恩人だ!」 「また世界樹が見えるようになったよ!」 「…あー」 「めちゃくちゃ震えてたけど!」 「電撃辛くなかった!?」 「うー」 やっぱり、人と話すのはどうにも慣れない。 これだけの人数となれば、尚更である。 「辺境伯がお待ちかねさ!ほら、行きなよ!」 「そ、そですね」 そのまま話の流れに身を任せることにして、私はそそくさとマルク統治院へと向かった。 大勢の群衆の視線が背に刺さるのを感じながら。 ――マルク統治院。 最初に一人でここを訪れた時は、辺境伯に驚かれたものである。 お人好しなのか、寛大な考えの持ち主なのかは知る由も無いのだけど、それがウロビトの文化という事で納得してもらったのを今でも覚えている。 もちろん、別にウロビトの総意ってわけではない。 単に私が人と接する事が苦手なだけであって、ルーちゃんみたいな――かつて人間の冒険者達と共に戦った――そんな子もいるって事、覚えててくれてるといいな。 辺境伯も、まさか私が今日まで一人で冒険を続けているだなんて、……思っていたんだろうなぁ、ホムラミズチの討伐あたりから……。 そんなような事を考えていたら、辺境伯の部屋に到着。 ずっと我慢していたことがある―― 「よくぞタルシスに帰ってきた。見たまえ、マルゲリータも君の帰りを待ちわびていたようだ」 「ふふ」 あんな大事件があったのにも関わらず、まるでよくある街の依頼を報告しに来た時のような態度で迎えられて、思わず安堵の笑みがこぼれる。 「……君はたった一人でこのタルシス、巫女殿、皇子、そして帝国をも助けたのだ。本当に、ありがとう」 「いえ、そんな…」 「しかし私への報告も結構だが……君にはもっと他に会いに行きたい―― いや、会いに行くべき人がいるのではないかね?」 「え?」 まるで心を見透かされているようで、どきっとした。 「は、はい……」 思わず正直に答えてしまった。 「うむ、素直で大変よろしい!君が旅立ったあの日のことを思い出すようだ」 さすがに正直過ぎたかな、と赤面していると、 「今ここを出たらまた、英雄を一目見ようと押しかけた人波に揉まれる事になるだろう。裏口を開けておいた」 「えっえっ?」 「さあ、行ってきたまえ!何度も行っているようだし、道は分かるね?」 一人一人を、ただの有象無象と思う事なく、忘れずにしっかり覚えている。 たとえそれが、明日生きて帰ってくるかも分からない、冒険者という存在だとしても。 この人は、ちゃんとルーちゃんの事を忘れないでいてくれた。 そういう事ができるのが、辺境伯が辺境伯たる所以なのかもしれない。 私は一言感謝の言葉を投げ、目的地へと急いだ。 ――タルシス総合病院。 受付へ向かう私に、よく聞き覚えのある声が投げかけられた。 驚いてふり返ると、そこには……かつてワールウィンドと呼ばれていた男が、相変わらず大きな背嚢を背に立っていた。 「ろ…ワールウィンドさん」 「ありがとう、ここじゃあ、その方がしっくり来るよ」 彼は冗談めかして笑い、そう答えた。 「少し遅かったじゃないか。ま、疲れてるのは分かるけどね。みんな待ってるぜ」 「その背嚢の中身、いるんですか?」 「こいつを持っていないと、どうにも落ち着かなくてね。 それともなんだ、恐ろしい物にでも見えるのかい?」 「…はい」 当事者の気持ちにもなってほしい。 「だよな」 軽く水に流された。 ずっと我慢していたことがある―― ワールウィンドによると、私の親友がいる病室は以前とは異なるらしい。 あの時案内されたのは、厳重に鍵をかけられた上で、入る為には『呪い』を抑えるための薬まで飲まなければならないという。 まるで、世界から隔絶されたような空間だと思った。 ……あれから私は、そこに何度も訪れた。 そこで迎えてくれるのは、永い眠りにつき、ぴくりとも動かない、私の親友。 たまにイクサビトの長・キバガミが治療を試みている様子を見かける事もあったが、おそらく自分の無力さに打ち拉がれては、壁に頭を何度もぶつけて看護師の人に怒られていたのを覚えている。 「さあ、この部屋だ」 「ここが……」 そこは以前よりもずっと大きな…広間のような部屋で。 「英雄は生まれ物語は続く、ってね」 ワールウィンドはおどけた口調で扉を開く。 