ようちえん組現パロまとめ
高嶋雅咲のニート生活 #1 至福の果実
メールが来た。
私はすぐに愛用の携帯を操作し、件名を確認したところで、それを削除した。
また、いつものスパムメールだったからだ。
何があなただけに1000万円だ。
そんなに私に1000万円を譲りたいなら、メールを読んだ瞬間に私の目の前に1000万円が出現するシステムでも作ってから、メールを送ってきて欲しい。
いや、今時現金は古いかな。
かといって、商品券の類になると1割持っていかれるから、これも却下。
そうだ、自動的に私の口座へ1000万円が振り込まれるシステムの方が、まだ現実味もあって良いかもしれない。
「何を下らない事言ってるんですか」
「む」
「ちゃっちゃと用意してくださいよ、朝は忙しいんですから」
妄想が漏れていたらしく、同居人の莉沙に突っ込まれてしまった。
同居人というか、家主というか、まあそんな感じだ。
携帯を眺めていたらおかげで朝食の準備が止まっている事を指摘された私は、渋々作業を再開した。
私の名前は高嶋雅咲。
25歳、彼氏なし。友人の――いや、親友の風見莉沙宅で同居生活中。
2年前、とある銀行で勤めていたのをクビになって以来、ずっとここで暮らしている。
クビになった理由はよく分からない、私としては特に問題行動を起こしたつもりはないのだけど。
どうやらこの世界というのは、私が働いて暮らせるようにはできていないらしい。
そういうわけで、今日も絶賛ニート生活を満喫していた。
「いや、満喫しないで欲しいんですけどね……」
莉沙が仕事用のビジネススーツに着替えながら、不満を口にしてきた。
今度は完全に心の声だけにとどめておいたはずなのに、どういうわけか読まれていた。
彼女の心を読む力は、長年の同居生活の賜物なのかもしれない。
それはそれで、私に同様の能力が備わっていないのは、少し残念ではあるけれど。
私は味噌汁と魚をテーブルに並べ、飯をよそっていると、背後からはまたしても不満そうな声が聞こえてきた。
「朝から和食ですかあ……まあいいですけど」
「莉沙の大好きなフレンチトーストの材料がなくなったからね」私は若干皮肉を込めて言ってみた。
彼女は私の意図を知ってか知らずか、平然とした顔で。
「洋食でなにかローテーション組みましょうよ」
「また難しい事を言い出す」
「簡単ですよ」
「言うだけならね」
彼女は無類の刀好きながら、食文化の方は洋風を好むらしく。
和食(といってもレパートリーはほぼないけど)を作るたびに何かしら文句を言ってくる。
今日はたまたま材料を切らしていたので、こうなった次第。
朝食を済ませ、私は片付けを始め、莉沙はあくびをしつつも出勤すべく玄関へ。
「行ってきますねー」という、いかにも気だるい莉沙の声。
「ええ、気を付けて」元気づけようと、私は少し声を張って応じた。
ささっと片付けを済ませると、私は携帯を手にベッドに身を投げる。
まだ寝間着なのでそのまま一眠りする事もできたのだが、流石にやめておいた。
「莉沙に怒られちゃうからね、っと」
私はそう呟いて気合いを入れると、携帯のWebブラウザを開いた。
これは別に遊んでいるのではない。
世の中は私が普通に働けるようにできていない以上、私が私なりに働くための手段が必要なのだ。
そう、遊んでいるのでは決してない。
いつの間にかPHP製作者のバグに対するおもしろ問答をまとめたページとか見ていたりしたけど、遊んでいるわけではない。
私は十分読んで満足した後、左ボタンを何度か押していつもの掲示板に戻ってきた。
「真面目に探さないとね」
まあ正直な所、そこまで金銭面で切羽詰っているわけでもない。
少し前に稼いだ分はまだあるし、もう何日かのんびりしていても莉沙は文句を言ってこないだろう。
ただ単に、何もしないでいるのが私の性に合わないという、それだけのこと。
もうしばらく探してみて良さげな仕事がなかったら、前に寧子に勧めた籐の続きでもやろうかと思っていた。
あのジャンク箱は我ながら悪くない出来だったし、今度は実用品じゃなくてオブジェでも作ってみようか。
そんな事を考えていたら、以下のような書き込みを発見した。
902:04/09(木) 20:30 0v2oUHuW [sage]
破損したファイルを復旧できる人を募集しています。
興味がある方はこちらまで↓
報酬有
snow_white_6666@gmeil.com
「ほう」
興味深い書き込みを見つけた私は、仰向けに寝転がっていた身体を起こして改めて確認した。
コンピュータ内のファイルが破損する事は、最近こそ技術の進歩により頻度は――あくまで私の体感でだが――減ってきているものの、あり得ない話ではない。
コンピュータにデータを記録しているHDD、これは簡潔に言えば磁気を帯びた円盤に対してデータを読み書きするものであり、長時間の使用で円盤が劣化すれば読み取るデータがおかしくなったりする。
一方で最近主流になりつつあるSSDの場合も、その原理上、書き込みを何度も繰り返していると所謂データ化けという現象が発生する。
最も、それらの影響で記憶媒体に異常が発生した場合、OSはその異常を不良セクタと扱うだろう。
そうなると、通常の手段でファイルにアクセスする事はできなくなってしまう。
世の中にはデータ復旧ソフトというものがあって、それらを利用することで記憶媒体の破損した部分から強引にデータを取り出す事も出来る場合がある。
この依頼主が持っているであろう破損ファイルとは、多分そうしてリカバリしたファイルなんだろう。
後は壊れたHDDからのデータ復旧を専門とする業者もいるみたいだけど……そういう所には依頼しないのだろうか?
と思ったけど、流石に費用がお高いらしいから当然か。
私は携帯を閉じてとりあえずベッドに置いておき、莉沙のPCの電源を入れた。
起動完了後、Google Chromeを起動し、シークレットウィンドウを開く。
Gmailにログインすると、受信トレイにいくつか未読のメールが来ていたが無視し、依頼主のアドレスにメールを投げた。
件名:破損ファイルの復旧
本文:
興味がある。破損ファイルを送ってほしい。
それから未読メールを2, 3通眺めていたのだけど、返事はすぐに来た。
件名:Re: 破損ファイルの復旧
本文:
了解しました。ファイルを送ります。
よろしくお願いします。
> 興味がある。破損ファイルを送ってほしい。
「早いな」
あまりのフットワークの良さに、私はPCのモニターに向かって突っ込みを入れた。
もちろん、このメールにはファイルが添付されていた。
添付ファイルは、Gmailがウイルスをチェックしてくれているはずだが、ファイルのダウンロード後も念の為ウイルスチェックにかけた。
どうやら問題はなさそうだ。
私は改めてファイルを確認してみる事にした。
まずファイル名だが"Y8huCHzW"となっている。
これはまるで、パスワードジェネレータにかけてランダムで生成したような名前だ、と感じた。
これで拡張子から形式を判断する事はできないわけだけど、そのくらいなら想定の範囲内。
ファイルの容量は1MB未満と大したことはなかったので、適当なテキストエディタで開いてみる。
すると、大量の化けた文字列が画面に表示された。
「まあそうよね」
でも、これがもしプレーンテキスト――人間に読める普通の文字列だけで書かれたもの――の一部だけ破損していたとしたら、それはそれで厄介だろうなと思う。
例えば小説なんかのデータが一部欠落しているとしたら、復元には物語の想像力が要求されるだろう。
とにかくバイナリファイルである事を確認できたので、私は莉沙のPCにこっそりインストールしてあるStirlingを起動して、問題のファイルを開いてみた。
00000000 | FF D8 FF E1 2F B3 45 78 69 66 00 00 4D 4D 00 2A
00000010 | 00 00 00 08 00 0A 01 0F 00 02 00 00 00 06 00 00
00000020 | 00 86 01 10 00 02 00 00 00 09 00 00 00 8C 01 12
00000030 | 00 03 00 00 00 01 00 01 00 00 01 1A 00 05 00 00
……
ファイルの先頭がFF D8で始まっているから……確かこれはJPEGファイルのStart Of Image、つまりスタートマーカーの事だ。
つまり、この部分が破損しているのでなければ、このファイルはJPEGファイルと判断できる。
一応念のため、JPEGファイルを構成するいくつかのセグメントを示すマーカーで検索をかけてみる。
FF DBやFF C0、FF DAあたりが検索にヒットするのを確認。
……うーん、ここまで来るともうこれはJPEGファイルと判断してもいいんじゃなかろうか。
というわけでファイル名に".jpg"を追加してみたものの、Windowsのエクスプローラが表示するのはサムネイルではなく、汎用のアイコンに鍵マークがついた画像のみ。
開いてみると、案の定ファイルが破損している旨のメッセージが表示された。
やはり、ファイルのどこかが壊れているようだ。
――そりゃあ、壊れてるんだから依頼してきたんだろうけど。
依頼人が何か適当なファイル復元ソフトで復元したものの、ファイル名が化けた状態で復元されたから何のファイルか分からなかったから依頼を出した……という可能性もあっただけに、少し残念。
もっとも、その場合は私よりも暇な誰かが先に解決していたに違いない。
「こりゃあ本腰を入れて取り組む必要がありそうね」
私は呟くと、ひとまず、紅茶でも淹れることにした。
30分後、PCの画面には電話番号らしき数字の羅列が殴り書きされた画像が映し出されていた。
「何?これ」
たまたまそういう画像が破損してしまったのだろうか。