久しぶりに会ったウーファンが笑顔で出迎え、キバガミがいつものように豪快に振る舞い、部屋の奥を指す。 そこに居たのは―― 「ソラちゃん?」 布団で静かに眠り続ける彼女は、もういない。 「うん、そうだよ。ソラリスだよ」 ずっと我慢していたことがある――それは 「ただいま……!」 私は衝動的に彼女に抱きつき、大泣きに泣いた。 涙が涸れるまで、ただただ泣いた。 ◆ ◆ ◆ 「金鹿図書館の奥、ですか?」 だいぶ落ち着きを取り戻した私は、ウーファンから奇妙な話を聞いていた。 「なんでも、そこの開かずの扉の鍵が見つかったとかでな。辺境伯が開けたそうだ」 辺境伯、そんな所まで既に手を回していたなんて。 「俺はやめたほうがいいと思ったんだけどね。 あそこ、何があるか分かったもんじゃないしな」 「ローゲル殿、そういう事は思っただけでは意味がないというものですぞ」 「仕方ないんだよ、少々口を挟みにくい空気だったものでね。 それに開いてしまったもんは仕方ない。 ま、君は探索してもいいし、しなくてもいい」 「ふふっ」 談笑する私達を尻目に、親友・ルーチェは歩く練習を続けていた。 もちろん、真っ先に手伝いを申し出たのだけども、「こういうのは自力で頑張らないとダメだから」と、やんわり断られてしまった。 彼女は長い間身体を動かしていなかった為、リハビリというものが必要らしい。 さっき思わず抱きついてしまった時よく立っていられたなぁ、とか思ってしまう程度には脚の動きが不安定で、まだまだ時間が必要な様子。 しばらくは、樹海の獣じゃなくて自分との戦いをしなきゃだね、と彼女は笑顔で答えた。 かつて共に戦った冒険者の人間達と一緒に、完治を目指すのだとか。 「ソラリス、お前にその気があるのなら、探索をしてみても良いんじゃないか」 ウーファンにそう促され、ふとリハビリ中の親友を見る。 さすがに一緒に行くわけにもいかないか……。 ウーファンに視線を戻すと、私の考えを悟ったのか 「私はダメだ、帝国の民のタルシス移住に向けて、協力していく事になっているからな」 と、先手を取られてしまった。 「じゃあ、私もその手伝いを……」 「お前はウロビトの中でも類い希なる技術を持つ、いわば天才だ。 その技術を活かせる場所で活躍する方が良い、と私は思うよ」 「……」 天才、と言われても。 私は普通にやっているだけなんだけどな。 別に、言われて嫌なわけじゃないけど、いまいちピンとこないのが正直な所である。 「だいぶ時が経っているから、まともな物は殆どないだろうが…… 珍しい物の一つや二つは出て来ると思うよ」 もはやこちらに丸投げしそうな勢いのワールウィンド。 「私、ごみ拾いか何か…?」 「冒険者ってそんなもんだろ」 「いや、まぁ」 表面上はそう振る舞っておいた。 それでも……既に、私の中に未知の領域に対する好奇心が生まれているのを感じていた。 「お主らも、そろそろ休憩にしてはどうだろうか?」 いつの間にか姿を消していたキバガミが戻ってきており、私達やリハビリ中のみんなに声を掛けてきた。 イクサビトらしく豪快に振る舞われたそれは、イクサビトらしからぬお茶菓子の数々。 「わぁ、紅茶ですか!」 と、ルーちゃん。 「タルシスの街に滞在しているうちに、こういったものも教わったのだ」 そう言って誇らしげなキバガミ。宿の女将さんから教わったそうな。 「紅茶ってこんな豪快なカップで飲むものだったかなあ」 「いや、私に聞かれても困る」 「む、ローゲル殿、ウーファン殿。何か言っただろうか?」 「ああ、これうまいね、って話さ」 特に喉が渇いているわけでもなかったが、楽しそうな空気につられ、私も紅茶を飲んでみる事にした。 先の戦闘での疲れが一気に抜けていくような……そんな気分にさせられる。 だが、そんな安息の時間は10秒と続かなかった。 そう、今の今まで大切なことを忘れていたのを思い出したのだ。 もはや、一刻の時間の猶予もなかった。 焦燥に駆られてきた私は、この和やかな空気の中で、なりふり構わず「あの!」と声を上げる。 珍しく大声を上げた私に、一同の視線が集中する。 ずっと我慢していたことが、実はもう一つあったのだ。それは―― 「お手洗いって、どこにありますか……?」 最後は消え入るような声でそう訊ねる私。 病院の一室に、どっと笑い声が響いた。