それにしてはあまりにも出来すぎているように感じた。
何故ならこのファイル、破損していたポイントはピンポイントでJPEGファイルの必須セグメントだけ。
そのくらいなら、推測で修正する事は不可能ではなかった。
それに、ジェネレータで作り出したようなファイル名。
「人為的に破損したファイル……?」
となると、敢えて電話番号が書かれた画像を破損させた事には意図があるはずだ。
大方、ここに電話をかけろ、という事なんだろう。
私は、定期的に番号を変更している特定用途専用携帯を取り出すと、画像の番号へ発信してみる事にした。
5回の呼び出し音の後、少しの沈黙。
「……」
「……」
私も最初は様子見と思い、黙っていたのだけれど、これでは埒があかない。
あまり気が進まないけど、何か言ってみるか。
「誰?」
私はぶっきらぼうに言うと、ようやく電話の相手は口を開いた。
「こんにちは。こちらにかけてきたという事は、ファイルを無事修復できたようですね」
落ち着いた物腰だ。
まあ、電話越しだから、というのもあるかもしれないけど。
私はまず、重要な事を訊いてみるとした。
「で、報酬は出るの?」
「もちろん出します」
意外。
こんな、連絡手段を提示するだけの行為に対して、報酬を出してくれるとは思わなかった。
「ただし」どうも条件があるみたいで。「僕の家に来てもう一仕事して欲しいんですよ」
「家に来て……?」私は顔をしかめた。
それが電話越しにも伝わったのか、慌てて付け加えてきた。
「どうしてもネット越しだとできない事がありまして、大丈夫ですごく普通の家ですから」
彼の言葉が私が抱える不安を解消させるために発せられたのだとしたら、それは大きな間違いだ。
「追加の作業も無事にこなせれば、報酬は上乗せしますが」
まあ結局、これで揺らいでしまう程度の不安でしかなかったのだけど。
一応、いざという時の手段はいくつか用意してあるし。
直接行ってみるのもいいだろう。
相談に乗ったところ、待ち合わせ場所には電車で数駅、乗り換え無しでいける事が判明した。
今すぐにでも行けそうな範囲だ。
やっぱりこういう時、都内に住んでいるのは強みだと思う。
地元に居たとしたら、こうはいかなかっただろうし。
それからとんとん拍子で話が進み、今から待ち合わせをして彼の家へと向かう事に決まった。
電話を終えて紅茶を飲み干した私は、出かける支度を始めた。
寝間着を脱ぎ捨て、地味目の服装に着替える。
莉沙のものを借りつつ軽く化粧を済ませ、いくつかの「仕事」道具を携えて、私は家を出る事にした。
直接顔を合わせにいったりする「仕事」は、別に珍しくない。
時間は丁度、昼の12時を回ったところだった。
◆ ◆ ◆
待ち合わせ場所に現れたのは、いかにもオタク然とした、ひょろ長い男だった。
携帯の時計を確認してみると、時間は定刻より2分ほど早め。
どうにも相手に対する疑念が晴れずにいた私は、1秒でも遅れていたら信頼に足らぬ人物と見なして帰ろうかな、と思っていたところだ。
「あっどうも、先程の電話の」
「例の依頼主ね?」なめられないよう、あくまで毅然とした態度で応じる。
「あっはい、そうですね、いや、初めまして」
「初めまして。自己紹介は……要る?」
「あっえっと、はい、細川と申します、初めまして」
先程の電話での態度とはうって変わって、たどたどしい態度で彼は言った。
偽名かも知れないが、一応は名乗って貰えたのだしこちらも名乗るのが礼儀だ。
「私は高嶋。じゃあ、早速案内して」
って、この態度で礼儀も何もあったもんじゃないか。
細川と名乗った男は、よろしくお願いしますと言ってぺこぺこと頭を下げた後、歩き始めた。
その人畜無害そうな様子を見て、私は彼に対する警戒レベルをワンランク下げる事に決めた。
彼の自宅まではそう遠い道程ではなかった。
駅を出てからは、横に並んで歩くのも何となく抵抗があったので、後ろをついて歩いていたのだけど。
自宅に到着するまでの短い間だけでも「しかし女性の方か……参ったな」などと呟いているのを4, 5回は耳にした。
本人は聞こえてないと思っていたようだったから、特に突っ込まないでおいた。
別に気の済むまで言わせておけばいいし、なにより彼の態度は喜びというよりは戸惑いの色が濃いように思えたからだ。
もし前者だとしたら、下手なことをしたらどうなるか、釘を刺しておいたところだったのだけど。
「ここです」
彼はそう言うと玄関の扉を開けてみせる。
見たところ一軒家で、その広さと掛かるであろう費用を考えると、一人暮らしではなさそうに思える。
「実家暮らしでしてね」私が家を眺めていると、頼んでもいないのにそう説明してきた。「あ、両親は外出中です」
実家暮らしならこの家でも納得だ。
郵便ポストに名前が書いてあるかなと思い、興味本位で確認しようとしたのだけど、最近は個人情報を気にする人が多いらしく名前らしきものを確認する事はできなかった。
私は後ろ髪をひかれつつも、家に足を踏み入れた。
それにしても、わざわざ直接出向く必要があるほどの依頼と聞いて来たのに、ごく普通の一般家庭の家に招待されているのだ。
しかも平日に。彼、仕事はやっていないのだろうか?
まあ、これについては私にもカウンターになる事に気付き、即座に考えるのをやめた。
「で、どんな依頼?」
私は、彼が用意してくれたミルクティーを飲みながら尋ねた。
「ちょっと待ってて下さい」そう言って彼は立ち上がると、棚からノートPCを取り出して、それをテーブルに置いた。
「これは、僕の弟のPCなんですが」ようやく、更なる依頼についての説明を始めた。「このPC内のとある破損ファイルを修復して欲しいんですね」
「え?」私は聞き返した。「そんな事、勝手にやってしまっていいの?」
弟に許可を取ったのか、と聞こうとしたところでそれは彼に遮られた。
「あ、いえ、弟はその……1か月前に交通事故で亡くなっているんです」
「……」
気の毒な話だ。
誰が気の毒って、もちろん弟さんがだ。
死者にプライバシーなど存在しないというのが、よく分かる。
「弟の遺品を調べていたら発見したファイルなんですけどね、どうもこれだけ破損してて」PCの起動を待っている間、手持無沙汰だったのか、そう説明してくれた。
私もいつか死んだら、遺されたPCを蹂躙されたりするのだろうか、と思うと少し気が重くなった。
今からでも、認証をパスワードではなく生体認証――瞳を使うやつがいいかな――に切り替え、死んだら綺麗さっぱり火葬してもらおうかと考えた。
もちろんハードディスクも暗号化して。
別にやましいものはないと思っているけど、死後の事を想像すると気分のいいものではないから。
そんな事を考えているうちに彼は、きっとショルダーハック(パスワードを入力するところを背後から盗み見る事)か何かで知ったであろう弟のPCのパスワードを入力すると、ログインに成功したようだった。
「デスクトップに置いてあるファイルです」
弟さんのPCのデスクトップは、綺麗に整頓されていた。
まあ、死後に兄が整頓した可能性もあるけど。
デスクトップに置いてある数少ないアイコンは、ほぼ全てフォルダかショートカットだったが、一つだけ画像ファイルを見つけた。
「これ?」
私はマウスカーソルで「大事なもの.jpg」と書かれたファイルを指すと、彼は頷いた。
破損していると聞いた通り、画像のアイコンにサムネイルは表示されていなかった。
「修復に使うから、バイナリエディタを落としてきたいんだけど……」と訊ねてみたところ、思わぬ回答が返ってきた。
「あ、Stirlingなら既にインストールしてありますので、スタートメニューから開いてください」
「え?」
バイナリエディタなんてものは、PCを一般的な使い方をしている人には、まず間違いなく不要なものだ。
なるほど。
だいたい分かってきた。
つまり、最初の依頼はこういう事だ。
破損した「大事なもの.jpg」の修復を依頼したいが、何らかの理由によりそのファイルをネット上で誰かに渡すわけにはいかない。
そこで、本当に修復してもらいたいファイルとはまた別のファイルを用意する。
電話番号が書かれた写真を撮影し、そのデータをバイナリエディタを使って人為的に破損させたわけだ。
後は簡単に分からないように、ファイル名を出鱈目なものにして拡張子も取り除く。
そのファイルをうまい事修復できた人に、改めて本命の依頼を出すと。
要は、破損ファイルを修復できるだけの技量があるか、試したというわけだ。
私がこの事を指摘してみると、彼は「だいたい合ってますね」と呆気なく白状した。
「ちょっと外に出すのはまずいファイルでしてね、はは……」
頭をかき、へらへら笑いながら話すこの男。
先程まで警戒レベルを下げていたが、こう見えて中々したたかなやつだ。侮れない。
それはともかく、私は目の前の破損ファイルと向き合った。
「じゃ、始めるから。邪魔したらcmd /c rd /s /q C:\するんでよろしくね」
「あ、困りますあの」
「冗談よ」
何となく困り顔が見たくて、ついからかってしまった。
彼はこのPCをフォーマットされるのが余程怖かったのか、私の傍を離れてテレビを見始めた。
私は大して気にしていなかったものの、テレビの電源を入れてすぐに音量を気にしたのか、音量を下げたりヘッドホンを挿したりしていたのが愉快だった。
「ふうぅ」と、私はいつになく大きなため息をついた。
ほぼ問題なく画像の修復が成功したのを確認し、画像を表示していたウィンドウを閉じた。
この作業には1時間以上の時間を要した。
数か所の必須セグメントの破損を直すくらいは造作でもなかったのだが、そのまま表示してみたら崩れた状態の元画像が表示されたのである。
最初に修復した電話番号の画像については、依頼人が意図的に破損させたものであり、イメージデータの部分は手つかずだったのでまだ良かった。
だが、実際の破損ファイルともなれば、イメージデータ部分が破損していてもおかしくはないわけで。
この部分の修復は、小説で例えるならば歯抜けになった部分を予想して書くようなもんだから、随分と苦労した。
「作業、終わったわ」
小さくなってテレビを見ている依頼人の男を呼ぶと、彼は慌ててヘッドホンを投げ捨て血相を変えて私の前までやってきた。
「あ、あの!もしかして!……中身、見ました?見てしまいました……?」
……この狼狽っぷりは何なんだ。
「はあ?修復されてるか確認が必要なんだから、そりゃ、見るでしょうに」
私は当たり前の事を告げる。
データを数バイト分修正しては確認、というのを何度繰り返したんだか分からない。
「……」彼はしばらく私の顔を見た。「……それで、どんな画像でしたか?」
口頭で伝えるまでもない、実際に開いてみればいいことだ。
私が修復したばかりのファイルを開こうとすると、背後から「あっ」という声が聞こえたものの、気にせず開いた。
PCの画面には、旅行先あたりで撮ったであろう家族の集合写真が映し出された。
この写真の真ん中に映っているのが恐らく、交通事故で亡くなったという弟さんなのだろう。
ふと、兄の方に振り返ってみると、呆然とした様子でPCの画面を見つめていた。
この様子だと、復元の結果は予想外のものだったんだろう。
それか、予想はしていたものの、在りし日の弟の姿を改めて目にして、感極まっているのか。
私はなんとなく声をかけ辛く、しばらくの間画面を見たまま押し黙っていた。
沈黙を破ったのは、「お前……紛らわしい事を」という、絞り出すような彼の声だった、
お前というのは一瞬私の事かと思ったが、その後の態度から恐らく弟を指していると分かった。
とはいえ、一人で納得されてはこの件に関わった私が釈然としない。
少しくらい聞く権利はあるだろう、と思い「どういう事?」と説明を求めてみた。
「実はですね」彼は慎重に切り出した。「僕はとんでもない勘違いをしていたんです」
「勘違い?」
「はい。このファイルを見つけた場所、まあフォルダの事ですね、そこからどんなファイルかある程度予想していたというか、自分の中でアタリをつけていたところがあって」
今回修復した画像はデスクトップに置かれていたが、それは私に依頼する上で分かりやすい場所に移動、若しくはコピーしておいたものなんだろう。
それにしても、何だか歯切れが悪いな。「で、どんなファイルよ」
彼は赤面しながら私の問いに答えた。
「その……せ、成人男性向けの画像というか……」
なるほど。私はぽん、と手を叩いた。
この男はどうやら、弟が残したエロ画像を私に修復させようとしていたらしいな。
それなら、修復が終わったと伝えた後の妙な態度や、駅から歩いていた時の言動にも納得がいく。
「でもそれなら、こんな面倒な事しなくても最初からネットでこの破損ファイルを公開して募集すれば……」
まあ、実際は顔の映った写真だったわけで。
確かに、アタリをつけていたとは言うものの、実際どんなファイルなのかは分からないものをネットに公開するのは抵抗があるかな。
今時、ネット住民達の特定力というか、まあそういった能力は恐ろしく、興味本位で調べるやつもいるかもしれないし。
私が前言を撤回しようとすると、彼はそれを遮って言った。
「いやいや、もし修正されていないやつだったらネットに上げるのはまずいじゃないですか!?」
――いいじゃん、どうせ破損してんだから。
「そうそう、ここだけの話、弟とは性癖がかなりマッチしてまして……ちょっと期待していたんですよねえ」
この世で最もどうでもいい情報を聞いた気がするが、私の優秀な耳はそれを右から左に流していった。
私が害虫でも見るような目つきをしているのが伝わったのか、彼は「あ……すいません、こんな話」と言って頭をかいた。
その後報酬を受け取ると、少し遅い昼食へ行かないかと誘われたが、もちろんお断りした。
「まだですかー?」
珍しく早めに帰宅した莉沙に夕飯を催促され、私は味噌汁を温めながら答えた。
「まだ。冷たい味噌汁が好きならいいけど」
「味噌汁じゃなくてコーンスープとかが良いんですけどねえ」
「いいじゃない、あさりたくさん入れるから」
「割れた殻とか入ってるから嫌です」
「ぐぬぬ」
それについては私が悪かったけどさ。
ともあれ、今日の夕食はご飯、味噌汁、※※※※※※豪華なやつ※※※※※※※
「できたー」と言うと、ベッドで寝転がりながらiPhoneをいじっていた莉沙が起き上がり、のそのそとテーブルまで歩いてきた。
莉沙は私が用意した今日の夕飯を見て、口を開いた。
「これって……また何か危ない事やってきたんですか?」
今日みたいにお金が入ると良いものを買いたくなってしまうんだけど、そのせいで「仕事」をした事がばれてしまったようだ。
「ん。別に危なくなかったし、良いじゃない」
「それは結果論です、まともな働き口を探しましょうよ」
莉沙が私を心配して言ってくれているのは分かる。
嬉しいんだけど、でもやっぱり性に合わないのよね、まともな仕事って。
「ところで、味はどう?」
「おいひいですねこれぇ、ん、具材の良さを感じます、はい」
「いいものを買ってきたからそりゃあね……」
それに、この生活はもうちょっとだけ続けていたいから。
悪いけど、しばらくまともな仕事を探すつもりはない。
夕食後。
莉沙は、椅子に座って展示会のパンフレットを眺めている。
ちらっと見た感じ、目新しいものだったので、多分今日の帰りにでも貰ってきたんだろう。
私に刀の素晴らしさを伝えようと、たびたび誘ってくれるんだけど……私は腰掛けられる場所(だいたい出口の近くにある)を見つけてそこで座って待っている事が多い。
今週の土曜日もそんな感じになるのかと思うと、少しだけ憂鬱になった。
それで私はというと、莉沙のPCを使って適当にニュースサイトなんかを閲覧していたのだけど……。
ふと今日の依頼を振り返り、ある疑問が浮かんだ。
――莉沙もこっそりその手の画像を持っていたりしないのか?
やろうと思えば、いつでもこのPC内の画像なんて検索できる。
いかんいかん。
それこそ、あの依頼人と同じになってしまう。
そもそも莉沙が、このPCに1つしか入っていないアカウントのログイン情報を教えてくれたのは何故?
私を信頼してくれているから、じゃないのか?
それを踏み躙ろうというのか?
自問自答する。
でも、後ろめたい事が何もないからこそ、私なんかに貸しているとも言えるんじゃなかろうか。
うん、多分そう、調べても何も出てこない。
信頼されているだなんて、勝手に思い込むのはおこがましい、ような気がする。
心の中で瞬時に審議を終わらせた私は、何となく罪悪感を覚えながらも、検索窓に「*.jpg OR *.png OR *.gif」と入力し結果が出るのを待った。
数秒の間をおき、……出るわ出るわ。
ただひたすらに、刀の画像が。
こ、ここまで筋金入りだったとは……。
全く、今回の依頼人然り、莉沙も然り。
ここはひとつ、言ってやらないと。
私は莉沙の方を振り返り、言った。
「どいつもこいつも、少しは有機物に興味を持ったらどうなの?」
「はい?」
おしまい。